2016年08月10日

余すことなく

リオ五輪真っ只中だ。
団体競技、個人競技。
スポーツの生み出すドラマの力は既存のドラマを軽く凌駕していく。
勝利を手にするもの、敗北に涙するもの、観ているだけで感動していく。

オリンピックで、よく言われるのが、個人の戦いなのか、国を背負った戦いなのかだ。
確かに国の代表であり、代表選考で去っていった仲間たちの代表でもある。
だから、個人というにはあまりにも多くの物を背負っているのだろうと思う。
ただ、おいらは、個人の戦いで良いよといつも思っている。
そもそもオリンピックの初期を思えば、民族優劣に繋がってしまう。
でも、今や、民族の優劣なんてものはどこにもない筈だ。
とっくにそれは遺伝学的にも証明されている。
国の威信であるとか、民族の優劣であるとかを考えるのはとても下劣な事だと思う。
日本人の素晴らしさを証明してほしいなんて考え方だけはしたくないなぁと思っている。
だから、メダルを取れなくても、勝利できなくても、そこに流れた汗に優劣なんかない。
ただただ、一生懸命であることの美しさをおいらは観たい。

そんなことを思いながらも。
勝利はもちろん、願っている。
放送される選手たちを見ては、たくさんの感動を貰っている。
おいらが、昨日、感動したのは、福原愛選手だ。
勝利に感動したというよりも、その精神性に感動した。
だってさ、あの子、ものすごく泣き虫だったもの。
本当、弱い子だった。
ちょっとしたことで、すぐに泣いちゃうしさ。
大人になってからも、決め技が決まらないと、メンタル的に自滅しちゃったりしてた。
あんなに弱虫の泣き虫だった女の子がさ。
あんなふうに、精神的に強く強くなれるんだろうか。

あの子の長所でもあり欠点でもある、優しさ。
驚いちゃうのは、敵国であるはずの人々にも愛されているコト。
それは、その笑顔だとか、対応だとか・・・。
中国人は、愛愛なんて呼んでたりさ。
後輩には選手村でおにぎりをにぎってあげてるとかさ。
ちょっと、戦闘するには優しすぎるんだろうなぁって思ってた。
スポーツの世界では、不遜とも思えるぐらいの態度の選手が強かったりするじゃない。
真央ちゃんにも言えることだけど、ギリギリの勝負の瞬間に優しさは邪魔になるんじゃないかって思ってた。

でも、そういうのを全部含めて強くなってたんだねぇ。
石川選手の分まで・・・なんていう、逆にやさしさが力になっている部分もあるんだろうけどさ。
それだけではないと思う。
きっと、今日までの練習やメンタルトレーニングで、ちょっと違う次元に入ったんじゃないかなぁ。
だって、獣のような目つきでもないし、不遜な強気な感じでもない。
あのやさしさを内包したまま、悟りを開いたかのように集中している。
あれは、簡単な事じゃないぞって思う。
団体の時の内村選手の目つきでも、ぞくっとしたんだけどさ。

おいらは、ああゆうのを演劇というフィールドで何度か目にしてきた。
本当にね、だめだめな役者で、自意識を捨てられないような役者がさ。
稽古のある瞬間に、何かを掴んでしまう。
その瞬間の前と後では、全然、お芝居から伝わってくるものが変わっちゃう。
文字通り、覚醒したような。そんな現象を何度も目にしている。
あ。変わった。
そして、一度変わって肉体感覚に落とすと、もう崩れることがない。
それは多分、それまで頭の中を支配していた固定観念のようなものが一個崩れた瞬間だし、簡単に言えば吹っ切れる瞬間。

その方法論はもちろん、確立されていない。
何故ならばそれは個人によって違うから。
それぞれ個人が頭の中に創っている固定観念や自意識は、形も持ち方も違う。
だから、それを吹っ切るためのメソッドなんて、あってないようなものだ。
極限状態に追い込んで変わる役者もいれば、人の芝居を見てふと気付く役者もいる。
色々試してみて変わる役者もいれば、少し休んだら変わってしまう役者もいる。
わかっているのは、ただ、ハッキリと変わることだ。
もちろん、変わらない役者もたくさんいるけれど。

セブンガールズに出演する役者たちの多くは、いくつかのターニングポイントを越えてきている。
自分の不得意な部分に直面して苦しんだことが何度もある。
この劇団では、あらゆることを求められてきた。
シリアスを演じ、コメディを演じ、リアルを演じ、不条理を演じ。
死を演じ、恋愛を演じ、志を演じ、友情を演じ。
そのたびごとに、不得意であると認識する役者が出てきた。
それに向き合って克服した役者もいるし、得意を伸ばす方向に向かった役者もいる。
不得意なんだからやらないでいいって言われても、やりたがる役者もいる。
それぞれ一人一人が、様々なものを見つけてきたはずだ。
そして、自分の一番の武器を既に持っているはずだ。

オリンピックで思うのは勝利じゃないんだ。
自分が納得できる試合をしてほしい。そういう願いだ。
それは、多分、おいらや、おいらたちが進んできた中で何度も観てきた光景だからだ。
自分が納得できない芝居をしてしまった役者たちは、深く後悔する。
今回の映画は時間との戦いだから何度もやり直す余裕はない。
だから、撮影日に、自分が納得できる芝居をやりきれるように願っている。
後から、もっと、準備をしておけばよかったなんて思わないように。
後から、あそこをこうしておけばなんて後悔しないように。
今出来るベストを尽くしてほしいとただただ思っている。
そこに、愛ちゃんのように、今まで進んできた道が必ず見えるはずだから。

今晩、福原愛選手は準決勝かぁ。
もちろん、勝利を応援するけれども。
何よりも、自分の持てる全てを出せるように願ってます。

全ての試合が終わったら、また泣き虫に戻るのかな。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 16:15| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする