0時を越えて、10月10日。
平成十年十月十日に旗揚げ公演を迎えた劇団前方公演墳が旗揚げ18周年の日を迎えた。
旗揚げした日は、役者として参加していなかったけれど。
人生の中の18年という月日で関わってきたのは間違いがない。
その旗揚げから今作の映画まですべての作品で音楽を提供してくださっている吉田トオルさんも稽古場にいた。
そして、さきほど、男性陣にとって最終稽古を迎えた。
来週から映画のための美術の設営に入る。
土曜日の搬入から始まって、スタッフさんと共に自分たちで美術を組み立てていく。
普通の映画ならセットが建っている場所に役者が芝居を持ってくる。
でも、そうじゃない。
自分たちの手で、セットを組み上げていく。
低予算映画であれば、低予算な美術になるのは当たり前だ。
それをおいらたちは、とても低予算とは思えないような美術にしようとしている。
映画を観て、すげえセットだな。どれだけ金かかってんだよ。そういう美術にしたいと思っている。
限度はあるにしても、出来ることは何でもしたいからだ。
だから、男性陣は、もう稽古は出来ない。
セットが建ってから、リハーサルを出来る時間が作れたらだけど。
リハーサルをするためには、セットを、より早く組み上げなければ、絶対に出来ない。
そのためなら、なんだってする。
女性陣がメインの作品なんだから、女性陣は美術の日でももう一日稽古にしてもらった。
作品が良くなるならそのほうがいいし、力仕事なんだからさ。
その代わり、おいらはその稽古に参加すらできないけれど。
もう本番でもおかしくないほどの芝居をして、監督を安心させてほしい。
監督が、撮影に集中できるぐらいまでの稽古をしてきてほしい。
少なくても監督には何も教わらないでほしい。
半年以上・・・9か月も教わってきたんだから。
アイデアを監督に提示して、監督の想像が膨らむような稽古をしてきてほしい。
リハーサルを出来る時間を確保できるとは保証できないからさ。
18年間。
この時間は、決して、おいらたちだけのものではない。
今日、いらっしゃった吉田トオルさん、先週来てくださった浅井ひろ美さんのものでもある。
当然、監督の時間でもある。
かつて、共に板の上に立った仲間たちのものでもある。
おいらたちの家族の時間でもある。
そして何よりも今日まで応援してくださった、お客様の時間でもある。
この映画のスポンサーは、どこの企業でもない。
この映画のスポンサーは、応援してくださる一人一人の思いなのだから。
自分ができる稽古時間を終えて。
クラウドファンディングを達成して以降の9か月を思い出す。
カメラの前で芝居を続けてきた日々。
何度も何度も恥をかいて、何度も何度も笑われた日々。
それをどれだけ、自分のものにしてきたか。
その全てを今日の稽古で出してきた。
どのシーンでも一発OKが出るように、稽古した。
それはやっぱ、自分のためじゃないや。
誰かのためだ。
いつも見ていてくれる誰かのためだ。
今日、殺陣のあるシーンの稽古をしているときにね。
監督から、つまらないから、もっと動きが欲しい。と要望されたときに。
当たり前のように、すぐに、じゃあ、こうしよう、こうならないとねって出来たんだよ。
オーディションで受かった俳優さんに、ドスの扱いを聞かれて、抜き方や腰への差し方をすぐに説明できたんだよ。
その時に、つくづく思ったよ。
おぎちゃんに教わったことしか、おいらの中からは出てこないって。
おいらたちは、荻野英範さんに長く舞台の殺陣をつけてもらってきて、たくさんのことを教わってきた。
本当に、おぎちゃんはすげえよなぁ。
突然、兄貴の顔が思い浮かんで、感謝した。
いっぱい怒られたけれど、教わったことが今、全て自分の中に残ってる。
これも、18年間の歴史の一部だ。
18年間の集大成なんだね。
本当にそうなんだね。
本番前のピリピリした緊張感と、未だに至らない部分への怒りと。
やけに、優しい気持ちがないまぜになった。
ああ。
もう稽古できないのか。
リハーサルの時間が作れなかったら本番だけだ。
作るつもりだけど、ないと思っていたほうがいい。
舞台と違って、何ステージもないからさ。
全てのシーンが千秋楽さ。
どんどん終わって行っちゃったら、寂しいなぁ。
この18年間の全てを懸ける。
死に物狂いで、楽しんでやる。