2016年07月21日

見えないことが見えるといいな

今日は涼しい日だった。

第二稿が出来たことで、色々と修正が必要になってくる。
どこから手を付けようという感じでもあるけれど。
とにかく手当たり次第に、どんどん更新すればいいかぐらいの気持ちもある。
まぁ、無駄になるかもしれない事こそ、先にやろうと思う。

初稿が上がった頃。
色々とシナリオを解析する作業から手を付けようと思って。
それが、とても事務的な作業だなぁと予想していたのだけれど。
実際に、それを始めたら、予想以上にクリエイティブな作業だと気付いた。
どのシーンがどのシーンと繋がっていて、どこで前振りをしていて。
どのエピソードと、どのエピソードが干渉しあっているのか。
今までも当然気付いていたのだけれど、より意識下に入った感じがした。

今回の企画は、当然、低予算だから、やれることは全部するつもりだ。
とは言え、当然、役者としての作業もある。
自分の役作りをより深めていきたいし、自分の芝居を追求したい。
当然、撮影日に合わせた肉体環境だとか。
アップもあるなら、最低限の肌環境のチェックまでしようと思っている。
そう考えればやることは山ほどあって、本来なら、こんなことしてられるか!となりそうなものだ。

でも、実際に手を付けると、それが全然違う事が解る。
必然的にシナリオを何度も何度も繰り返し読み返すのだから、より役者的な追及に繋がっている。
今までとは違った角度でシナリオを読むことで、芝居が深くなっていくんだなぁと知る。
前半のこのシーンの表情と、後半のあのシーンの表情がリンクするだけで、意味が出てくるなぁとか。
観ていてもわからないようなことかもしれないけれど、そんな役の深みまで見えてくる。
今まで悩んでいたシーンの答えがこっちからだと見つけやすいのかという発見まである。

結局、どこからどこまでが俳優の作業なのかもわからなくなる。
もちろん、俳優のタイプによるとは思う。
自分の登場するシーンのシナリオしか読まない俳優も中にはいるのだ。
作品の持つテーマや、自分の役が持つ役割を必要以上に追及する役者もいる。
自分以外の他者になるタイプの俳優は往々にして、他者になるための情報を求める。
自分と言うキャラクターをキャストされている俳優は、そこまで追求しないのかもしれない。
そこは、当然、何が良いとかそういう事ではなくて、言ってしまえば俳優の特徴にすぎないのかもしれない。

昨日、監督が書いたキャストの設定を清書して、設定資料に仕上げた。
まだまだ歯っ欠けだし、直しもあるはずだから、それを再度監督に送付する。
中身に赤を入れてもらって、仕上がるだろうけれど。
一人一人の役について、もう一度振り返るような作業だった。
まとめてみると、見事にそれぞれが色分けされていて、かぶるということがなかった。
そして、それぞれが複雑に関係しあっていることも改めてよく分かった。
でもきっと、まだまだ色々抜け落ちているのだろうなぁと思う。
見えているようで、見えていないこともあるのだと。

まずは、きっと、もっと知ることだ。
自分のやれることはそれしかない。
知れば、変わる。

本当に面白い作品と言うのはきっと、その作品の面白さをどこまで皆で理解できるかなのだと思う。
この役はこうあって欲しい。この役はこうじゃなきゃ嫌だ。
共演者が口に出来る作品であればあるほど、面白い作品なんだなぁって思う。
共通認識が作品の色を濃くしていく。

多分、今、一番、そういう事を肉体が欲している。
それはまるで暴力的な衝動のような勢いをもって。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:56| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする