杉本亮さんのプロデュースしている「怪獣の教え」を観劇する。
観劇後、しばしの時、立ち話。
追加になっていたシーン、変化したセット。
懐かしい顔もチラホラと見える。
きっと舞台直前から終わって、打ち上げをして、その後ぐらいまで。
この舞台の事で頭がいっぱいで身動きできないだろうなぁ。
本当はスケジュールの話とかも少ししたかったけれど、難しかった。
それぐらい、目の前にお客様がいての興行というのは、大変な事だ。
知りすぎるぐらい知っている。
おいらは、俳優の角度だけじゃなく、あらゆる角度で知っている。
企画して、稽古をして、小屋入りして、本番をして。
そういう怒涛の日々。
ただ、今日。
舞台の印象を多く書くよりも。
あえて、思うのは。
公演を迎えたその表情だ。
本来、美術だ。
映像の中の美術が本来の仕事のはずだ。
プロデューサーではないはずだ。
それでも、一つの舞台作品を世に出すことをした。
そして、開幕して、おいらは、そんな人の顔を見た。
舞台は消えていく。
跡形もなく消えていく。
あの赤レンガ倉庫も。
今日の六本木も。
残るものではなくて、消えていくものだ。
刹那だ。
その刹那な時間を、世に送り出す。
杉本さんの公演後の表情に、おいらは、刺激を受けた。
強い刺激を受けた。
舞台の印象も相まって。
おいらは、今日、夢を見るだろう。
夜、寝て、みる夢が夢だろうか?
未来を思い浮かべて、進むことが夢だろうか?
それとも、実は、生きていることそのものが夢だろうか?
舞台公演が終わってから、杉本さんとたくさん映画の話をしなくちゃいけないのに。
おいらは、この舞台の事が話したいよ。
この舞台に向かった姿勢について聞きたいよ。
子供の頃のおいらから見れば、もうとっくに今のおいらは夢の中さ。
たまたま、当たり前のように、そこに立っているだけさ。
わかるかなぁ。
そこにあるものなんだ。