今日は涼しい日だった。
第二稿が出来たことで、色々と修正が必要になってくる。
どこから手を付けようという感じでもあるけれど。
とにかく手当たり次第に、どんどん更新すればいいかぐらいの気持ちもある。
まぁ、無駄になるかもしれない事こそ、先にやろうと思う。
初稿が上がった頃。
色々とシナリオを解析する作業から手を付けようと思って。
それが、とても事務的な作業だなぁと予想していたのだけれど。
実際に、それを始めたら、予想以上にクリエイティブな作業だと気付いた。
どのシーンがどのシーンと繋がっていて、どこで前振りをしていて。
どのエピソードと、どのエピソードが干渉しあっているのか。
今までも当然気付いていたのだけれど、より意識下に入った感じがした。
今回の企画は、当然、低予算だから、やれることは全部するつもりだ。
とは言え、当然、役者としての作業もある。
自分の役作りをより深めていきたいし、自分の芝居を追求したい。
当然、撮影日に合わせた肉体環境だとか。
アップもあるなら、最低限の肌環境のチェックまでしようと思っている。
そう考えればやることは山ほどあって、本来なら、こんなことしてられるか!となりそうなものだ。
でも、実際に手を付けると、それが全然違う事が解る。
必然的にシナリオを何度も何度も繰り返し読み返すのだから、より役者的な追及に繋がっている。
今までとは違った角度でシナリオを読むことで、芝居が深くなっていくんだなぁと知る。
前半のこのシーンの表情と、後半のあのシーンの表情がリンクするだけで、意味が出てくるなぁとか。
観ていてもわからないようなことかもしれないけれど、そんな役の深みまで見えてくる。
今まで悩んでいたシーンの答えがこっちからだと見つけやすいのかという発見まである。
結局、どこからどこまでが俳優の作業なのかもわからなくなる。
もちろん、俳優のタイプによるとは思う。
自分の登場するシーンのシナリオしか読まない俳優も中にはいるのだ。
作品の持つテーマや、自分の役が持つ役割を必要以上に追及する役者もいる。
自分以外の他者になるタイプの俳優は往々にして、他者になるための情報を求める。
自分と言うキャラクターをキャストされている俳優は、そこまで追求しないのかもしれない。
そこは、当然、何が良いとかそういう事ではなくて、言ってしまえば俳優の特徴にすぎないのかもしれない。
昨日、監督が書いたキャストの設定を清書して、設定資料に仕上げた。
まだまだ歯っ欠けだし、直しもあるはずだから、それを再度監督に送付する。
中身に赤を入れてもらって、仕上がるだろうけれど。
一人一人の役について、もう一度振り返るような作業だった。
まとめてみると、見事にそれぞれが色分けされていて、かぶるということがなかった。
そして、それぞれが複雑に関係しあっていることも改めてよく分かった。
でもきっと、まだまだ色々抜け落ちているのだろうなぁと思う。
見えているようで、見えていないこともあるのだと。
まずは、きっと、もっと知ることだ。
自分のやれることはそれしかない。
知れば、変わる。
本当に面白い作品と言うのはきっと、その作品の面白さをどこまで皆で理解できるかなのだと思う。
この役はこうあって欲しい。この役はこうじゃなきゃ嫌だ。
共演者が口に出来る作品であればあるほど、面白い作品なんだなぁって思う。
共通認識が作品の色を濃くしていく。
多分、今、一番、そういう事を肉体が欲している。
それはまるで暴力的な衝動のような勢いをもって。