2016年10月05日

時空を超越するモノ

様々な連絡と、様々な作業。
交差しながら、続ける。
まぁ、いつものことさ。
舞台だって、いつも作業にまみれている。

昨日作成した小道具のデータの返信が来ている。
うまく、出力して小道具制作できたらいいけれど・・・。
修正が出て、それが直前となると大変になってしまうなぁ。
まぁ、大変なのも、いつものことなんだけれども。

いつも舞台でも、直前になればなるほど忙しくなっていくのだけれど。
今回は、何かが足りないなぁと思っていた。
それが何か、ふと気づいた。
それは、チケット管理だ。
どの回が何席埋まって、この回がSOLDOUTで。
毎日、チケットの予約数を入力して、席数をいじっての作業がないのだ。
なるべく多くのお客様に観ていただきたいからいつも、急な対応も含めても、大変な作業量だ。
実際、舞台だと本番に入ってもその作業は続く。
当日券や、急に来れなくなった、日程変更、様々な連絡が本番中にも届くからだ。
すでに客席にお客様を案内している時間帯に、PC作業をすることだってある。
お前、よくそんなこと出来るな・・・と共演者やスタッフさんに言われることもあるけれど。
土台さえしっかり作れていれば、シートに入力するだけで済むように準備してある。
興行は、作品の発表だけではなく、お客様対応が必ず入ってくるのだ。
お客様に楽しんでいただけるようにするのが、最大の目標なのだから当たり前のことだ。

それが、今回、ばっさりと作業から抜け落ちている。
そうか、映画製作は、興行ではないのだ。
もちろん、編集して完成して上映の段階になれば、それは興行なのだけれど。
製作段階では、あくまでも、作品作りでしかない。
日々、チケットの残数を確認したり、キャンセル連絡を入力することもない。

そのことに気づいた時。
なんというか、頭の中のモヤのようなものがスパンと晴れていった。
同じ本番なのに。
そこだけはどうしても違う。

当然、撮影に入れば、完全に役者として集中できる!とまでは言わない。
今回のプロジェクトは、可能な限り、全員で取り組むべきことだ。
手が足りない部分があれば、当然、手伝う気持ちの準備をしてある。
セットチェンジがあるなら、すぐに手を貸すぐらいのことは、当然あるだろう。
この映画は、そうやって作るのがふさわしい。
作品性もそうだけど、コンセプトがそうなのだから。
自分たちの作品を自分たちで世に出すのだから。
だとしても、いつも思い悩んでいるお客様対応がそこにないというのは、とっても不思議な感覚だ。

舞台は、目の前のお客様のためにある。
でも、映像だってそうだ。
いつか目にしてくださるお客様のために、作品はあるのだから。
舞台はそこに足を運んでくださるお客様が実際にいるから、そこが直結しているのだ。
チケットの作業は、大変だけれど、同時にそれを大きく実感する作業でもあるのだ。

なんというか。
もう、悟りに近い感覚になっちゃうけれど。
映像制作の現場にはお客様がいないのだけれど。
相手役との芝居に、カメラのレンズの向こうに、監督の編集の向こうに。
常に、お客様がいるんだっていうことを、すごく等身大に生々しく感じた。

いないけど。

いる。

舞台で培ってきたお客様との呼吸。
その日、その場限りの空気を共有する感覚。
それは映像の現場にはない。
けれど、ある。

だからか。
だから、映画でもドラマでもそうなんだ。
いいなぁ、面白いなぁという俳優は、ないものをあるとして芝居しているんだ。
時間も空間も超越して、お客様とコンタクトをしているんだ。
そして、それは、不可能なように見えて、可能なことなんだ。

例えるなら、手紙と会話のようなものだ。
会話はリアルタイムだけれど。
時に、手紙のほうが気持ちが伝わることもある。
時間と空間を超越したほうが、よりダイレクトになる場合だってある。
それは、矛盾しているかのようで、実はなんの矛盾もない。
だって、そうだろう?
今、おいらたちがこうして生きているのは、時空を超えたたくさんの思いが重なっているからなんだ。

いる。
いるんだ。

いつも舞台前にやっている、お神酒。
撮影前にもやろうと、思った。
自分の表現を出そうとするようじゃいけない。
作品の表現を届けようという思いを一つにするんだ。

全員で、向こうを感じて、作品に取り組むんだ。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:45| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする