8月最初の稽古だった。
現状の報告と、今後の指針、そして役者が今、何を用意しなくてはいけないのか。
それをまず全員に伝える。
時間的な厳しさ、稽古でやっていかなくちゃいけないこと、数字で示せること。
もちろん、観念的な事も本当は言いたい。
ここは頑張ろうぜぐらいの事も言っちゃいけないわけではない。
でも、現実的な事だけをいつも、おいらはこういう場所では話すようにする。
気持ちの部分は、話さなくても汲んでくれるし、おいらの仕事ではない。
まぁ、いつも気持ちがダダ漏れのような人間だから、言葉にしても仕方ない。
そのまま監督に渡す。
時間的な制約がある中、どうやって撮影していくのか。どんな方針で進むのか。
監督の口から役者に説明して、全員が理解を共有しないといけない。
シナリオの1ページ目を書き始めてから、今日までの監督の作業量は計り知れない。
頭の中で思い描いている映像の一端、撮影方法の一端を役者が素直に受け止められていたらそれでいい。
大変な事を、当たり前にやろうということを説明する。
そのまま一服入れて、キャスティングに入る。
おいらは一部聞いていたけど、今日まで胸に留めておいた。
監督のタイミングでキャスティングを話してほしいし、かといって稽古スケジュールも迫っている。
せめて8月に入るタイミングでお願いしますとは伝えてあった。
もちろん、舞台で演じているわけで、そこから大きく変わる場所は少ない。
役に対する思い入れをリセットするようなことを大きく強いることはない。
そうとわかっていても、決定と、多分この役という状態では、心持ちが違う。
予想していなかったキャスティングもあって、戸惑いを見せる俳優もいた。
監督が、一つまだ決めかねているという役も、その日の夜のうちに決定する。
役者たちは、決定を待っていた。
来週から動きを含めた稽古に入っていく。
もちろん、動きはどんな美術になるのかで、全く変わってしまう。
パンパン小屋の内部がどんな構造かで、どんなものがそこにあるのかで、変わっていく。
だから、実は美術の図面が上がるまでは、演出はほぼ不可能と言っていい。
その上、美術の仕切りが上がったら、監督は第三稿を目指すつもりだ。
それは、ほぼ決定稿に近いシナリオになるだろう。
それも、多分、美術イメージを見て、そこから更に膨らませるはずだ。
演出をそこまで待っていれば、芝居を固めていく時間が相当少なくなってしまう。
だから、暫定でもいいから動きを付けて芝居を固めていくことになる。
その上で、当然、現場でも変更があるんだという柔軟な姿勢で芝居を固めなくちゃいけない。
柔軟でかつ、固めるというのは、一見矛盾しているようだけれど。
基本的な部分が固めれば、多少動きが変わることなんて些末なコトな筈だ。
人はその空間に合わせて、自然と動きを変えるのだから、そういうことなだけだ。
・・・というか、舞台だって、今まで小屋入りしてから動きを変えるのは何度もあったことだ。
クラウドファンディング達成してから、ほぼ半年。
ようやくここまで進んだ。
キャストが固まると同時に、衣装係も小道具係も動き出す。
役者としての作業も、更に加速する。
恐らく、監督も稽古場で、今日までよりも、更に頭を神経を使っての稽古になる筈だ。
ある意味ではしんどい、ある意味では苦しい、ある意味では楽しい、そんな時間がやってくる。
今こそ、もう一度、あの日を思い出すべきだ。
クラウドファンディング期間中、達成すると本気で信じていたメンバーなんか何人もいなかった。
達成したその瞬間、涙を流す者、思わず声が出る者、責任の大きさに下を向く者、静かな闘志を持つ者。
何人もの役者が、それぞれに想いを持ったはずだ。
その思いの向かう先はたった一つ。
今回応援してくれた皆様に・・・いや、これまで応援してくださった皆様への、恩返しだ。
おいらたちが出来るのは、結局、稽古しかないから。
稽古を積み重ねて、その結果が映画になると信じるしかないから。
ここから先は、稽古にどれだけ真剣に取り組めるかしかない。
もちろん、役者以外の作業もそれぞれに増えていくことになるかもしれないけれど。
基本的に本当にやらなくちゃいけないことの核の部分は、稽古に尽きる。
まずセリフを叩きこんで、役作りをしっかりとして来なさい。
当たり前でシンプルな監督の言葉が、今までの舞台とは違った響きだった。
今までだって、繰り返し言ってきたことだけれど。
この言葉にはそれぞれの役者に責任がある上での言葉だ。
小劇場はシンプルだ。
広告主だとか、スポンサーがいるわけではない。
目の前にいるお客様の、チケット代でおいらたちは芝居をする。
予算は少ないし、規模も小さいけれど、求めてくださる方がいて、答える相手がそこにいる。
映画という規模の大きい作品は、広告主がいたり、不特定多数の観覧客を見据える。
でも、今回の企画では、ちゃんと先が見えているし、広告主もいない。
いつもの舞台と同じ。
目の前のお客様が求めてくださって、その期待に応えなくてはいけない。
違うのは芝居をするその瞬間に目の前にいて下さらないだけだ。
だから、同じと言えば同じかもしれない。
それでも、スタッフさんに対する礼儀もあるし、たくさんのご恩を形で見ている作品。
一人一人の出演者に、その責任があるのだという自覚が必要になるという事だ。
ここから先は一本道だ。
思い切り苦しもう。
思い切り疲れよう。
思い切り楽しもう。