2016年08月03日

遠雷

毎年、梅雨明け宣言があると、すぐに雨が降るというイメージがある。
そして、大体、同じことを口にする。
「なんだよ、梅雨あけたんじゃないのかよ」なんて。
今年は、そういう雨ではなかった。

寝ていたら、バリバリと確実に近くに落ちたであろう雷の音が聞こえた。
それから、まるでシャワーのような豪雨が降っている音が続く。
眠っているのに、何度も、豪雨警報や、土砂災害警報がスマホに入った。
確かに何かがあってからでは遅いから、警報は深夜であれ必要なものだ。
おいらの住む地域のどこが警報だったのかはわからないけれど。
何度か起こされたことは、仕方のない事だ。
深夜に避難された方もいらっしゃったのだろうか?

起きると、青空が見えた。
夜間に嵐は過ぎ去ったようだった。
川の嵩は増えていたけれど、新緑の葉が、随分、落ちていたけれど。
まるで何もなかったかのような朝だった。
青空は見えたけれど、風があって雲が早い。
まだ大気が不安定なのかなぁと、傘を持つか悩んで、手ぶらで外出した。

昼間も、時折、雷と共に通り雨が降った。
空を見れば、積乱雲が近くにあって、少し離れたところでは嵐なんだなぁと何度も思った。

夜、遠く、遠雷を見る。
真っ暗闇のその向こうに、墨の中の墨で書かれた積乱雲が光る。
微かに、低く震えるような雷鳴が届く。
遥かに遠い北関東の方だろうか?
空を見れば早い雲の動きが見える。
近くに黒雲は見えない。
濃い湿気を纏った空気がおいらを包んでいく。

ざわざわざわざわ。

薄肌の一枚下を、何かがもぞもぞと動くような。
内側から、何かが吹きこぼれそうな。
今にも叫びだしたくなるような。
鋭敏な神経が尖り始める。

自分が今を生きていると実感する瞬間。

その瞬間はあっという間に過ぎて、また日常がやってくる。
大きすぎる自然のただ中で、小さすぎる自分を等身大に感じた直後の、脱力感。
この夏が、この季節が、なんらかの英気をおいらに送ってくれた。
雨の後のむっとするような、緑の匂いが、おいらを現実に戻す。

今までだって何度もあった感覚だ。
作品を創る。
舞台公演を一本やるにも、事務的な事や、現実的な事が山のようにあって、対応を迫られる。
そんな作業をしながら、同時に、作品を創ることは、作業では出来ない事だと自分に言い聞かす。
舞台の向こう側に、観てくれる誰かがいるから、作業だけでは作品は創れない。
そこには、太くブレない思いがある。
だからと言って、思いだけでも、作品にならない。
作業と思いの両方を失わぬまま、例え、どれだけ多くの物を背負い込んでも、前に進む。
それはまるで、鎖に縛られたまま進む、巨大な牛のような足取りだ。
重くなった足に、軋む骨に、痙攣する筋肉に、鞭を打つ。
そんな道程の中で、必ずやってくる。
ちっぽけすぎる自分が、やけに等身大に感じる瞬間が。
この感覚が。

遠雷がおいらの中の何かを目覚めさせた。

この作品を、遠く遠く、広く広く、伝えることは、おいらの使命だ。
誰の為でもないのかもしれない。
必ずまだこの作品を知らない誰かに、おいらは、この作品を運んでいく。
それだけでいい。
たったそれだけの思いで進む。
絶対に届けるのだ。

その時。
おいらには、見えるだろう。
遠い空に、光を。
闇の中に、光を。
早い風の下で。
響き渡る音を聞くだろう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:25| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする