美術を想定した稽古を始める。
稽古開始前、まず図面から説明する。
その後、ロケ候補地の写真でそれがどこに当たるか説明して、最後にイメージを見せる。
監督が到着すると、早速、美術プランに合わせた改訂校を持ってくる。
すぐにコピーして、配り、美術プランを想定したうえでの稽古が始まった。
実際に、広さを確認すると、色々とわかることが出てくる。
紙に書かれた図面で想定していることと、立ってみると違う事が出てくる。
全て、美術監督に伝えられるように覚えていく。
ここからこう撮影したいから、この戸をこうして欲しい。
ここは芝居上、こういう仕切りじゃないと、色々合わなくなる・・・等々。
本図面が仕上がる前に、少しでも早く伝えないといけない。
その状態で稽古が始まった。
改訂と言っても、大きくセリフが変わったわけではない。
動きの部分や、芝居の連続の部分が、美術プランが見えたことで変わっている。
シーン番号も大きく変動する。
一つ一つのシーンが繋がって長くなった。
その状態で、全員が美術プランにのっとって稽古をする。
想像以上の連続した芝居に、大きな手応えを感じる。
それは、まぎれもなく、監督が元々持っている、あのリズムがあった。
おいらが記憶する、ヒーローMONOのオープニング映像。
次から次へと、登場人物が出てくるそのテンポこそ、監督の元々持っているテンポだ。
一つ一つのシーンをじっくり撮影して繋げていく何倍もおいらは好きだ。
うまく説明できないけれど、芝居をしているのを観て、中野圭と、これ、面白い・・・と言い合っていた。
確実にこの撮影方法の方がリアリティが一段上がるなと感じる。
これをうまく説明することが出来ないのがもどかしいけれど。
劇団の舞台が持つ、あのテンポの映像版という事だ。
自分が演じるシーンも稽古してもらえた。
相手役が、どういう心情で創ってきたか、目が合ってすぐにわかったんだけど。
監督が、それとは逆方向の演出を要望した。
あ、これ、やりづらいだろうなぁと思った。
だから、納得するまでやろうと言った。
創ってきたものと逆を要望されることも稽古場ではある。
一瞬、自分の心の持ちようがわからなくなることは、役者によくあることだからだ。
重ねて稽古をしているうちに、その要望が馴染んできた。
「裏」を作っているという実感があった。
美術プランを説明したにもかかわらず、屋根や庇の位置を把握していない俳優もいた。
説明をちゃんと聞いてなかったな。コンニャロ。
もちろん、現場に入ればすぐに理解できることだけれど。
今回は、ちゃんと理解して、稽古場で芝居を作り込んでいくんだから、理解しないとダメ。
だから、何度でも説明した。
ここが玄関で、ここが奥入り口。ここが庇。
監督が、どこそこに立って、このタイミングでどこそこに行ってと演出した時に。
共通した位置などのワードを理解していないと、どんどん、演出に落ちこぼれていくことになる。
だから、注意深く何度でも説明していかなくちゃいけない。
理解のスピードもあるし、空間把握能力にもそれぞれ差がある。
しつこいぐらいに、説明し続けるしかない。
先週までの稽古とは明らかに違った。
少なくても、監督の頭の中に想定している映像世界が確実に具体的になっている。
もうテクニカルな稽古は過ぎ、それぞれの役の持つ気持ちの部分にも突っ込み始めている。
監督のイメージが、どんどん具体化していくスピードと、役者がそれを理解するスピード。
そこには、個々人で当然、差が出てくるだろうと思う。
そこを役者同士で、少しでも埋めていかないといけない。
何故なら、それが劇団という団体の持つ最大のメリットだからだ。
ここはこうなんじゃない?
これはこんな気持ちでやってます。
そう意見しても、即座に否定されたり、却下されたりすることもある。
それは、とっても、俳優としては恥ずかしい事だ。
でも、恥ずかしがらずに積極的に言うようにしている。
それは違うと言われてもいい。
なぜなら、「それは違うという監督のイメージ」がわかるからだ。
なんにも恥ずかしい事なんかない。
今は、とにかく、一つでも多くの監督の映像イメージを共有していく作業が第一義だ。
確実に今日、稽古のギアが一段上がった筈だ。
それを全員が感じているといいなぁ。
ここからは、もうこのシーンの稽古は今日が最後だと思って挑まないといけない。
時間は有限だ。
これは、演出前稽古だと思っていたら、時間が足りなくなった時に慌ててしまう。
時間が足りなくなっても、今日の稽古があったから大丈夫ぐらいまで理解を深めようと思う。
実はあるシーンの稽古で泣きそうになった。
すでに、そんなシーンが生まれた。
そして、そのシーンを撮影した映像を観て、とても、素晴らしいと思った。
このシーンをこんな風に撮影したいのか!と。
これが、長編となってパッケージになった時に。
どんな映画が生まれているだろう?
想像しろ。
想像しろ。
このリズム。
このテンポ。
この映像。
この美術。
とても困難な事だけれど。
とても素晴らしい作品になると確信している。
監督の思い描く脳内の映像を、更にパワーアップするような芝居をしたい。
脳内の映像を更に何段階も越えてゆかなくてはいけない。