2016年07月17日

月が出なけりゃ炭坑節が流れない

ポンポンと音が聞こえた。
そうか。
海の日に近い三連休の土曜日。
毎年、この日は盆踊りだった。

夏祭り。縁日。夏休みの始まり。
ふらりと家を出る。
歩いて5分とかからないから。

盆踊りの音が聞こえる。
近くの草むらから、パンと音がする。
イタズラ小僧が、癇癪玉で遊んでるみたいだ。
背の高い草だから見えないけど、こっちはお見通しだ。
なんでかって?
おいらも、そんなこと何度もやったからな。
そのぐらいじゃ、びくりともしないぜ。

会場に付くと、もう始まっている。
櫓を組んで、その周りを踊っている人がいる。
まだまだ明るい時間なのに提灯は光っている。
町内会の出店が、やきそばを焼いている。
子供がそこら中で、けたけた笑ってる。


なんとも言えない違和感を感じる。


おいらが子供の頃、祭は、もっともっと闇の多い場所だった。
盆踊りだって、日が落ちていた。
屋台のおじさんが入れ墨をしているのだって当たり前だった。
見廻りの警官がいて、子供だけで遊んでいれば声を掛けられるから、逃げた。
櫓の下にもぐりこんでみたりした。
なんというか、こんなに健康的じゃなかった。
暗い夜に、子供が社会勉強した。

渡された少ない小遣いでどれだけ楽しめるか。
金魚釣りや風船釣り、的当てなんかのゲームばかりやるやつ。
やきそば、お好み焼き、リンゴ飴、なるべくたくさんの種類を食べるやつ。
三角くじ、型抜き、ソースせんべい、なんかのギャンブル的な事ばかりやるやつ。
子供の時点で、実はもう、性格なんかすぐに出た。
祭はそれまでの家の中とは違う、自由な空気を感じる場所だった。
どこそこで小学生がカツアゲされたなんて話もしょっちゅう聞いた。
喧嘩している大人もいた。
よっぱらいも、そこら中にいた。
今、思えば、殆ど詐欺みたいな出店にも随分騙されたっけな。


町内会が出した出店に並んで、玉こんにゃくと、煮込みを買う。
良心的な価格で、味もいい。
売り子は近所の中学生かな?
調理しているのは、普通の主婦。
にこにこ笑いながら、接客してる。

少し腰かけて、盆踊りや子供を眺めながら、つまむ。
安くて味もいいのに、何かが足りない。
毒が足りないんだなぁと思う。
昔はやきそば一つ買うのも大勝負だった。
テキ屋にも良い悪いがあるからね。
あの店が一番うまい、あの店は肉が多い。量が多いのはあそこだ。
そういうのを一巡して見つけてから必ず買ったものさ。
でも、食べてみると、意外にもやしばかりだったりさ。失敗もするんだ。
あの時のやきそばの味には勝てない。
あの大人だけが持つ毒の味がなくては、勝てない。

盆踊りの最後、日が落ちかけてくると、打ち上げ花火がいくつか上がるのは知っていたけれど。
踊るわけでもなく、まだ明るい公園を後にした。
町内会の来賓席では、さんざんビールを飲んでいる親父たちがいる。
あいつらのビール代は、結局、町内会費なんだろうなぁ。
健全な顔をして、あいつら、てめえらだけただ呑みしてんじゃねぇべか?と疑う。
まぁ、いつも町内の事をしてくれているんだから、そのぐらい別にいっかとも思う。
ただ、そういう毒を隠すようなことばかりしても、この子たちはいずれ大人になるんだよなって思う。
清廉であれなんて思わないけど、隠すようなことはあまり好きじゃない。

少子化なんて嘘じゃないだろうか?
そのぐらい大勢の子供たちが走り回ってた。
でも、これだけいても、子供が少なくなったなんて言うのなら。
おいらの子供の頃は、本当にそこら中に子供が走り回ってたんだろうな。
こんなにたくさんいるのに。
この何倍もいたんだなぁ。


夜の街の妖しい雰囲気。
もちろん、今も、都内でも地方でも、そこら中にある。
子供が足を踏み入れればドキドキしてしまうような場所。
だいぶ、あの暗さは減ってきたけどね。
いつだってすぐに空気で分かった。
あれは、たぶん、大人が本能的になっている場所だ。
夜の祭、飲食店、喧嘩、SEX、金。
子供の前で見せる大人の笑顔の向こう側の本能的な何かを子供ながらに嗅ぎ取った。
いや、子供だからこそ、それに敏感に反応していた。

健全であることはいいことだよ。
必要悪なんて便利な言葉を使うつもりもない。
ただ、人は誰だって、本能を持っていて、それを隠しながら生きている。
皮一枚はいだら、誰だって、全然違う姿になるんだ。
そのことを不健全だなんて言っちゃいけないし、思うべきじゃない。
それは誰だって当然あるものなんだぜって、おいらは祭りや夜の街で学んだんだと思うよ。

終戦後。
金もない、食べる物もない。
それなのに、娼婦がいたこと。
その次の年からベビーブームが始まり、団塊の世代が生まれること。
人は苦しい時ほど、生きていくのが困難な時ほど、本能的になることの証拠さ。
子供にはみせたくない姿。
でも、子供は感じている姿。
生きていくためだけじゃない。
欲望の住処が、セブンガールズの舞台である、パンパン小屋だ。

その妖しさが観たい。
その妖しさを感じたい。

健全な盆踊りを後にして。
不健全なのかなと、考えてしまった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:33| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする