2016年10月31日

搬出日1日目

前日の解体撤去が思ったよりも進展したから、本日は搬出と、片付けだった。
あのパンパン小屋の象徴のように置いてあった家具を解体していく。
春に朝陽館に行って引き取ったミシンを解体する。

何十年も使われずに納戸で眠っていたミシン。
取っておけば、何かの舞台や撮影で使えるかもしれないけれど、取っておく場所もなく。
またお願いして、ビニールハウスに置いておこうか?なんて声も上がるけれど。
引き取る約束もできないものを勝手にそんなことは出来ない。
そんなことよりも、解体するほうがいい。
本当は何も起きずに廃棄される予定だった彼らを少しだけおいらたちは延命した。
そして、映画作品の中に永遠の命を封じ込めたのだから。
もう成仏してもらったほうがいい。
なくなるわけじゃない。
あの映像にしっかりと残っているんだから。

家具や、残った箱モノの解体。
何十年も生きてきた家具なのに、あっというまに板切れになっていく。
そして、板切れを整理していく。
昨日は山のようにあった廃棄物が少しずつまとまっていく。

すごいねぇ。
本当に前方公演墳の連中ってすごいんだぜ。
おとといまで撮影していたのにね。
あのパンパン小屋をものの数時間で跡形もなく片付けて。
それどころかお借りした建物の修繕まで手を広げて。
その上、廃棄物を細かくしていく処理まであっという間に終えちゃうんだ。

トラックを呼び込んで、基礎舞台と劇団倉庫備品を積み込む。
パンパンに詰まったトラックを送り出してから、おいらたちは、神社に向かった。
その土地の鎮守様。
その神社の歴史以上に、そこが聖地だったことは、神社よりも古い石塔が立っていることでわかる。
皆が当たり前のように鳥居の端を歩き、二拍二礼一拍、お辞儀までする。
ここは歴史の深い町だ。
ここがどんな町で、ここにどんな歴史があったのか知らないまま通っていた役者も多いだろう。
おいらは、この土地の歴史を調べて、この土地に眠る神様を調べて、この土地の伝説を調べてあった。
ロケ地を探しているときにこの神社にお参りした後に、あのロケ地に辿り着いた。
お礼参りだけは欠かせないと思っていたから、深々とお礼をした。

初めてロケ地の確認に来た日に立ち寄った土地の歴史資料館的な場所に行く。
そこで、あの時食べたうどんをもう一度、皆で食べる。
素朴で、田舎風で、口に合わないメンバーもいるかと思っていたけれど。
皆が、おいしいと言っていて良かった。
地のモノをやっと、食べた役者がいるんだなぁって思った。
そんなことをする暇もなかったから。
映画で俳優がロケ地に行けば、地のモノを食べる時間ぐらいどこかで空くものなのに。
そんなことをする暇すら今回はなかったんだなぁ。
織田と二人で歴史ある場所をふらりと覗いたりもした。

ロケ地に戻って、お片付け。
伐採してそのままだった枝を運び。
ロープでたくしあげておいたたるんだ電線を元に戻した。
廃棄物を一つにまとめていった。
昼過ぎには作業が終わり、トラック班が仕事をしていることが気になりつつも、そこで終えた。

残す作業はあとわずかだ。
翌日、長く皆で使用した仮設トイレの汲み取りがある。
廃棄業者が来て、バラバラに解体した廃棄物を持って行ってもらう。
最後に仮設トイレをリース会社まで返しに行って、それが終われば近隣のご挨拶だ。
それで、ついにここを離れることになる。

目をつぶれば思い出せる。
どこにどの箪笥があって。
どこにどの灰皿が置いてあって。
どこにランタンが引っかかっていて。
看板にどんなふうに文字が書かれていたのか。
いつも舞台だったら、撤去してそれで終わりなのに。
おいらたちには、映像が残っている。
あの夢のような時間は、なくなったわけじゃないんだ。

たぶん。
まったく小野寺はよぉ。
そう思っているメンバーもいるかもしれない。
そのぐらい苛酷なスケジュールをおいらは皆に強いてしまった。
そのぐらい苛酷な段取り、作業量をおいらは皆に求めてしまった。
普段やっている動き、ポテンシャルまで計算してのこととはいえ。
それでも、楽しく会話できる暇もない役者もいたんじゃないかなぁ。

トラック班から終了の連絡が来た。
そこに「たのしかったなぁ~」って書いてくれた。
本当に楽しかったのだと思うけれど、苛酷でもあったと思う。
おいらに気を使ってくれているのがわかった。

こんなことをやりたかった。
セット撮影の作業が、静かに終わろうとしている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:57| Comment(0) | 撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月30日

解体撤去日

朝、ロケ地に向かうとすでに集まっているメンバーが。
昨日の撮影が遅くまでだったこともあって、遅めの集合にしたのに。
この2週間で出来た習慣からか、朝自然と目が覚めてしまうメンバーも多かったようだ。

中に入って神様にお祈りをする。
まず、楽屋の自分の荷を片付けてから、セットの解体を始める。
設営に約3日、装飾に2日、リハーサルに2日、撮影に5日。
長く作業を重ねたセットにインパクトドライバーを差し込む。
パンパン小屋が、ただの木材になっていく。
気づけば、あんなに時間をかけていたパンパン小屋が1時間半でなくなってしまった。

製作スタッフが荷物の搬出にやってきて、驚いた表情を見せる。
事前に撤去にどれだけ時間がかかるだろうかと心配していたのに。
1時間半で、何もない素舞台になっていたから。
その後の撮影班の搬出作業でも、到着するなり、驚いていたそうだ。
撤去作業がこんなに早いなんて誰も想像もしていなかったらしい。
パンパン小屋がなくなると、外観の撤去を初めて、もうそこは元の場所になりつつあった。

想像以上に早く終わったから、修繕作業に入る。
そもそも、ここに来た時点で、壁がゆがみ、窓が割れているような場所だった。
弱くなっている床部分に板を敷き、曲がっている壁や、柱と壁の間をパネルで埋めていく。
外観で、縫い目の部分が錆びているトタンは、余っているトタンで補強していく。
野生動物が入ってこれないように、窓部分の補強もしておいた。
利用したスタッフルームや楽屋も整理して綺麗にしていく。
元々その場にあったソファーなども、まとめておく。
気づけば、そこはスタッフルームでも楽屋でもなくなっていた。
部屋は片付けると伽藍洞になる。
なんとも寂しいけれど、本当に、何もない空間になっていく。

確かに昨日までここにあのパンパンたちがいた。
楽屋で笑い、着替えて、メイクをしていた。
裏導線を進めば、そこには廊下口があって、一歩踏み込めば、パンパン小屋だった。
照明機材がそこかしこに並び、大きなカメラがそこにあった。
一番隅に、モニターと監督の椅子があって。
外を出れば、洗濯物を干す物干しがあった。
おいらは、毎朝誰よりも早くこのパンパン小屋に入って、小道具の配置確認をした。
前日の撮影の空気が残っているのを元に戻した。
布団をたたんで、灰皿を元に戻した。
そのパンパン小屋が、あっという間に、ただの空間になった。

翌日の搬出作業の段取りを組んで、全員で撤収する。
片付けが済んだから、もう女子は来なくていいよと伝える。
そこは、もうパンパン小屋ではないのだ。
なんにもない、空間なのだ。
おいらは、自分の荷を車に積んで、そこを後にした。
あの長い坂道を降りるときに、あの歌声が聴こえてきた。
ラララと、続く声。

夢だったのだろうか?
泡沫だったのだろうか?
もう、あの空間はどこにもない。
走り回った日々が遠くなっていく。

居酒屋に入る。
いつもの舞台なら仕込みから打ち上げまで毎日のように杯を傾ける。
この2週間、酒も入れずに、おいらたちは撮影に集中していた。
いつ以来だっけ?なんて話しながら。
撮影中のことを思い出して、話して、笑った。

もう、思い出話なのかよ。
つい昨日までの話なのに。
これだけのことをやったのに。
不思議な気分さ。

撮影が終了したということは、芝居をする機会が終了したということだ。
けれど、このプロジェクトはここで終わったわけではない。
本当の勝負は、作品作りは、ここから始まる。
撮影された素材を繋ぎ、編集をしていく。
編集されてから、音楽を乗せて、整音する。
音楽が乗ってから再度、編集の微調整もいるだろう。
編集作業が終わっても、そこから、この作品を世界に、日本に届けていく作業が始まる。
宣伝のための材料、イメージ。全てが集まった時は、まだまだ先になるのだ。
一般試写会は、その頃になるのだ。
役者に出来ることがなくなっただけなんだ。

この撮影は、この映画の山場だった。
山場を越えて、ここから、作品になっていく。

あの歌も、あの思い出も、全てが作品になっていく。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:45| Comment(0) | 撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

撮影5日目

このロケ地で撮影する分の全てを撮影し終えた。
その全てが規格外。
信じられない奇跡のような撮影だった。

スタッフさんの誰もが、シナリオの分量・・・厚みに絶句した。
そのシナリオのページ数を見るだけで、通常の倍のページ数があると口にした。
さらにその1ページ当たりの行数が通常の映画の倍あるから、結果的に4倍ということだ。
それを1か月とか2か月とか撮影期間があるわけではなく。
たったの5日で撮影するというのだから、本来はありえないだろうといわれる内容だ。
・・・というか、ほぼ全てのスタッフさんが、たぶん、無理なんだろうなと思っていた。

それをほぼほぼ完走した。
5日で、撮れ高が150分以上。シーン数にして100シーン以上。
そうカット数に関してはもう、まったくわからないほどの数。
これを映像の世界の人に話せば、ほとんどの人が信じないのではないだろうか。
そもそも、誰もが無理だろうと思っていた撮影だ。

それをするためのオーガナイズをしていったおいらは、本当にドキドキしていた。
こうすれば出来ないはずはないという、予測のもとに計画を進めていった。
監督から撮影方法のアイデアが出て、それでも不可能な分量をどうこなしていくのか。
総力戦で挑むしかない。
その中でも、自分が先頭をきって、やれることをやっていくしかない。
走り回って、確認して、チェックして、伝達して。
そして、芝居がぶれないように、今、この人には何も頼まないというのを決めて。
それでも、このスケジュールの完走をするのは厳しいと予測されていたはずだ。

それがなぜ出来たのか。
やっぱり、スタッフさんたちのチームワークだと思う。
縦横無尽に走り、きびきびとセッティングしては撮影していく。
映像の現場には職人がたくさんいた。
職人たちが仕事をしやすいように・・・それが今回おいらが目指したことだ。

ラストカット。
OKの言葉が出て、スタッフさんにありがとうございました!と自然に出てきた。
そして、涙ぐんでしまった。
あのパンパン小屋の裏を走り回る日々が終わった瞬間だった。
この予算、この期間、この登場人物の数、このシナリオの分量。
それなのに、クオリティを下げることはしない。
そういう戦いだった。

加藤Pが撮影現場に来ていて、泣けたなんていう。
役者が布団に入って撮影本番をしていたら。
カット、OKの言葉と同時に自分で布団をたたみ始める。
同時に、次の俳優がスタンバイを初めて、手の空いている俳優が次のシーンの美術の化粧を始める。
そんな光景を見たことがない、ありえないと口にした。
しかも、それが連続していくのだ。
次から次へとシーンが進んでいく。
スタッフさんのセッティングの間に、出来ることを全てやっていく。
おいらは、でもそれは、出来上がった映画には映らない裏ですもんね・・・と言うと。
いや、映画は絶対に現場の雰囲気が出ますから。
そう、言ってくださった。

この映画は、情熱で出来ている。

いよいよあのパンパン小屋を解体する日がやってきた。
なんにもないただのスペースに戻ってしまう。
少しだけ寂しいけれど、あのパンパン小屋は映画の中にだけ残ればいい。
プロデューサーはもったいないから、なんとか残せないかと言ってくださったけれど。
残す場所なんかない。
あの鏡台も、あの茶箪笥も、あの暖簾も、あの畳も。
まるでうたかたの夢のように消えていく。

今まで何度も感じてきたことだ。
劇場にセットを組んでは、壊していく。捨てていく。
それでも、この短いながらも濃い日々をすごしたパンパン小屋を壊すのは、感慨深いだろうなぁ。

絵空事。

そうさ。
こんなのは、絵空事さ。

楽しい楽しい絵空事さ。
夢みたいな妄想さ。

それを、実現しただけのことさ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 08:31| Comment(0) | 撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする