昨日は結局、雨の中移動しないで済んだ。
営業時間開始と同時に電話して、うかがう旨をお伝えすると。
お話の中で、前予約を直接うかがわなくても良いと言っていただいた。
なんというか、こういうご厚意が続く。
本当にありがたい話だ。
おいらの本業は俳優だ。
そうと決まれば、自分のシーンが出てこようが出てこなかろうが、稽古に向かう。
そこからブレることはない。
自分のシーンが出てこないで、ただただ稽古場で消耗することだってあるかもしれない。
でもそんなことは関係ないのだ。
様々な段取りを組みながら、様々な作業をしながら。
隙間でも芝居のことを考える。
それぐらいのことを出来るキャパシティはとっくに出来ている。
時々、心配する人もいるけどね。
おいらは、初舞台のその日から、芝居だけをやったことなんか一度もない。
いや、むしろ、すべてが芝居なんだって思っている。
時々、ぞっとすることがあるのだけれど。
スタッフワークを芝居だと思っていない役者って実はいる。
そんなに数はないけれど、映像の現場を見ていてもすぐにわかる。
本当にベテランで、良い役者と言われている方ほど、スタッフワークが芝居だと知っていることを。
それぐらい、芝居っていうのは枠が広い。
舞台にはない「撮影」は、もう完全に芝居心がないと出来ない仕事だ。
編集なんか、芝居心がなかったら出来ない。
舞台にもある照明、音響は、まさに芝居の塊だ。
照明の仕込みは、役者でいうところの役作りだ。
照明のキッカケ表は台本だし、オペレーションは、芝居的な間を使うことだってある。
音響も当然、芝居だ。
うちの劇団のブースでは、トオルさんがキーボードを弾き、けんけんが踊りながら照明を操作したこともある。
これを芝居と言わなくてなんというのか。
だから、様々なことをやるのは、視点がそのキャパシティ分だけ増えるということだ。
照明の効果や特徴を知っていれば、どこに立てばいいのかわかる。
音楽の効果がわかっていれば、シナリオの中から明確な音のきっかけを探せる。
撮影の狙いが理解できれば、どこで視線を変えるかもわかってくる。
自己の中の視点が増えれば、その分だけ芝居は深くなる。
全てが芝居の稽古なんだよ。
でも、正直、そのキャパシティがないなら、やれる分だけやればいいよって思っている。
必要なのは強烈な意思だけだけど、キャパシティを超えちゃってブレるなら、やらないでいい。
何が起きようとブレない強さを持つ者だけが、そこに立てる。
強さを失いのであれば、そこに立つ資格さえ失うんだ。
そういうつもりで、おいらはやっているよ。
さあ。
稽古だ。
今日、全て出来るだろうか。
男は来週から美術設営に向かわなくちゃいけない。
全ての段取りが付かないとだ。
そこから、先は、もう役者が個人的に深めるしかない。
でも、個人って言っても、現場に入れば四六時中相手役だっているよ。
合わせたければ合わせる時間もあるさ。
どんどん成長しながら撮影だってできる。
いや、ここまで稽古をして挑める映画なんか実はどこにもないんだ。
やれるだけ準備したら、おいらは監督をはじめとして100%スタッフさんを信じる。
だから、その分、芝居を深めないとだ。
タイトなスケジュールだ。
稽古が終わってからの打ち合わせもあるのだから。
もうすぐだ。
もうすぐ、あの場に辿り着く。