シナリオが進む。
今回の改訂校で、ページ数やシーン数が少なくなっているのだけれど。
後半に入るとそのページ数の差も広がってきた。
改訂されたシナリオは演じることは難しくなっているけれど、同時に面白くなっている。
通常、長回しでの撮影・・・そのシーンをまるごとワンカットで撮影するというのはとても困難だ。
俳優の稽古だけではなく、スタッフさんの段取りまで完璧に仕上げなくては出来ることではない。
そして、それが完成した時には、クライマックスの長回しシーンなど、売りにさえなる。
でも、今回は、長回しを撮影しても、それを平気で切り分けたりすることになると思う。
長回しを長回しのまま使用する箇所が実際にあるのかどうかはわからないけれど。
実際に、止めずに継続した芝居をどんどん撮影していくという方法だ。
そんなこと出来るのかなと思っていたけれど、確実にモニタに映し出される映像は面白くなっている。
ロケ地の情報もいくつかもらう。
なるほど、一か所ずつ精査が必要だ。
実際に借りることが出来るのか、この美術が組めるのか。
片側だけではなくて、あらゆるアングルから、撮影が可能なのか。
GoogleMapやストリートビューで確認して、行ける場所は行かなくちゃいけない。
とりあえず、有力なロケ地があれば、おいらがAPOを取って、誰かに行ってもらう可能性もある。
同時進行で、どれだけ進めることが出来るかだ。
オーディションの段取りも説明する。
特定の役者以外は、集合時間自体を遅らせる。
オーディションに参加した時に、そこに俳優がたくさんいるのは、気分が良いものではない。
まして、観られるというのは、緊張だってするのだから。
受付や、監督のサポート、仕切りなどなど、割り振っていく。
考えてみれば、おいらたちで、オーディションの実施なんか初めてだ。
受けたことがあっても、開催したことはない。
入団したい俳優が見学に来たとしても、オーディションなんかしたことがない。
でも、これも悪い事じゃないと思う。
あっち側にいた人が、こっち側を経験するっていうのは、実は大きな収穫だってある。
来週のオーディション、素晴らしい俳優に会える場所に立ち会える人は幸せかもしれない。
そのまま、稽古は進む。
なんとなくだけれど、このシーンは手持ちだな・・・とか、このシーンは固定だな・・・とか。
監督が考えそうな流れが少しずつ分かってきた。
もちろん、全てがわかる訳もないし、アングルまで完璧にわかるわけでもない。
それでも、このシーンはこう撮影する以外ないなっていうのは、見えてきた。
役者も、確実にカメラに慣れてきたのが、今日は良く分かった。
きっと、今までとは違う感触を感じた役者も結構いると思う。
ぶつぎりだった芝居が、カットになり、シーンになり、物語になり、繋がっていく。
その入り口に立つようなそんな感じがした。
今日、実感したのは、映像も舞台もそうだけれど、立ち上がるかどうかだ。
例えば、カメラの画角の中で、目立つ場所に常に立っていれば印象に残るかというとそうでもない。
むしろ、ずっとそこにいるから、印象が薄くなってしまう場合もあるのだ。
つまり、人物ではなくて、風景の一部になってしまうという事だ。
端っこで、かぶっていて、余り映っていないなぁという人物が、すっと視線を写しただけで印象的になる。
静と動。それをきちんと見定めないと、いざという時・・・自分の持ち味を発揮するシーンで逆に薄くなってしまう。
立ち上がりが悪くなってしまうのだ。
余計な情報を積み重ねると人物描写がそれだけ甘くなったりする。
特にパンパンたちは、ずっと画面上に映っているぐらい登場する。
ピントが合ってなかったりすれば、まだしも、それぞれの表情を追うことだってある。
そうなると、意外にたまに登場する人物だったり、ちょっとはみだした人物の方が立ち上がりが良くなる場合がある。
多分、そのためには、当たり前にそこに存在する日常を積み重ねないといけないのだと思う。
余計な目立ち方ではなく、自然な存在の仕方というのを突き詰めないといけない。
多分、ここの部分は、実際に編集し終わった作品になってからじゃないと想定しづらい部分だ。
全体を通して、どのようにその世界に存在してきたのか。
変にくどくなれば立ち上がらなくなるし、自然に存在すれば、感情移入できると思う。
映画を観て、そのスクリーンの中で涙を流す女優を見た時に。
一緒になって泣いてしまう芝居と、どこかひとりよがりに見えてしまう芝居との差があるとすればここなんじゃないだろうか。
小さな積み重ねや、無駄に立ってる部分をどう自分で削っていけるのかが、感情移入という結果になっていく。
今日、小さなシーンで。
ああ、なんか、ちょっとだけ嘘っぽいなって思ったシーンがあった。
このちょっとだけなんか、余り気にする人もいないだろうなとも思った。
でも、そのちょっとが、作品になった時に、何かの原因になることはあるのかもしれない。
さて、そろそろ、おいらの役が稽古場にも帰ってくるかな?
まだかもしれないけれど、来週かも知れない。
それが、きちんと立ち上がるどうか。
そして、そこに何かを感じてもらえるのかどうか。
連続した物語の中で、もう一度検証して挑まなくちゃいけない。
刻一刻と撮影までの日程が迫っている。
ロケ地を決定するタイムリミットも、同時に迫ってるという事だ。
気を抜かずに、進まなくてはいけない。
大丈夫。確実に進んでいる。