2016年08月28日

初期衝動2~前方公演墳

3本、自分の作・演出・出演という形で舞台をやった。
作家になりたいわけではないのに、やったのは、他に方法がなかったからだ。

その経験を買われて、前方公演墳の旗揚げの手伝いをすることになった。
状況を聞いて、それが初舞台だという俳優がたくさんいることを知ったからだ。
初舞台は絶対に忘れることが出来ないものだし、たくさん反省するものだ。
その反省が、別の方向になっちゃいけないと思っていた。
照明さんが、照明会社に入ったばかりで、プランも初めてというようなスタッフと言われて。
それは手伝わないとまずいなって思ったからだ。
照明の仕込み図を読める人間も恐らくいないし、一人で仕込むなんて絶対に不可能だと思った。
照明がつかない初舞台だったり、電圧計算がずれて、本番中にきれたりしたらと思ったらぞっとする。
プランを見せてもらって、とにかく、なんとかしようと思って劇場に行った。

中野ザ・ポケット。
こんな舞台で初舞台を踏めるなんて幸せだなぁって思った。
おいらの初舞台は定員80名の客席の椅子も足りないような劇場だった。
小屋入りするなり、どんどん照明を吊って、回線を仕込んでいった。
落下防止チェーンのチェックも、怖いから全てやった。
照明の事を知っている人間はやっぱり誰もいなくて、仕方ないから脚立だけ支えてもらった。
にもかかわらず、仕込みの時間が異常に少なくて、本当に開幕できるのか冷や冷やした。

なんとか、照明が灯って、お役御免と思ったけれど、それだけでは済まなかった。
まともな劇団の制作がないままの旗揚げだったのだ。
セッティングした客席の数よりも多い数のチケットを売っていた。
受付は用意されていたけれど、場内整理という概念がなかった。
おいらは、開幕まで走り回って、劇場にある椅子という椅子をお客様が来るたびに運んだ。
すでにお代を頂いているお客様を席がないと追い返して大クレームになるような初舞台にするわけにはいかなかった。

今になって落ち着いて考えると、前方公演墳の舞台もまさに初期衝動の塊のようだった。
チラシは、デビッド・宮原本人が、写真を切り貼りして、自分で創ったものをカラーコピーしていた。
チケットも、手作りでコピー機でコピーして切ったものだった。
大道具も、どこからか切り出してきた竹や、ビールケースを組み合わせていた。
照明さんも、初めてだったし、音響さんはセブンガールズの音楽担当でもある吉田トオルさんだった。
全て、劇場側のスタッフさんに確認しての仕込みだった。
そして、制作部がなかった。
手伝いに行ったおいらやほかの何人かの食事がなくて、あわてて買いにいっていた。
結局、劇場の外にブルーシートを敷いて、そこで、おにぎりを食べた。
スタッフさんの食事すら、誰もどうするか考えていなかったのだ。
舞台経験者は何人かはいたけれど、役者として立っただけで、劇団運営や、制作の経験者なんていなかった。

それにしても、その状態で、よく旗揚げまで漕ぎつけたよなぁと思う。
主宰が写真を切り貼りしてチラシを作っただけでも、今なら驚いてしまう。
制作面も、照明も、ほとんど準備がないまま、よく本番を迎えたと驚いてしまう。
今のおいらが見たら、怖くて、公演なんかできない。
役者は、スタッフ仕事なんか役者はしないでしょ?と当たり前に思っていた。
客席をつくるために、楽屋の椅子を運んでいたら、普通に役者からクレームさえ言われた。
お前の初舞台を成功させるためだわ!とは、言わなかった。
とにかく、知らないのだから。
ああ、わからないんだ。そうか。わからないまま本番を迎えるのか。
おいらは、そう思っていた。

そのまま2回、公演を手伝って、2回目の公演後に、劇団に誘われた。
誘われた経緯は前にここに書いたと思う。
2回目の公演後の反省会から、おいらは稽古に参加して、今に至る。
その反省会は、ちょっと、面白いほど、トゲがあった。
ああ、こういう感じなんだなぁ。
そんな風に思った。

その2回の公演は、やはり初期衝動というもので動いていた部分がたくさんあったと思う。
少なくても、最初の2回の公演は、前後編に分かれている同一の作品で、旗揚げ前から書いていたものだ。
おいらが参加した3回目からは、実際に旗揚げをしてからの新作になる。
舞台を想定して、何をするのかがわかって、そこからが継続と向上のスタートだった。
そこから先は、衝動だけで出来るものではない。
続けることだけを決めても、どこかで息切れしてしまうのは目に見えている。
チケット収入から逆算した予算の確立、公演前の制作班の設立、年度ごとの目標。
舞台をやる!だけでは出来ない、継続するための準備期間に入った。
少しずつでも、大きな劇場に進出していくという目標の中で、作品性も、スタイルも固まっていった。

デビッド・宮原という人は、おいらなんかに比べれば、ずっと慎重な人だ。
おいらほど無謀な事をするタイプの人ではない。
それでも、自ら台本を書いて、演出して、チラシまで作って、劇団を旗揚げさせた。
とにかく、船を海に浮かべてみた。
慎重な人だからこそ、おいらに手伝ってと声をかけたのだと思う。
その後、何度もおいらが提案した無謀な話をいさめてくれている。
そんな人が、もうやらなければいけない。そういう決断をしたってことだ。
そして、その決断からもうすぐ18年という月日が経った。
初期衝動だけでは絶対に不可能。
ましてや、大きな劇場に進出したものの、メジャー劇団と言われるわけでもなく、誰かが売れるわけでもなく。
安定した老舗の劇団的に言われることも多くなってきた現在の状況で。
それでも、続けられるのはなんでなんだろう?と考える。

慎重な人の決断は重い。
思うようにいかなかったことが殆どだけれど、信念はずっとあった。
いや、あったではなくて、今もある。
その信念が、初期の衝動として旗揚げに向かったのだと思う。
自分たちの力で前に進む。
そういうことだ。
安定なんか何もしていない。
経験が積み重なっているだけだ。
今でも、やっぱり、挑戦し続けている。
きっと、ずっと応援してくれている古くからのお客様はわかってくれていると信じている。
安定や現状維持を目指したことなんか、一瞬たりともない。
曲がらない信念のまま、今に繋がっている。
今思えば、無茶な旗揚げ公演も、やっぱり無茶な理由があるのだ。
無茶でもなんでも、始めなければ、始まらなかったのだ。

まるで地下から空を睨むかのような。
そんな衝動でこの劇団は始まった。
もちろん、劇団員たちもそこから始めている。
今でも、空をみているか。眺めているか。睨んでいるか。

あの初期衝動は間違いなく今回の映画化にも続いている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:28| Comment(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

初期衝動1~初舞台

初舞台は誰でも忘れられないものだ。

おいらの初舞台は、初期衝動の塊のようなものだった。
先輩の発表会の音響スタッフについて、その流れで、先輩の舞台の仕込みやバラシを手伝った。
そのまま打ち上げにも誘われて、泥酔し、一緒に行っていた何人かと、舞台に立ちたくてしょうがなくなった。
それは、まさに衝動と呼べるもので、身動きが出来ないぐらい感情が高ぶってしまった。
泥酔した酒が残ったまま、劇場を調べて、そのまま劇場に行き、劇場を抑えてしまったのだ。
その時点では、たったの3人だった。

酔いが醒めてから、自分たちが起こしてしまったことの重大さに気付く。
既に劇場は抑えてあって、日程も決まっているのに。
何をやるのかも、誰とやるのかも、それどころか、どうやって舞台をやるのかもわからなかった。
予算だって1円もなかった。
衝動に突き動かされて、大変な事を決定してしまっているのに、青くなった。
18歳の若さが持つ衝動は、今、考えると滑稽で、少し憧れてしまうようなものだ。

その日から、まずメンバーを集めた。
一緒に舞台に立つ人間すら決まっていないのだからそうなる。
10人集まったところで、それぞれに資金を集めて、ギリギリ出来るかなぁレベルの予算になる。
そこから、今度は何をやるのかの話になった。
どう考えても、逆なんだけれど、実際に公演が決定してから作品について考えることはよくあることだ。
とは言え、作家もいない、台本もない、自分たちが表現したいことも決まってない。
そんなコンセプトすらない状態で、何も考えられないと言っても良かった。
一人だけ、オリジナルを書きたいというメンバーがいて、あとはそれぞれに持ち寄ってオムニバスに決定した。
稽古場は、メンバーの中に教会の娘がいて、そこで稽古をさせてもらえることになった。
金も、考えも、何もないけれど、時間だけはあった。

その段階で、公演をした先輩に相談を持ち掛けた。
先輩は、当然だけれど頭を抱えた。
舞台には、照明が必要で、大道具が必要で、音響が必要。
そのスタッフさんをお願いする予算すらないのに、ただやりたいだけで、劇場を抑えていたのだから。
その日から、おいらのスタッフさん行脚が始まった。
知り合いや、知り合いの知り合いレベルでも、なるべく舞台の現場に顔を出した。
照明について学び、舞台監督について学び、音響について学んだ。
全て、自分たちでやれるだけやらないと成立しなかったからだ。
制作は、女子に任せた。
チラシや宣伝など、諸々手間な部分はお任せするしかなかった。

酷い大道具だった。
劇場にあるもので基本舞台を創り、黒幕で覆った。
椅子と机以外は、ロクに道具なんてなかった。
いくつか、段ボールで創ったパネルまであった。
照明は劇場の付帯設備で、地灯りを組んだ。
それ以外は、いくつかしかなかった。
図面は全て、おいらが引いて、知り合いの照明さんにチェックしてもらった。
音響は、それぞれに持ち寄って、おいらが手でオープンリールの編集をした。
出来上がったテープのキッカケ表まで作って、出演していない役者がブースに飛び込んで操作した。
チラシは、撒いたけれど、あまり広くは宣伝できなかった。
実は、外で勝手に舞台などやったら、その時に在籍していた学校を退学しなくてはいけなかったからだ。

小屋入りすると、先輩が来てくれた。
呆れながらも、たくさんの助言をしてくれた上に、手伝いにも来てくれた。
幕が開くと、驚くほどのギュウギュウ満員の客席だった。
チケット代を安く設定したのもあったけれど、学校に内緒のゲリラ公演は諸先輩などが興味を持った。

おいらたちは、異常な緊張をしていた。
ウイスキーを楽屋に隠し持ってきて、回し呑んだ。
そこから、あっという間に公演は終わった。

打ち上げで浴びるほど酒を飲んだ。
思っていた何倍も高い評価を頂いたのもあるけれど。
それよりも何よりも、自分たちで舞台を成し遂げることが出来たこと自体に痺れていた。
何人かの役者が、酒の席で号泣した。

今、思えば、無謀と言う他はない舞台だった。
ただ、あの経験は今にも生きていて、同時に初期衝動のもつパワーを思い知った。
先輩には後にも先にも、こんなことする奴らはいなかったと言われる。

ロックバンドは1枚目のアルバムに全てが詰まっているなんて言われる。
それは、初期衝動の塊だからだ。
一番難しいことは継続する事であって、様々な側面が発生してからが勝負だ。
経済的な事、人間関係の事、モチベーションの維持、向上心の維持。
初期が稚拙なのは当たり前のことで、そこからが勝負になる。
今回の映画は、初期衝動とは言えない。
劇集団として、すでに20年に近い日数を数えてきているのだ。
少なくても、今までも自分たちの歴史があって、ただやりたいで動き始めたわけでもない。
とは言え、初期衝動が持つような、強大なエネルギーが絶対的に必要だと思っている。
あの時、学んだ、出来ない事なんて何もないんだという強い意志が、今を支えている。

