2016年09月11日

例祭の日に

午前中からロケ地探しに向かう。
出てすぐにわかったことは、前回は春先だったのに、今は残暑の中だという事だ。
この炎天下を延々と移動するのは骨だぞ、と覚悟する。

途中、以前知り合いになった人たちと偶然顔を合わせる。
おお!元気か!まだ役者やってるか!
大きな声で、全員が覚えていてくれた。
大きな大きな力を貰って、移動する。

目星を付けていた物件を恐らく管理している不動産屋さんのアポが入ってた。
到着前に電話を入れて、向かう。
今日、他に動いている人もいたから連絡してみる。
良いと思っている場所から当たるとの返信がある。

不動産屋さんに確認すると、その地区の殆どの業務用物件の管理をしているとの事だった。
思った通り。それならば、目星を付けていた物件以外にも、どこかが出てくるかもしれない。
概要を話して、こんな物件が他に合ったら教えてほしいと伝える。
その場で、地主さんに電話をかけてくださって、確認してくださる。
目星を付けていた物件は、あまり人が来ないけれど、今も入居中で、他の物件で空いている物件があった。
けれど、その物件の土地には、駐車場として常に乗用車が置いてあるとの事だった。
終戦直後に現代の乗用車が映り込んだら意味がない。
自分の目で確認するしかない。

目星を付けていた物件以外に、もう一軒。
実は昔から知っていた謎の物件があった。
蔦に覆われたトタンで出来た建物群。
春先もみつからなければ、当たってみようと思っていた物件だった。
表の看板は取り下げられているけれど、元印刷工場らしいことはわかっていた。
トタンの工場が4~5棟あり、木造建築もその土地の中にある。
その地区は厳重に囲われていて、不法侵入が出来ないように看板も建っている。
確実に今は空き家で、誰も入っていないのに、動力電源まで引いたままで、電気は止めてあるとしても、電線はそのまま。
覗けば、土地には栗なんかが転がったままで、少なくても1年以上は誰も出入りしていないような場所だ。
土地の広さからしても、国道からのアクセスからしても、なぜそのままなのか、ずっと不思議だった。

思いきって、その物件のことを聞いてみる。
もしかして、あそこのことはご存じないですか?と。
その地区で長年やっている地元の不動産屋さんだけに、すぐに答えが来た。
ええ。あそこもうちが管理ですよ。
でもね・・・。
ドキリとする。
何かの事故物件なのかもしれない。人が寄り付かない理由があるのかもしれない。
あそこは、●●が持ち主なんですよ。だから、確認しないとわからないんです・・・。
ドキリが、もっともっと大きな驚きになる。

出てきた名前は、一部上場企業でもある某有名出版社だった。
まさかのこんな場所に不動産を持ったままだったのだ。
なぜ、売らずにそのままにしているのかなどはよくわからないけれど。
どうしてもという緊急の印刷の時に、稼働することがあるのだろうか?
いや、そんな簡単に印刷機が回る筈はない。
インクだって、古くなったら固まってしまうだろう。
だから、不動産として所有したままなだけのはずだ。
恐らく、関東近郊にいくつものこういった不動産を所有したままだろう。
その企業で、不動産管理の会社があるぐらいなのだから。
資産として、持ったままなのだ。

関係がありそうな方々に連絡して、自分が直接連絡してもいいのか確認してから電話してみる。
留守番電話が流れて、電話受付が、平日の日中のみだと知る。
もちろん、会社に土曜日人が全くいないという事はないと思うけれど、代表番号はそうなっている。
つまり、ここを借りるとしても、月曜以降に連絡という事になる。
今、ジタバタしたところで、何の答えも出ないだろう。

そのまま、長い長い移動になる。
やはり市街地よりも、山中などに物件が残っている場合が多い。
目星を付けていた地区に入ってみる物の、GoggleEarthとは違って、勾配がある。
長い長い上り坂を何度も何度も自転車を手で押しながら登っていく。
やはり思っていた通り、錆びたトタンで出来た建物をいくつも見つける。
けれど、残念ながらそちらも思っていた通りだけれど、ロケ地として可能な物件はほぼない。
今も入居者がいて使用していたり、使用していなくても近代的な建物が傍にあったり。
中には草に覆われてしまって、とても、人が入れないような物件もあった。
春先とは違う気温と湿度に急激に体力を持っていかれたから、水分を補給する。
熱中症になるような状況は、すぐにわかる。
どのタイミングで、日陰で水分を取ればいいかは、もう体が解っているのだ。
水分補給のタイミングで、今日、他の地区を回っているメンバーに連絡してみる。

良いと思っていたらしいところは、今、工事していました。
どこそこに向かってみようと思う。
どこそこに、トタン建築がまとまってある場所がある。
情報交換をして、ここはおいらがいくから、探さないでよいと伝えて、移動に入る。

かつて、平屋の昔よくあった家や、トタン建築が固まっている、別の市のエリアまで行ってみる。
とても遠いけれど、おいらなりに近道はわかっていた。
とてもとても驚いたのだけれど、その辺一帯が、完全に造成工事されていた。
家なんか建築されているわけではない。
ただ、家がいつでも建つように造成工事だけされているのだ。
それが、延々と続く広い土地になっていた。
そこは、かつて山だったのだ。
おいらはそこで、たぬきだかなんだかを見かけたことだってある。
とてもリアルな平成狸ぽんぽこだ。
山がなくなるとはこういうことかと、実感すると同時に、この地区一帯は諦めるほかはなかった。
山がないようでは、保護区ですらないのだから、古い建築は、駆逐されているだろう。

そのまま、もう一度、MAPを確認して、元の市の別の街に移動する。
別の街の別の山や、かつて宿場町だった地区ならばもしかしたらと思う。
小さな酪農家や、鶏舎もあったけれど、今も稼働中だった。
おいらは、大きな公園に移動して、何度目かの休憩をとった。
畳一枚分ぐらいの広いベンチのようなものがあって、日陰だからそこに横になる。
体中が痛いのが解ると、わあと声がした。
目の前のグラウンドで、少年サッカーが始まった。
一人、体の大きい子が、とても良く走っている。
偉いなぁと良く良く見たら、その試合に出ている中で唯一の女の子だった。
そういえば、このぐらいの年齢の時って、女の子の方が大きかったなんて思い出す。
キック力が小さいから、大きなパスが出ず、思ったよりも接触して競り合う。
想像以上に白熱したサッカーにしばし心を奪われた。

そのままとある地区に行くと、いくつもの旧建築がならぶ山中に至った。
ここは!と思うような建物もあったのだけれど。
とても不思議な牧歌的な地区で、逢う人全てが、300%の笑顔で挨拶をしてきた。
あれ?なんだろう?こんなところほかにないけど・・・。
そこは、新興宗教的な人たちの地区だったらしく、それに気づいてから諦めた。
聞けば貸してくれたかもしれないけれど、宗教団体や政治団体が関係して良い映画とは思えない。

そんなことの繰り返しだった。
一体、いくつの地区を巡ったのだろう。
住所だけで思い浮かべても、相当な数だ。

夕方になって、笛の音が聞こえた。
誘われるようにそちらに向かうと、神社で縁日をやっていた。
おいらは階段を上がって、柏手を打った。
その神社の名前に、背筋が震えた。

今年の正月。
この映画の成功を祈願した神社と同じ神様をまつった神社だった。
今もその神社の御守をおいらは首にかけている。
学問と芸術の神様の守る土地で、おいらはぐるぐると回っていたのだ。
例祭の日に。

暗くなりかけた街を背に、帰宅した。
収穫はゼロではない。
この地区はもう探さなくて良いのだから。
インターネットとは違う、足を運んで、目で確認した情報は濃い。
そして、こういう所に物件があるという経験も貯蓄される。
それに、例の印刷工場も月曜以降に確認できる。

体中がきしんでいる。
でも、これは確実に進んでいるからこその痛みだ。
そんなに簡単に行くわけがないのだから、これだけでも充分だと言える。
情報もまだ入ってくるはずだ。
前回もそうだった。
そして、突如、前回は素晴らしい物件に巡り合ったのだ。

それにしても土方歳三は江戸時代、今の高幡不動から、都心部まで薬の行商をしていたというけれど。
どれだけ、徒歩で歩いたんだろう。
それを思えば、おいらなんて、本当に大したことがない。

大丈夫。進むしかない。
希望の道へ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする