連絡が続く。
しばし呆然とする。
自分の立っている場所さえわからなくなるような喪失感。
そして、混乱。
想像していないようなことが起こる。
自分に出来ることがなんなのかを考えるまでに間が空く。
そして、もう一度、自分を立ち上げる。
昔のPCのように、中々、立ち上がらない時だってあるさ。
何もわからないけれど、出来ることを精一杯やるしかない。
何が抜け道で、どこに答えがあるかなんて誰もわからない。
無我夢中だ。
どういうわけか吉田松陰の名言を読んでいた。
確かにあの人は凄い。
狂気を孕んでいる。
あの言葉がなければ、日本は維新を迎えることすら出来なかったんじゃないだろうか。
歴史を動かすようなとんでもない行動力には裏付けがある。
その裏付けを創ったのだから、やはり、凄いと言う他はない。
自己否定の循環になんども陥る。
あまり良い事ではないけれど、自分のダメな部分ばかりピックアップしてしまう。
こんな時間は無駄だ。
どんなに重くても、その足を一歩前に動かすことこそが大事だ。
なんども、自分に言い聞かせて、重くなった体を軋ませる。
例えば「ハカセ」というあだ名の少年がいたとする。
彼を演じるとなれば、誰だって想像できる外見や性格を再現しようとしてしまうだろう。
でも、残念ながら人間はそんなにステレオタイプであるわけがない。
全国に「ハカセ」というあだ名の少年は恐らく何百人もいるけれど。
その何百人が、全員、違うキャラクターを持っている。
親や兄弟などの家庭環境も違えば、友達との距離感も違うはずだ。
そのハカセが持っているオリヂナリティなんて、どこにあるだろう?
そんなものを探す地図はどこにもない。
ステレオタイプでありながら、同時にオリジナリティを探すのは、砂漠を旅するようなものだ。
そのぐらい人は複雑だ。
だから、人は面白い。
だから、人間を知るほど、深みにはまる。
もっと俯瞰で見れたらと思ったり、もっとディティールに拘れたらと思ったり。
思考はグルグルと回っていく。
おいらという個体を考えた時に。
人はどんなふうに思っているだろう?
ステレオタイプな、熱い奴と思っているかもしれない。
自分が思っているよりもナイーブなおっさんと思われているかもしれない。
逆にガサツな、人の事なんてどうでもいい奴と思われている可能性だって十分にある。
シンプルに、なんか怖いって思っている人もいるだろう。
けれど、実態はこんなにも矛盾であふれている。
そういう自分の持つ複雑さを突然突き付けられたような。
そんな気分さ。
とにかく、立ち上げろ。
お前にそんな暇はないだろう?
なんだって、やれるさ。
松陰先生の言葉にでも、助けてもらいな。
だって、誰だって複雑なんだから。
お前だけじゃないよ。誰だって同じだよ。お前は特別なんかじゃない。
足を上げろ。
同じ所におろすな。
わかってはいるんだ。