10代の頃のようなエネルギーがあるかと聞かれたら、顔を伏せてしまいそうになる。
あの頃のおいらは、今思っても、超人的だったように思う。
寝ていたんだろうか?
ちょっとした移動でも走っていた記憶がある。
今のおいらは、もう少し、自制できるようになっている。
その分だけ、あいつよりも、あの時の自分よりも、一歩遅れるんじゃないかって不安になる。

人生で何かに必死で打ち込む機会なんて何回あるだろう?
常に必死だよ!なんて思いたくもなるけれど。
あの日、あの時間を思うと、そこまでじゃないかもなと思ってしまう。
自分が生きていくうえでの宝物だ。
今回も、宝物にしなくちゃいけないと思っている。
全力で取り組むんだ。

あの衝動に突き動かされた日々のように。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 18:12| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

恋にも似た、片思いにも似た

もし日本映画が世界のマーケットでは停滞しているのだとして。
その打開方法を聞かれたら、なんて答えるだろうか?
色々と観ていれば、例えば国の助成金の問題であるとか。
若手映画監督が活躍できる場を増やすことだとか、様々な人が様々に回答している。
そのどの話も納得できるし、恐らく間違っていないし、とても勉強になる。
そして、どの人も皆、とても映画という表現方法を愛している。

リオ五輪の閉会式の日本のプレゼンを観て、おいらは、とても感動した。
あの映像、その後のダンス、全てが世界を驚かせていた。
実際に会場にいた人たちが、閉会式で一番の盛り上がりを見せたと言っている。
世界中の新聞が、絶賛している。
批判しているのは、精々日本の一部だけだ。しかも政治的な理由で。
レインボーブリッジを高跳び選手が越えていったり、次から次へと、スポーツと東京を表現していた。
ドラえもんやキティちゃんやマリオ、翼君などの日本のコンテンツも登場した。
どのカットも、一瞬と言えるようなあっという間の時間だったのに印象的だった。
おいらが、何よりも素晴らしいと思ったのは、日本の若いクリエイターを登用したことだ。
これまで、こういう場には大抵、大御所と言えるような人が演出家として君臨していたように思う。
確かに世界的にも著名な大御所が日本人にもたくさんいるけれど、その何倍も良かった。
やっぱり、若いクリエイターは、現代を捉える力が、感覚的に何歩も先を行くからだ。

CMを観ても、音楽PVを観ても、或いはゲームでも良いけれど。
今の若い映像クリエイター達は、とんでもない作品をたくさん発表している。
世界に通用するようなクリエイターは山のようにいて、凄いなぁと思う。

だから、前述された質問をもし、おいらが受けたら、回答は既に決まっている。
日本映画が世界のマーケットで更に評価されていくのだとすればその方法は一つしかないと思う。
才能が豊かな映画監督は、山のようにいるように思うからだ。
もちろん、資金的な問題などは様々にあるだろうけれど、それが一番の問題とも言えない。
アジアではもっと資金が少なくても、世界にとどろくような作品が生まれているのだから。
おいらが、思うのは、やはり、俳優だと思う。

これは、恐らくだけれど、今、俳優をやっている人だったら誰だって頷くんじゃないだろうか。
もちろん、おいらから見れば、すげえなぁって役者は、もちろんたくさんいるのだけれど。
すげえけど、そのすげさを完全に映画で発揮出来ないんじゃないかなぁと思っている。
これまで評価されてきた映画監督は、必ずと言っていいほど、パートナー的な俳優を見つけ出している。
黒澤監督なら三船敏郎さんや志村喬さん、小津監督なら笠智衆さんや原節子さん。
監督の作品を深く理解し、監督はその俳優の持ち味を深く理解し、最高のタッグパートナーになっている。
恐らく映画監督にとって、その出会いは、もっとも大きな出会いの一つだったはずだ。
漫画だって、手塚漫画のひげおやじや、松本零士さんのハーロックとトチロー。名優は必ず名作に出演する。

その出会いがオーディションなのか、たまたま何かを観てなのか、舞台に足を運んでみつけたのか。
それは様々なのだと思う。
三船さんにしても笠さんにしても、見つけられた時に売れっ子だったわけではない。
やはり、監督がこいつとなら、すごい作品を創れると確信する何かがあったのだと思う。

もちろん、現代の映画を観ても、あの監督の作品には、あの人がよく出演している・・・ということはよくある。
ただかつての、映画監督と俳優の関係性にはとても及んでいないんじゃないかと思える。
恐らく、深い関係性じゃなくても、監督と俳優のディスカッションはどんな作品でもあるし、真剣な筈だ。
それなのに、やっぱり、及んでいないように思えるのは何故なのだろう?

おいらは、多分それは、恋のようなものなんじゃないかって思っている。
お互いがお互いを勝手に理解した気になって、思い入れて、熱くなっている。
そういう関係性だったんじゃないかなぁって、勝手な想像をしている。
作品の軸であったり、その作品を運ぶ役割であったりを任せられる俳優って、中々、どの監督もいないと思う。
きっと彼ならやってくれるという希望も入ってのキャスティングだろう。
まして、動員に関わる人気であるとか、スポンサーであるとか、様々な要素がキャスティングには入っていく。
映画という作品を創るにあたっての、恋人のような存在を創るのもきっとやりづらいだろうと思う。
だから、俳優なのだ。選ぶ側ではなくて、選ばれる側なのだ。
日本映画を変えるとすれば、やっぱり俳優なんじゃないかって思うのだ。
俳優が、その映画監督に出会えるかどうか。
いや、出会っていることに気付けるのかどうかなんじゃないかって思っている。

劇団では、台本を書く時に、当て書きも多い。
その俳優をイメージして台本が書かれているのだ。
シナリオを書いてからキャスティングする映画とはそこが違う。
確かに劇団なんてとても小さいコミュニティだけれど、創作のゼロの地点から、全てが見えている。
だからこそ生まれる信頼であるとか、思い入れがある。希望がある。
きっと、映画でもそういうことが出来るようになれば、劇的に世界で評価されるようになるだろうなって考えている。

セブンガールズという映画は、そういう一歩目を踏んでいる。
そして、勝手ながらおいらは、デビッド・宮原の作品を一番自分が表現してきたと思っている。
物語の軸も、物語を運ぶ役割も、今までずっとやってきた。
もちろん、こんなのは勝手な片思いと言われても仕方がない事だ。
監督からすれば他にいないからおいらにやらせただけかもしれないのだから。
劇団員の何人もが思っているだろうし、おいらはおいらで、自分が一番なんだって思うだけだ。
でも、監督がおいらという俳優を深く理解してくれていると確信しているし。
おいらはおいらで、監督が本来持っている、従来の枠にはまらないような感覚を知っているつもりだ。
時には、言い合いをしているように見る仲間もいるけれど、信頼があるからこそだ。
どの俳優よりも、おいらはデビッド・宮原という監督を信頼している。

映画製作に関わっているけれど。
おいらがするべき一番の仕事は決まっている。
デビッド・宮原の作品性を、誰よりも知っている俳優として、この作品で演じることだ。
それは、この作品をすごいものにするってことだ。自分の芝居で。
絶対に他の誰にも出来ない代替えの利かない芝居をするって事だ。
ここだけは、小野寺じゃないとどうにもならないっていう芝居だ。
どうだ!すごい監督だろう!と知らしめるような芝居だ。

そういう俳優がいないと、世界で勝負なんかできるわけがない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:33| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする