2016年07月22日

OK

映画撮影現場にお邪魔したり、ドキュメンタリーを観ていていつも好きな瞬間がある。
撮影をして、じっと睨むように、モニタ画面を監督が見ていて、カットがかかる。
一瞬の静寂がそこに流れて、全てのスタッフが監督に注目しているのが解る。
そして監督が一言「オッケー」と言う。
瞬間、緊張は弛緩して、スタッフさんが「オッケーです!」と伝達していく。

なんというか、あの監督がOKを出す直前の瞬間。
あれが、撮影現場の様々なことが凝縮された瞬間なのだろうなぁと思う。
役者の芝居は勿論、アングルや照明等々、技術的なものまで含めて。
頭の中で完成を思い浮かべながら、その責任ある決定が出来るのは監督しかいないのだ。
監督が、もう一度というのか、オッケーと言うのか。
誰もが気にする瞬間だ。

多分、OKにも色々な意味がある。
監督の思った通りの撮影が出来た時のOKもあるだろうけれど。
編集で何とか出来るか・・というOKもきっとある。
逆に、思っていたのとは違うけれど、結果、これを使いたいというOKもあるのだと思う。
最高だからOKもあれば、いまいちだけど、まぁここまでならのOKもあるだろう。
いずれにせよ、OKを出せば、もうそれ以上の素材は用意できないのだ。
その素材を編集して作品にまで仕上げなくてはいけない。
だから、OKには、作品に対する責任がかかっている。
監督にしかわからないOKもあれば、監督にしかわからないもう一度!もあるという事だ。
どんなに共有したイメージを持っていても、そこだけは、監督にしかわからない。

泣きめし今日子や、ショートフィルムでデビさんは監督を経験しているとは言え。
初の長編で、どんな思いでOKを出すのだろう。
その責任を負わせてしまったのはおいらたちだし、もっと言えば、おいら自身だ。
最初のOKも、クライマックスのOKも。
全て、監督が出さなければいけないのだ。

舞台演出と、映画監督では、色々な違いがある。
少なくても、編集と言う最大の違いがある。
後から、自分の視点を動的に加えていくことが出来るのだから。
編集が一番の違いだとすれば、OKを出すことはその次ぐらいに違う事だと思う。
舞台演出でもOKをもちろん言うけれど、それはあくまでも舞台稽古場でのことだ。
本番は、OKもNGも言う事は出来ない。
稽古場で練って、託すのが舞台演出だ。
でも、映画監督は、役者が持つ舞台本番の緊張感を、監督が持つという事だ。
そこの責任を持つのだから。

今日まで、デビさんのたくさんのOKを観てきた。
稽古場でのOK。
ショートフィルムでのOK。
レコーディングでのOK。
そのどのOKとも違うOKを今回は強いてしまう事になる。
申し訳ないなぁと思う自分と、その選択眼への信頼と期待を持つ自分が、せめぎあっている。

OKが集まって。
作品が出来る。
たくさんのたくさんのOKだ。
色々な意味を含めたOKだ。

きっとおいらは耳を澄ますだろう。
監督の口から、その言葉が出る瞬間に。

そして、自分がOKを貰った時に、どんな気持ちになるのだろう。
想像もつかない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:12| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする