永六輔さんの訃報を耳にした時に、なんというか、ああ・・・と思った。
永さんは、おいらたちの年代にジャストフィットしているわけではない。
むしろ、気が付いた時には既に、生ける伝説のような人だった。
数々の名曲の歌詞、放送作家、そしてそのどれをとっても非凡。
こんな人がいるっていう、そういう人だった。
イメージでは、養命酒のCMの舌ったらずの人なんだけどさっ。
でも、ラジオも、車の中で何度か耳にしたし、トーク番組の特別ゲストみたいな形で何度も目にした。
おいらの吸う煙草のパッケージデザインも永六輔さんだ。
それを初めて聞いた時には、さすがにそのマルチな才能に驚いた。
なんせ、おいらは、このパッケージが好きだったからだ。
すごいなぁと思っていた。
こんなことを書くと、本人に怒られてしまうと思うのだけれど。
実は、おいらはデビッド・宮原という人と出会って間もない頃。
永六輔さんみたいな人だなぁって思っていた。
もちろん、ビジュアルとかじゃない。
なんていうか、マルチな才能の部分とか、そこに生きる人の言葉で物を言えることとか。
あとは、なんというか、東京生まれ東京育ちの感じとか。
全然違うって、誰かに言われて、それからそうかなぁなんて思っていたんだけど。
そのふわっとした存在の仕方に、どこかおいらから見た感覚で、同じ系統の人だっただけだ。
そして、言葉の感覚に、近い何かを感じていた。
それと。
デビッド・宮原という人が「上を向いて歩こう」という名曲を好きだって知っていた。
人前で歌うなら、この曲だって聞いていたし、本人から好きだという話も聞いたことがある。
永六輔さんの事が好きとかは聞いたことはないけれど、この曲に関しては聞いたことがある。
まぁ、好きも嫌いも、名曲中の名曲だし、海まで渡っちゃったぐらい、たくさんの人に愛された曲だけどさ。
でもね。
おいらは、こっそりと、「上を向いて歩こう」という曲の歌詞について思う所があるんだよ。
あの曲の歌詞はさ。
セブンガールズのテーマソング「星がいっぱいでも」の歌詞と繋がってるんだよって。
無意識にか、意識的にかは、わからないけれど、あの歌詞にインスパイアされたんだろうなぁって思ってる。
上を向いて歩こう→明日雨でもアタシは晴れ
涙がこぼれないように→涙なんか使い捨てだよ
ひとりぼっちの夜→ひとりぼっちじゃないし
にじんだ星を数えて→星がいっぱいでも
どちらも短い歌詞なんだけど、似たようなワードが並んでる。
そして、どちらの歌詞も意味合いというか、テーマに共通点がある。
悲しくて悲しくてしょうがないのに、ぐっとこらえて、前に進む。
そういうテーマまで同じになってる。
そしてどちらの歌詞も、普段使いの口語体で書かれた、柔らかい言葉たちだ。
デビッド・宮原が「上を向いて歩こう」が好きだから。
自分なりの「上を向いて歩こう」を改めて書いたのかな。ってずっと思ってた。
詩人は、時にそういうことをするから。
まぁ、勝手な思い込みさ。
さて。7月12日。
おいらと織田稚成と。
一緒にバンドを組んでいたベースのジョンこと森田農の命日です。
生きていれば、生きているほど、たくさんの人の命日を数えることになる。
あとどれだけ数えなくちゃいけないのかなぁなんて、思うよ。ジョン。
考えてみれば、おいらたちは、いつも唇を噛んでいた。
楽しんでもいたけどさ。
一体に、何をそんなに抗っていたんだろうって思うけど。
結局、今も大して変わらないみたいだぜ。
なんだかんだ、前に進もうとしてる。
どうせ、アメリカンスピリットを咥えながら、弦でも張りつつ笑ってるんだろうけどさ。
ばかだなぁなんて思われてるかもしれないけどな。
いいだろう?
おいらなりに、上を向いて歩いても。
おいらなりに、涙をこらえても。