2016年08月19日

地道な事が積み重なって大きな何かが出来る

近所の建築業者に電話をかけてみる。
家のすぐ目の前にある置き場の業者だ。
もしかしたら、廃材が出てくるかもしれない。
もちろん、本図面があがるまで、実際に必要な部材の量はわからない。
すでにいくつかの材料もあり、恐らく、皆で集めれば、充分ぐらいではないかと言われてはいるけれど。
遅れを取るようなことのないように、今から少しずつ少しずつだ。
いただいた美術イメージを実現できるように。
図面を睨みながら、これは必要だよなというものを先回りして探している。
実際に、作り込む中で、足りなかった!とならないように。

ちょっと今、思っているのが、美術のイメージをデータでも頂いたことだ。
折角データでも頂いたのだから、メールで送信も可能だ。
もちろん、このBLOGに掲載することだって可能だ。
・・・もちろん、勝手に公開するわけにはいかないけどさ。
役者に共有して、これを皆で創るよ。ここで芝居をしようよ。と送ることも出来る。
ただ、まだイメージで、イメージからの打ち合わせが終わった段階だから。
決定版の方がいいのかもなぁと躊躇してしまう。
まぁ、その時の感覚で、やっぱ送っておこうとなれば、送ろう。

イメージや図面を見ただけでは、実はちょっとわからないだろうなぁという部分もある。
おいらはロケ候補地を知っているから、ここがどこで、ここがどのぐらいの距離でというのが解る。
図面を見れば、ここに必要なもの、今ある部材だけでは無理なものも見えてくる。
だから、稽古場に持っていって、説明しながらじゃないといけないかもなとも思っている。
そのバラック街なイメージだけで、想像を膨らませてしまっては、多分、色々ずれてくる。
あくまでも、これはイメージで、図面から見ると、ここはこういうスペース感だよという説明が必要だ。
いきなり、写真転送しても、わあすごい!だけで終わってしまうのではないかという不安がある。

何故なら、今回の映画撮影は特殊なのだから。
俳優たちも、きちんと理解するべきだと思う。
どこがどこになって、どんな広さで。
ここで、どうやって撮影をしていくのか。
ここで、どんな風に、シーンを作っていくのか。
より具体的なイメージを持って稽古した方が良い。
なるべく撮影本番を想定しながら、そこにどうやって生きるのかを想定しないといけない。

このイメージは、絵画ではないのだ。
芸術作品でもない。
最終的に組みあがる美術のイメージなのだ。
監督に美術スタッフが説明したのと同じだけ、俳優にも説明した方が良い。
思ったよりも●●だったという誤差を今から出来るだけ潰さないと。
絶対にイメージと実際では誤差が出るのだから、そこを小さくする努力をしたい。
どう説明すればいいかな。
多分、このイメージを観たら、どんとイメージが頭に入って、それが一番大きくなっちゃうな。
実際の距離感や芝居をするスペース感まで、なんとか伝えないとだ。

うん千万円という予算の映画にも引けを取らない美術が出来る。
ここから更に努力も必要だし、アイデアも必要だけれど。
組み上がった美術が確実に時代感を表現してくれる。
その為に、何から始めるのかって事だ。

出来ることを選ばずに手を付けていこう。
今週末、近所の建設業者さんと話をしてくる。
小さな事だけど、それが、更にこの美術のクオリティを上げてくれると信じている。

もやの向こうに満月。
満月の日に始まったこの企画。
撮影まで、満月はあと2回しかやってこないだろう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:19| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月18日

安全に対する意識

舞台ピーターパンの事故のニュースが流れた。
小劇場の世界でも、舞台事故のニュースが流れるとすぐに噂になる。
3mの高さから頭を下に飛び込んで、1m手前で止まるという仕掛け。
驚いたのはその危険性なのに手動でのロープ操作で。
操作を誤って、眼窩底骨折になったという報道だった。

細かい部分まで報道されていないし、実際の安全装置がどういう仕掛けかもわからない。
頭を下に飛び込んで、骨折だけなら、恐らく、なんらかのブレーキはかかっていたけれど、遅かったという事だろうか。
少なくても3mから頭を下に飛び込んでなんのブレーキもなければもっと重大な事故になったはずだ。
報道では触れていないけれど、当然、警察が事故の検証もしている筈だ。

映像の世界でも、舞台の世界でも、事故は起きる。
ニュースになるのはその中のごく一部だったりする。
映画で俳優が骨折したというニュースなど時々見かけたりするけれど。
詳細や、検証結果などは余り報道されない。
報道されないような細かい事故もたくさんある。

劇団でも、今まで事故がゼロだったわけではない。
舞台前のリハーサルで、舞台から役者が落ちて救急車が来たこともある。
その時は、当然、警察の現場検証があった。
大きな事故はそれぐらいだ。
後は、役者が自分から壁に向かって激突してしまったとか、立ち回りの稽古でとか。
擦り傷や、切り傷、打撲程度の怪我は実は日常茶飯だったりする。
それも、怪我がないように細心の注意を払っている。

舞台の世界は、恐らく、映像の何倍も事故に対しての注意を払っている。
舞台本番は実際にお客様の前で行われることであり、本番中の事故は、公演の中止にも繋がるからだ。
俳優が裏導線を移動中に釘一本踏んでしまえば、その舞台は終わってしまう。
舞台監督は、過失が認められれば、当然、逮捕される責任まである。
本番やリハーサル前に、必ず明るい中で、危険な場所がないか注意する。
俳優が宙に浮いたり、舞台セットの転換や、暗転などの、危険性の高いものは入念にリハーサルをする。
舞台の天井からぶら下がった照明はネジで止めた上に、チェーンでセーフティをかけている。
釘の頭が少しでも飛び出ていれば、打ち込むなり、養生テープで保護をする。
安全性の確保は、公演の成功を祈願すれば当然の事だからだ。
舞台監督は、何よりも安全性を考えて仕事をする。

聞いた話だと、映像の世界でも当然、事故に対しての注意を払っているというけれど。
舞台ほど徹底はされていないんじゃないかと聞いたことがある。
事故が起きても、ただちに中止に繋がらないし、観客の前でもない部分では、猶予がある。
例えば、セットのパネルが倒れてしまっても、元に戻せばいい。
普通のパネルが倒れるぐらいでは怪我をすることはほぼないし、お客様の前でもないのだ。
撮影現場で、釘が落ちていることぐらいなら、時々あるよなんて聞く。
釘一本落ちているぐらいで怪我をする可能性なんてほぼないのだから、舞台だと神経質になるだけだ。
大きな怪我の可能性がなければ、そこまで神経質にならないでも済む。
逆に怪我の可能性があるなら映像マジックでごまかせる範囲でどこまでも安全を徹底する。
カメラに映らなければ、安全帯をつけても問題ないからだ。

今回のセブンガールズ。
今の計画のままの美術製作で進むなら。
おいらは、この安全性に特に注意を払おうと思っている。
映像には映らないし、場合によっては神経質すぎる部分も出てくると思う。
ただセットを組んで、撮影するだけなのに、そこまではいいんじゃない?という部分までチェックしたい。
美術さんは、恐らく、ディティールまで拘ることになると思う。
セットを組み立てれば、当然、撮影効率を考えたりすることにもなるだろう。
だからその脇で、徹底的に、おいらは安全性に注目して、注文を付けようと思っている。
その場で美術を一緒に創りながら、ここは人が通るので、危ないです等、声を掛けようと気にしている。
おいらがたんこぶを作っても、笑われて終わりだけどね。
なるべく、俳優たちが安心して撮影に臨めるように、そこに拘るつもりだ。
もちろん、舞台とは色々な面で違いが出てくるのも、想定している。

安全性に関しては、誰でも、何人でも気にしていいのだ。
複数人が気にすれば、それだけ安全性が高まる。
美術のディティールや、大道具の段取りは、専門家がいるのだから。
おいらは、安全チェックこそ、わかる範囲以上に見るべきだと思っているのだ。
今までの舞台でも、舞台監督さんに、確認するようにしてきた。
それを更に入念に出来るようにしたい。
まして、地面だ。舞台ではない。
小石が落ちているのが普通の事で、小石で怪我しないとも限らないのだから。

勢いでやることは出来る。
美術の建込みは、夢中にもなる。
でも、そこで、安全について、ちゃんと考えようと意識しておく冷静な自分でいたい。
それは、転ばぬ先の杖だし、なんの役にも立たない可能性も大きいけれど。
そういう面では、常に最悪の事も想定して動くのが何よりも安心を生む。
安心があれば、それだけ、芝居にも余裕が出来ると思う。

舞台や撮影現場での事故のニュースを見るたびに。
読み流さずに、ちゃんと、詳細を確認する。
安全のための施策をどれだけしても、ある一定の確率で事故は起こりうる。
多くのケースを把握しておくことは、全ての舞台人にとって、重要な事だと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:47| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

青天井

人は環境に順応する。
厳しい環境にも耐えられるようにする重要な機能だ。
でも、逆を言えば、厳しくない環境にもすぐに慣れてしまう。
自分が恵まれているなんて、すぐに、忘れてしまう。

今、窓の外は、台風7号が運んできた風と雨が轟轟と吹き荒れている。
おいらは、部屋の中で、屋根の下で、台風が過ぎるのを待つだけだ。

青空教室という言葉を知っているだろうか?
焼野原の中、学び舎も焼けてしまっているのに、子供たちは通学したのだ。
青空の下、椅子だけ並べて、勉強をしたという。
今だったら休学になったり、どの親も学校に行かせないのではないだろうか。
子供がどんなに嫌がっても、学校に行くことは子供の仕事だった。
熱があろうが、弁当がなかろうが、学校に行きなさいという親は多かった。
おいらが子供の頃も、37度ぐらいじゃ、学校を休ませては貰えなかった。
そういう時代の違いがあるとしても、青空教室なんて言葉が残るのは、ちょっと驚く。
屋根がなくて、空の下で勉強なんて・・・。

もちろん、子供だけではない。
他に残っている言葉で「青天井」なんて言葉もある。
もう空を天井だって言い切ってしまう。
今では、制限なしみたいな意味で使われるけれど。
元々、屋根がないことを開き直った言葉だ。

焼野原になったのは、終戦後ではない。
戦時中に東京大空襲は始まったからだ。
1944年11月から、終戦の1945年8月まで続いた。
軍事施設から、ハッキリと、市街地を目標に切り替えている。
空襲があるたびに、数千戸という単位で、家がなくなっていった。
爆撃だけではなくて、焼夷弾で、火事が起きるという事も大きかった。
焼夷弾という武器は、軍事施設よりも市街地爆撃を始めから目的に創られた武器だ。
焼野原になって、誰もが最初にやったことは、雨露をしのぐことと。
冬に始まり、梅雨があり、炎天下があり、台風の季節に終戦を迎えた。

終戦になると同時に、配給が止まり、信じられないようなインフレがやってくる。
預金は封鎖され、手持ちのお金も価値が落ちてしまい野菜一つ買えない。
値段が高いだけではなくて、物の数も揃っていなかった。
空襲の被害者の数も甚大だけど、終戦後の餓死者の数も、それに並ぶという説があるぐらいだ。
71年前の今日、終戦の二日後、急遽千円紙幣が発行された。
それまでと、敗戦以降では、使用する通貨の単位が変わった。
百円札が小銭としてしか使えなくなった。

今、台風の中。安全な屋根の下にいて。
セブンガールズという作品に取り組みながら、想像でしか埋められぬ余りの違いに愕然とする。
この前提をまず自分の体に叩き込まないと、役作りもくそもない。
生きることに夢中で、あの頃の事はよく覚えてない。
そんな言葉を色々な人から聞いた。
生きることに夢中にならないと、そもそもが芝居にならない。
そういう限界の状況下で、人間らしさや、そいつの本質が出てくる。
そういう状況に追い込まないといけない。

去年の今頃。
実は舞台のセブンガールズの稽古をしていたことを思い出す。
あの頃、今のこの環境なんて想像出来なかったはずだ。
小劇場に向かって、この作品を好きだと言ってくださるお客様がいるプレッシャーと戦っていた。
去年の環境の中で、苦しんでいた。
それが、信じられないことに映画にすることになった。
決まった時、ある役者は、俺は1シーンだけでもいいよ。全力を尽くす!と口にした。
あの頃の環境では、映画に実際に自分たちの作品で出演するということが実感できていなかった。
今、キャスティングも終わって、この環境の中で、忘れがちな事だ。
映画で思い切り芝居が出来ることが、去年に比べてどれだけ恵まれているか。
今まで積み上げてきたものを総決算できる場を頂いたことがどれだけ尊い事か。
もう一度、噛みしめなくちゃいけない。

環境に慣れるな。
常に、今、自分の立つ場所を見るべきだ。
環境なんて言うのは実は幻に過ぎない。
昨日と今日とはまったく違う一日なのだ。
状況なんて刻一刻と変化し続けるのだ。
誰が映画化を想像した?
誰が焼野原を想像した?
その日を生きるんだ。

明日、青天井で寝るかもしれない。
世の中、何が起きるかなんてわからないさ。
環境に慣れることはきっと、人間の持つ防衛本能に過ぎない。
それが当たり前だと感じるだけで、精神的な余裕が出来るだけだ。
だけど、防衛なんかしないで良い。
生のままの自分でいれば良い。
傷つく時は、大きく傷つくけれど。

今はそれでいい。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:46| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする