2016年10月11日

思い出にまた迷っていても 星がいっぱいでも

足りていない部分を一つ一つ確認、調達していく。
もちろん、見えていない部分もあるはずだけれど。
あれをどうするか、これをどうするのか。
何をしておこうか。
積み重ねるように、積み重ねるように。

一つは、直接貰いに行った。
頼めばもらえるなぁと見越したからだ。
誰か持ってる人を探すよりも、確実にある場所にお願いするほうが早い。
何件か回ればなんとかなると思っていたのに一件目で頂けた。
要するに、すぐに行動ができるのかどうかだ。
この辺があると便利だなっていうのものも用意できた。

明日はロケ地のカギをお借りしに行く。
もう一度、ご担当者様に会う。
地道に一歩ずつ、その日に近づいて行っている。

悲しい知らせもあった。
時々、切り替えていこう!なんて言葉を安易に口にする人がいる。
でも、こういう時は切り替えちゃいけない。
悲しいときはきちんと悲しんで、悲しめるだけ悲しんで、受け入れるべきだ。
そして、その悲しい気持ちを抱えたまま、それでも進むべきだ。
少なくてもおいらはそう思っている。
ちょっと、悲しすぎるけどさ。
俺たちは、ちゃんと、顔を見て、話をしたはずさ。

相棒からのLINEに返信をする。
飲めとしか言えない。
わかってるさ。
もう、痛いほどわかる。
飲んで、少しずつ、受け入れるしかできないことってのが世の中にはある。
どうしょうもないことが世の中にはある。
受け入れがたいけど、受け入れるしかないんだ。
目を背けなければ、それでいい。

今、やれることを全てやっていくしかないんだ。

どんなに重くても足を出す。

今、たぶん、史上まれにみるほどの、素晴らしい機会を得ている。
演じる役者自身が、美術設営まで出来る。
自分たちで組んだパンパン小屋で芝居ができる。
それを、おいらは、幸せだと思う。
そもそも戦後のバラック小屋は廃材を使って、自分たちで建てた素人建築だ。
ありとあらゆる、細かい部分まで把握して、映像をやれる機会なんか、二度とないはずだ。
そこまで把握して、演技ができた役者なんて、白黒時代まで遡るんじゃないだろうか。
いつかどこかで別の映像作品に出たとしても、全ては把握できない。
いつどこで、誰が、どのシーンを撮影しているのかさえわからないことがあるのだから。
自分の登場シーン以外は、呼ばれもしないのだ。
全てのシーンの撮影で同じ現場に入れる機会なんか、そうそうあるもんじゃない。
作品にかかわるというよりも、作品世界に生きることができるチャンスを頂いている。
七人の侍で、村人たちに一か月ぐらい生活してもらったなんて話があるけどさ。
そういうのに匹敵するぐらい、この世界に埋もれる機会だ。

生きていくなら。
色々なものを抱えながら生きるのは当たり前のことだ。
特に、終戦直後なんて、そこに生きるほとんどの人たちが何かを抱えていたんだ。
戦地で、空襲で、或いは戦後のどさくさで。
日本人は、敗戦コンプレックスに生きたか?
日本人は、ただ悲しんで下を向いたのか?
そんなわけがない。
そんな国だったら、戦後からたったの19年で、東京五輪なんか開催できるわけがない。
強く、重い足を一歩前に出し続けたから、この国は奇跡的な復興を遂げたんだ。
そして、それが、生きていくことだ。

撮影現場で生きていく。
色々なものを抱えながら。
まずは、廃材を寄せ集めて、あのバラック小屋を作るんだ。
悲しすぎるけど。
前に進むんだ。

それが、生きることだからだ。

きっと、どこかで映画を観てくれると信じて。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:47| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする