様々な連絡と、様々な作業。
交差しながら、続ける。
まぁ、いつものことさ。
舞台だって、いつも作業にまみれている。
昨日作成した小道具のデータの返信が来ている。
うまく、出力して小道具制作できたらいいけれど・・・。
修正が出て、それが直前となると大変になってしまうなぁ。
まぁ、大変なのも、いつものことなんだけれども。
いつも舞台でも、直前になればなるほど忙しくなっていくのだけれど。
今回は、何かが足りないなぁと思っていた。
それが何か、ふと気づいた。
それは、チケット管理だ。
どの回が何席埋まって、この回がSOLDOUTで。
毎日、チケットの予約数を入力して、席数をいじっての作業がないのだ。
なるべく多くのお客様に観ていただきたいからいつも、急な対応も含めても、大変な作業量だ。
実際、舞台だと本番に入ってもその作業は続く。
当日券や、急に来れなくなった、日程変更、様々な連絡が本番中にも届くからだ。
すでに客席にお客様を案内している時間帯に、PC作業をすることだってある。
お前、よくそんなこと出来るな・・・と共演者やスタッフさんに言われることもあるけれど。
土台さえしっかり作れていれば、シートに入力するだけで済むように準備してある。
興行は、作品の発表だけではなく、お客様対応が必ず入ってくるのだ。
お客様に楽しんでいただけるようにするのが、最大の目標なのだから当たり前のことだ。
それが、今回、ばっさりと作業から抜け落ちている。
そうか、映画製作は、興行ではないのだ。
もちろん、編集して完成して上映の段階になれば、それは興行なのだけれど。
製作段階では、あくまでも、作品作りでしかない。
日々、チケットの残数を確認したり、キャンセル連絡を入力することもない。
そのことに気づいた時。
なんというか、頭の中のモヤのようなものがスパンと晴れていった。
同じ本番なのに。
そこだけはどうしても違う。
当然、撮影に入れば、完全に役者として集中できる!とまでは言わない。
今回のプロジェクトは、可能な限り、全員で取り組むべきことだ。
手が足りない部分があれば、当然、手伝う気持ちの準備をしてある。
セットチェンジがあるなら、すぐに手を貸すぐらいのことは、当然あるだろう。
この映画は、そうやって作るのがふさわしい。
作品性もそうだけど、コンセプトがそうなのだから。
自分たちの作品を自分たちで世に出すのだから。
だとしても、いつも思い悩んでいるお客様対応がそこにないというのは、とっても不思議な感覚だ。
舞台は、目の前のお客様のためにある。
でも、映像だってそうだ。
いつか目にしてくださるお客様のために、作品はあるのだから。
舞台はそこに足を運んでくださるお客様が実際にいるから、そこが直結しているのだ。
チケットの作業は、大変だけれど、同時にそれを大きく実感する作業でもあるのだ。
なんというか。
もう、悟りに近い感覚になっちゃうけれど。
映像制作の現場にはお客様がいないのだけれど。
相手役との芝居に、カメラのレンズの向こうに、監督の編集の向こうに。
常に、お客様がいるんだっていうことを、すごく等身大に生々しく感じた。
いないけど。
いる。
舞台で培ってきたお客様との呼吸。
その日、その場限りの空気を共有する感覚。
それは映像の現場にはない。
けれど、ある。
だからか。
だから、映画でもドラマでもそうなんだ。
いいなぁ、面白いなぁという俳優は、ないものをあるとして芝居しているんだ。
時間も空間も超越して、お客様とコンタクトをしているんだ。
そして、それは、不可能なように見えて、可能なことなんだ。
例えるなら、手紙と会話のようなものだ。
会話はリアルタイムだけれど。
時に、手紙のほうが気持ちが伝わることもある。
時間と空間を超越したほうが、よりダイレクトになる場合だってある。
それは、矛盾しているかのようで、実はなんの矛盾もない。
だって、そうだろう?
今、おいらたちがこうして生きているのは、時空を超えたたくさんの思いが重なっているからなんだ。
いる。
いるんだ。
いつも舞台前にやっている、お神酒。
撮影前にもやろうと、思った。
自分の表現を出そうとするようじゃいけない。
作品の表現を届けようという思いを一つにするんだ。
全員で、向こうを感じて、作品に取り組むんだ。