今日はロケ地のインフラの確認で電話が鳴りまくる。
ロケ地における最低限必要なインフラの整備について早めに動かないといけない。
場合によっては、電動工具の充電まで出来なくなってしまう。
確認できる部分だけでも、早めに動く。
帰宅してからは、今日のうちに手を付けておきたかった小道具のデータ作成。
これで仕上がって、修正しないで済めばよいけれど・・・。
それと、アレの制作。
まあ、そこまで凝ったものにはしていないけれど。
スタッフさんを交えての、打ち合わせまでに用意できるものは全て用意したい。
考えつくことは、とにかく、やっておかなくちゃいけない。
おいらに出来る範囲でとは言え・・・。
きっとどこかに漏れがあるような気がしている。
あと、何をしておけばいいのか。
考えるだけ考えたい。
もちろん、芝居に集中しなくちゃいけない。
別のことなんかやってる場合じゃないだろ!とも思う。
でも、おいらとしては、それほど、マイナスだとは思っていない。
なんにもしていなくても、大抵、ぼんやりと芝居のことは考えている。
それこそ四六時中で、24時間だ。
寝ていても、芝居の夢を見る。
だから、他のことを考えることは、そんなに悪いことではない。
色々なことをしているからこそ、煮詰まらないのだ。
どこかのタイミングで、俳優に集中することになるだろう。
そうなったらそうなったで、煮詰まるのだろうなぁ。
もう稽古の数も少ないし、段取りが付いてから、更に自分の中で熟成できるかどうか。
そこにかかっているような気がする。
その日が来るまで、やれるだけやるしかない。
そして、おいらは思う。
何よりも大事なことは、スタッフさんたちが気持ちよく、仕事に取り組めることだ。
この現場に参加して良かった。
そういってもらえるような現場にしなくちゃいけない。
そのために一番必要なものは、「思い」じゃないだろうか。
ただ芝居なんかしてもダメだ。
思いがある芝居が、現場の空気だって変えるはずだ。
おいらたちは、劇団旗揚げの頃から、スタッフさんを大事にしなさいと学んできた。
板の上に立つ役者は、裏方のスタッフさんがいるからこそ、板に立てるのだ。
感謝の思いは、普段の対応にも出てくる。
そして、そういう思いを持っている俳優は、やっぱり、芝居も良いと知った。
たぶん、芝居は他者を思いやり、他者の立場になって物事を考えられないと出来ない。
いや、正確には出来るだろうけれど、結局それは、芝居じゃない方向に向かう。
なぜなら、役になるというのは、自分を一度捨てることなわけだし。
なぜなら、作品を作るというのは、相手役をどれだけ美しく見せるかだからだ。
おいらがオノデラリュウイチを押し出したら、それはもう、芝居じゃない。
だからこそ、スタッフさんに気持ちよく仕事に取り組んでほしいと思えるかどうかは大事なことだ。
作品にとって、一番良い方向ってなんだろう?と考えれば、答えは明白だからだ。
作品にとってベストってなんなのか。
もう、それ以上に大事なことなんかないのだと思う。