少しずつ改訂していて、間もなく第2校が上がる。
打ち合わせも予定しているし、ぐぐぐとまた動き出しそうだ。
どんどん具体化していって、撮影日に向かっていく。
おいらにどれだけのことが出来るのか。
精一杯やれるだけやるしかない。
うん。それに、おいらだけじゃないもんな!!
今年の梅雨は雨が少ない。
梅雨明け宣言なんか聞いていないのに、真夏のような日々だ。
このままいつの間にか、梅雨明け宣言が来てしまうのだろうか。
雨は雨で、嫌いじゃないんだけどな。
参院選の余波のまま、世の中は都知事選に注目が集まっている。
都知事選が終わった頃、オリンピックで盛り上がっていくだろう。
今、撮影の稽古をしていて、おいらは、少しだけ慣れてきたことがある。
それは、自分の顔だ。
おいらはなんというか、自分の顔を見ることが苦手だ。
写真を見るのもなんか好きじゃないし、映像も出来る限り観たくない。
写真も映像も撮影されるのはなんかこっぱずかしい。
鏡も、あんまり見たくない。
なんていうか、恥ずかしいのだ。
何が恥ずかしいのかちょっと自分でもよく分析できていないのだけれど。
だから、自分の写真をブログなんかにバンバンアップする人とかちょっと不思議だ。
よくそんなこと出来るなぁって思っちゃう。
それは別に芸能人とか、ハンサムとか美人でも。
それぐらい、自分の顔を見るっていうことが苦手だった。
でも、さすがに稽古を繰り返してきて慣れてきた。
まぁ、全然得意じゃないけどね。
変な恥ずかしいなぁって思いながらな自分はいなくなってきた。
それは、たぶん、芝居をしている姿ばかり見ているからだ。
そうなってくると、自分の顔がどうこうよりも、芝居が気になる。
自分の芝居が恥ずかしくないかどうかばっか気にしちゃう。
そうこうしているうちに、慣れちゃっただけなんだろうな。
まぁ、慣れただけだから。
じゃぁ、じっくり顔を見るか?って聞かれたら、ほぼ見てないんだけど。
今は、自分の芝居がもし「くさかった」らどうしようという方が、圧倒的に怖い。
「くさい」ってどういうことかって言えば、嘘の感情表現をやっちゃうことだ。
一生懸命悲しい顔をしようとしたり、その結果、大げさになっちゃったり。
そういうのを臭い芝居って言う。
自分の芝居が臭かったらどうしようという恐怖感の方が強い。
なんというか、自分にとっては、そのことの方が、とてもとても大事な事なんだろう。
でも、落ち着いて考えたら不思議な事だ。
多分ね。
顔を観るのが苦手なのは、心を観るのが怖いって事なんだと思う。
顔ってのは、心の裏側だから、全部出ちゃうでしょ。
そういうのを感じてしまうのが怖い。
逆に、そういう心を隠そうとしている顔をしていても嫌だしね。
だというのに、芝居を観る時は、芝居に心がないことを恐怖している。
なんだか、矛盾しているなぁって思うよ。
顔に自然と浮かぶ本心は芝居では作れないモノなのにね。
ただ。
根本的に気付いている。
自分という人間を知ることの恐怖に。
残念ながら人間は、他人はおろか、自分の事さえ、100%理解することはできない。
自分でも思っても見なかった場面で泣いてしまったり、笑ってしまったり。
自分の感情を完全にコントロールなんか実はできない。
そのぐらい微細なメカニズムで人間は生きている。
そして、自分と向き合うことは、大変な事なんだ。
何度も何度も、落ち込んだり悩んだりしてそんなことを繰り返してきたけれど。
ただ、落ち込んでもいない普通の時に、ふと自分の本質に気付くことほど怖いものはない。
ドッペルゲンガーに出会ったら死んでしまうというのも、なんとなくわかるよ。
もう一人の自分が目の前に現れたら、嫌悪すると思う。
自分に似た人間すら、人は同族嫌悪するんだから。
だから多分、慣れたことは、ただ顔を見ることだ。
顔だけを観ないことで、随分、軽減されるんだなぁ。
皆はどうなんだろう。
写真が苦手な俳優って、結構いるんだよな。うちは。
まだまだ全然なれないって役者も多分いると思うな。
良い顔が出来るといいな。
おいらの中で、良い顔ってある。
綺麗とか、かわいいとかじゃないよ。
良い顔ね。
ああ、この役者、良い顔してるなって、あるんだ。おいらの中の基準が。
そこに行かないとだぜ。おいらよ!
まぁ、それでも、まだまだ慣れただけなんだけどさ。