昨日、出演者オーディションのお知らせを発表しました。
企画当初から考えていて、どういう形で発表しようか話を進めてきたことです。
舞台のセブンガールズを知っているお客様によっては、え?人数足りてるよね?と思うかもしれない。
映画版では、実はいくつかの役が追加されているのです。
母体が俳優集団という事もあるから、どんな方々の応募があるか、皆で楽しみにしております。
なるべく多くの皆様にお会いしたいと考えております。
ぜひぜひ、少しでもピンときた方は、ご応募ください。
プロフィールで、これは書きたくないなという項目があってももちろん構いません。
写真も、スマホで撮影したものでも構いません。
実際に、稽古場で逢っての印象を第一としております。
そんなわけで、本日もロケ候補地に向かい、仮スケジュールをお伝えしてきた。
展覧会前とあって、作品作りをしていらっしゃる美術家さんとの刺激的な話も合った。
夜になって、少しだけ心配な電話があったけれど、誠意を込めて対応していくしかない。
候補地以外にも、大家さんや、近くにある商業施設などにも話をしに行った。
皆様、丁寧に対応してくださって、感謝する限りだ。
今日、驚くような発表があった。
こち亀の連載終了だ。
思わず、え!?と、声をあげてしまった。
おいらが初めて少年ジャンプを手にした時には既にこち亀は連載していた。
実に40年200巻に及ぶ、日本の社会史にもなりうるようなギャグマンガなんて他にない。
今、秋本先生がおいくつかはわからないけれど、無精ひげを蓄えたその姿はとても若々しい。
40年間、ただの一度も休載しなかったという事実にも、鳥肌が立つ。
とても過酷な週刊誌漫画連載をおいらが子供の頃から続けていたのだから、尊敬以外にない。
それも、人気が落ちれば、すぐに打ち切りになる人気雑誌でだ。
今日、ロケ候補地で、長くその地で、木工を続けている美術家さんと話をしていたその後に知ったことだ。
いくつか回って、帰宅した時に、テレビで中島みゆきさんについて語らう番組があった。
その中に「地上の星」という曲について話す場面があって。
誰も知らないような、無名の星を讃える歌なのだという話を聞いていて。
なんというか、色々な事が繋がってしまった。
今日、お話しした美術家さんは展覧会で作品の発表をし続けていらっしゃるけれど。
中には、発表せず、ただ美術製作を続けていらっしゃる方もいるのだという。
恐らく、秋本先生の事務所には、何十年も務めていらっしゃる助手もいるはずだ。
なんというか、そういうことにまで、一気に想像が及んでしまった。
継続することは素晴らしい。
何よりも継続することは難しいし、継続することでしか達成できないこともある。
繋がった線が、物語になることだってある。
けれど、その継続されているものが注目されることなんて、実際はまれだ。
もしかしたら、これを読んでいるあなたの街にも、江戸時代から続くような呉服店があるかもしれない。
ただ、それを知らない人もたくさんいるはずだ。
ただ、継続する。続けていく。重ねていく。
そのことの困難さを思うと頭が下がる。
なぜ知られていないことが、そんなに不思議ではないのかといえば、継続する目的が有名になることではないからだ。
もちろん、有名になれば、継続しやすくなるし、メリットはたくさんある。
演劇や、映画や、美術や、小説などの表現分野は、やはり名が上がらないと、立ち行かない部分もある。
けれど、継続とはきっと、本来、有名とはまた別の次元の話だ。
追求という事だ。
大卒で新入社員が終身雇用だった場合、43年前後になるのだろうか?
それだって、実際には大変な事だ。
今は特に、大会社でさえ経営が傾くことのある時代。
リストラという言葉も、バブル崩壊以降、定着している。
転職する人もとても増えているし、転職しやすいようなメディアも増えている。
実際に同じ人間関係の環境で43年、一筋に在籍できる人も減ってきているのではないだろうか。
かと言って、自営業だって、業態を維持することが困難な時代にある。
教師や警察官などの公務員だって、異動があるだろうし・・・。
新鮮な刺激がないままだとしたら、驚異的に思える。
これは別に転職を否定しているわけではない。
そういうことではなくて、一つの事を続けることの困難さと素晴らしさを思っているだけだ。
もちろん、やめられないものがある。
少なくても、自分の人生は途中下車できるものではない。してはいけない。
誰だって、自分という人生を生き続けていくわけだから。
そういう意味で言えば、きっと、「人生」そのものになっていくのだろうと思う。
専業主婦に定年はないなんていうけれど。
専業主婦を仕事としてみたらということで、人生としてみたら、そもそも生きる作業そのものという事だ。
美術が人生になっているし、両津勘吉が人生になっている。
仕事が人生に変わった時、何かが生まれているのだと思える。
おいらは、役者を人生と出来ているだろうか?
おいらたちは、18年劇団を運営し続けることが出来た。
たったそれだけの期間なのに、本当に、色々な事があった。
続けていくことが難しいような局面もあった。
それを思うだけで、やっぱり尊敬してしまう。
ただ思った。
今回のこの映画化をこんなにたくさんの人たちが応援してくださったのは。
きっと、「地上の星」になるなということなんじゃないかって。
おいらたちは、ただ、自分たちの力で継続してきたわけではない。
たくさんの応援してくださった皆様の力で今日まで至った。
そして、その応援してくださった皆様は、おいらたちを面白いんだと言ってくださる。
それを証明してくれよと、言われているような気がしてならない。
地上ではなく、空で輝けと言われているような気がしてならない。
空に行ったら、霞んでしまうかもしれない。運悪く曇りかもしれない。
それでも、怯えずに、勇気をもって、応援を自信に変えていかなくちゃいけない。
続けてきた仲間だけで映画を撮影することも不可能ではない。
それでも、まだ、新しい役者を募集するのは、ある意味挑戦なのかもしれない。
一番新しい劇団員の安達花穂が感じているプレッシャーだって、実際には相当あると思う。
それでも、やっぱり、必要なんだという事だ。
安達花穂は、歴史を共有していなくてもおいらたちに必要不可欠な女優だし、これから参加してくれる役者がいればそれも必要だという事。
新しい力と合流しながら、これまでに蓄積したものが光っていく。そういうことだ。
この映画企画は、継続の持つ「追求」というものだけではきっとダメだ。
本来の継続とは、少し違うけれど、世に出るという強い意志も必要だ。
その為に、必要なことがある。
新しい刺激は、きっと、そのためにも必要不可欠な事だ。
継続は継続で考えていかなくてはいけない。
追求していく求道者であることは、人生そのものなのだから。
そこから離れることなんかできないんだというぐらいにならなくちゃいけない。
色々な事が繋がって、色々な事を思って、結局堂々巡りになっちゃうけれど。
きっと、こうなんだというところに落ち着いた。
その上で、この映画化に、しっかりとした意志を持てるかどうか。
あの娼婦たちのように。
空を見上げることが出来るのかどうか。
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