豪雨情報がスマホに連続して入る。
気付けばバシャバシャと大音声。
風の音はまだ聞こえないけれど、すでに風が吹ていることも雨音で感じる。
迷走台風は、どこに向かうだろう。
明日になったら、もういなくなっていたりすることもあるのだろうか?
昨日の決起会で監督が話したコト、役者が聞いたコト、いくつかが反復している。
稽古場ではうまく言えないようなことも、くだけた空気があるから、監督は話せたんだろうなぁ。
どんなことを思っているのかが、どんどん、入っていった。
役者の質問も、細かい質問ではなくなって、大きな大きな質問になった。
例えば、俳優が抱える芝居のプランの作り方。感情の持ち方。その交錯。
例えば、テクニカルな部分と、演じることの矛盾。そのバランス。
例えば、自分の役を他の誰がやったとしても、負けないようにしていくこと。
あのシーンのあそこ、どうすればいい?みたいな質問はほぼ出ない。
今回の映画に向けての役者としての、スタンスや、進み方。
そういう質問ばかりだった。
演じることは今までの舞台と大きく変わるわけではない。
演じるという意味においては、同じな筈だ。
けれど、それぞれが、何かを感じている。
今のままだけではいけない、自分の気の持ち方を探している。
実はそれだけでも、大きな違いなのだと思う。
現場にどんな気の持ち方で挑むか?ということを自然と考えている。
とにかく頑張ろう!とか、とにかくやってみよう!ではない。
この映画に自分たちが俳優としてどう参加できるのか。
恐らく、長く舞台を経験しているから当たり前に考えるようになっている。
舞台でも初日の幕が開くその瞬間まで不安を持っている。
果たしてこの作品がお客様に喜んでもらえるだろうか。
そんな不安がいつも開幕するまで漂っている。
けれど、今回は、その初日もない。開幕がない。
そのシーンを撮影してしまえば、もう二度とそのシーンを演じる機会を失ってしまう。
だとすれば、今まで通りの感覚だと不安なまま撮影に入ってしまいかねない。
今、それぞれに、恐らく不安を感じている。
自分が何で悩んでいるのかもわからない俳優だっているかもしれない。
いつもと同じなのに、いつもと違う不安を抱えながら、シナリオと格闘している。
そして、同時にわかっている。
自信をもって演じないと、その不安は表現に出てしまう事を。
確信をもって演じないと、必要のない緊張をしてしまう事を。
これまでの経験からそれがわかっているから、今、不安を感じている。
これだ!
を探している。
おいらは思うのだよ。
そんな時は、どんどん頼っていいのだと。
それが、劇団で映画を創る最大の強みだ。
相手役とは勝手知ったる仲だ。
相手の芝居に頼ってもいいし、相手の芝居に仕掛けてもいい。
聞きたいことは直接聞けるし、練習したいところは練習できる。
監督も、18年も一緒にやってきた人だ。
普通の映画監督と俳優という関係性以上に共有してきた感覚があるのだ。
自信と確信を撮影日までに全員が確立出来たらすごい事だ。
それには、いつも通り、稽古に取り組んで。
誰かが引っ張ったり、誰かが悔しい思いをしたり、誰かがフォローしたり。
その繰り返しの中で、見つけていくしかない。
決起会で監督と俳優がディスカッションが出来たのは大きな収穫だった。
だけど、別に飲みの席じゃなくても、いつでも監督は俳優の質問に答える準備をしてある。
決起会じゃなくても、稽古の後は必ず誰かが飲みに行っているから、行き詰ったら顔を出せばいい。
映像の現場に数えるほどしかないとは言え、行くと、いつも思う。
周りはほとんど初めて会ったような人ばかりだ。
まぁ、それが当たり前の事なのだろう。
そこで、強く自分を持っていられるかが大事だったりもする。
けれど、同時に、いつも芝居をやる仲間がいることが、どれほど恵まれているかという事を感じる。
自分を出す芝居に限界が来れば相手役の芝居を受けることに集中することだって出来る。
そこまでの信頼っていうのは、宝物だと思う。
芝居の面白さなんか、本当はそこからがスタートなんだよなと思う。