第二稿があがる。
これをプリントアウトして配れば、次のシナリオが最終的なものになるだろう。
ロケハンの日程の最終調整も迫っている。
ロケ地が本当に確定するのはロケハン後だ。
もし、確定しなかったら、更に撮影場所についてそこから探すことになる。
そうなると、かなりのオオゴトになりそうだけれど・・・。
まだまだ多くの壁が待っている。
若さの勢いと、ベテランの熟慮と。
両方を兼ね備えて、勧めたらなぁと考えている。
映画製作に関しては初心者だから知らないことも多いけれど、その分、勢いがある。
作品製作に関しては20年以上やってきたのだから、その分、経験もある。
そのバランスを自分の中で大事にしていかないとだ。
稽古をする。
芝居をして撮影をして、それを観る。
その繰り返しの中。
今日は、何度もデビッド・宮原監督が首を横に振る日だった。
印象に残ったダメ出しは二つ。
「悪くないけど、良くない」
「感情は出来ているんだから、どう見せるかだよな」
この二つが、稽古内容の全てを物語っている。
やっている本人は、首を横に振られて何度もやるのだから実は恥ずかしい。
皆が観ているのだ。
全員の前で、イマイチだと言われるのだ。
その上、何度も何度もやるのだから。
それが10代の芝居を始めたばかりの役者なら、当たり前だけれど。
30代40代の20年近い経験の役者なら、違ってくる。
実際、おいらだって恥ずかしい。
しかも、そのダメだと言われた映像を全員がモニターでチェックするのだから。
でも、そこはツッパラカル。
ツッパリって奴だ。
恥ずかしいけれど、恥ずかしいなんて臆面も見せない。
今回の稽古では最初の金子さんから、皆、ツッパラカリきった。
恥ずかしい事なんか、今まで何度も何度もあった。
でも、今、恥をかくことなんか、どうということもない。
最優先は、撮影の日にベストを出せるかどうかだ。
それを逆に何年も恥をかいたり、舞台に立ってきたからわかっている。
そこでつまらないプライドが前に出て来たら、そこで成長は終わる。
どん欲になんでも自分のものにした方が良いに決まっている。
恥ずかしさだけ、ツッパッテ吹き飛ばしてしまえばいいだけだ。
後半、デビッド・宮原監督が、やりたいところ言っていいよと言う。
おいらの中でやりたいシーンは2~3ある。
誰も言い出さないから、何か言おうと思った。
ここはやりたいなぁというのがあるんだけど、そこじゃないシーンを伝えた。
自分が一番やってみたいシーンは一人でも稽古できるし、もっと先で良い。
それよりも、ここはやっぱりお客様の心が動かないといけない。
ここのリアクションは微妙だし、作品のテーマにも直結している。
そういうシーンをやりたいと提案した。
ふとしたリアクションだけでは成立しない部分もあるシーンだから、それまでとはちょっと違ったかもしれない。
全体で組み立てないといけないし、共有したイメージも、役の個性も必要なシーンだ。
自分も絡んでいるし、舞台では、お客様が息をのんで、涙を流す人もいたシーンだった。
もちろん、本番ではいくつかのカットに割るだろうけれど、今日は1カットで稽古をした。
結果、モニターを観ても、舞台ほどの感動がなかった。
心の動きも伝わってこなかった。
おいらが映画館にいても、これじゃ泣かないなと思った。
悪目立ちするリアクションが不自然な役者もいた。
ここが成立しなくちゃ、作品全体に関わるぜっていう場所だ。
最後にやった稽古だから、それぞれ持ち帰っていると思うけれど。
出来れば、来週もやらせてほしいなぁと思った。
それぞれが持ち帰って、何を捕まえてくるかで、大きくこのシーンは生まれ変わると思う。
個々のエピソードも濃い作品だけれど。
作品全体に関わるような、全体的に物語が動くシーンを重点的にやるべきなのかもなと思った。
枝葉は、幹さえ太ければ育つ。
幹での表現が、個性を創っていく。
軸がしっかりしているからこそ、個々のエピソードを好きな人が出来ていく。
やりたいシーンを聞かれることがあったら、積極的に提案していこうとつくづく思った。
今日のシーンが成立しなかったら、この作品自体のクオリティが一段下がる。
そういう作品的な動きのあるシーンをどんどん稽古していきたいなぁと強く感じたからだ。
今日までの稽古の、応用編になってきたなぁとも思った。
時間は限られている。
準備は出来ればできるほどいいなんて言っていたけれど、もう7月に入ったのだ。
太い太い幹を創ろう。
十二分に枝にエネルギーを送れるような幹だ。
そうすれば、葉も開き、花も咲くさ。
恥をかくぐらいなんだってんだ。
今、悩んで苦しんで恥ずかしい思いをするぐらい。
全てはその日に向かっているのだから。