2016年07月12日

上を向いて歩こう

永六輔さんの訃報を耳にした時に、なんというか、ああ・・・と思った。
永さんは、おいらたちの年代にジャストフィットしているわけではない。
むしろ、気が付いた時には既に、生ける伝説のような人だった。
数々の名曲の歌詞、放送作家、そしてそのどれをとっても非凡。
こんな人がいるっていう、そういう人だった。
イメージでは、養命酒のCMの舌ったらずの人なんだけどさっ。
でも、ラジオも、車の中で何度か耳にしたし、トーク番組の特別ゲストみたいな形で何度も目にした。

おいらの吸う煙草のパッケージデザインも永六輔さんだ。
それを初めて聞いた時には、さすがにそのマルチな才能に驚いた。
なんせ、おいらは、このパッケージが好きだったからだ。
すごいなぁと思っていた。

こんなことを書くと、本人に怒られてしまうと思うのだけれど。
実は、おいらはデビッド・宮原という人と出会って間もない頃。
永六輔さんみたいな人だなぁって思っていた。
もちろん、ビジュアルとかじゃない。
なんていうか、マルチな才能の部分とか、そこに生きる人の言葉で物を言えることとか。
あとは、なんというか、東京生まれ東京育ちの感じとか。
全然違うって、誰かに言われて、それからそうかなぁなんて思っていたんだけど。
そのふわっとした存在の仕方に、どこかおいらから見た感覚で、同じ系統の人だっただけだ。
そして、言葉の感覚に、近い何かを感じていた。

それと。
デビッド・宮原という人が「上を向いて歩こう」という名曲を好きだって知っていた。
人前で歌うなら、この曲だって聞いていたし、本人から好きだという話も聞いたことがある。
永六輔さんの事が好きとかは聞いたことはないけれど、この曲に関しては聞いたことがある。
まぁ、好きも嫌いも、名曲中の名曲だし、海まで渡っちゃったぐらい、たくさんの人に愛された曲だけどさ。

でもね。
おいらは、こっそりと、「上を向いて歩こう」という曲の歌詞について思う所があるんだよ。
あの曲の歌詞はさ。
セブンガールズのテーマソング「星がいっぱいでも」の歌詞と繋がってるんだよって。
無意識にか、意識的にかは、わからないけれど、あの歌詞にインスパイアされたんだろうなぁって思ってる。

上を向いて歩こう→明日雨でもアタシは晴れ
涙がこぼれないように→涙なんか使い捨てだよ
ひとりぼっちの夜→ひとりぼっちじゃないし
にじんだ星を数えて→星がいっぱいでも

どちらも短い歌詞なんだけど、似たようなワードが並んでる。
そして、どちらの歌詞も意味合いというか、テーマに共通点がある。
悲しくて悲しくてしょうがないのに、ぐっとこらえて、前に進む。
そういうテーマまで同じになってる。
そしてどちらの歌詞も、普段使いの口語体で書かれた、柔らかい言葉たちだ。

デビッド・宮原が「上を向いて歩こう」が好きだから。
自分なりの「上を向いて歩こう」を改めて書いたのかな。ってずっと思ってた。
詩人は、時にそういうことをするから。
まぁ、勝手な思い込みさ。



さて。7月12日。
おいらと織田稚成と。
一緒にバンドを組んでいたベースのジョンこと森田農の命日です。
生きていれば、生きているほど、たくさんの人の命日を数えることになる。
あとどれだけ数えなくちゃいけないのかなぁなんて、思うよ。ジョン。

考えてみれば、おいらたちは、いつも唇を噛んでいた。
楽しんでもいたけどさ。
一体に、何をそんなに抗っていたんだろうって思うけど。
結局、今も大して変わらないみたいだぜ。
なんだかんだ、前に進もうとしてる。

どうせ、アメリカンスピリットを咥えながら、弦でも張りつつ笑ってるんだろうけどさ。
ばかだなぁなんて思われてるかもしれないけどな。

いいだろう?
おいらなりに、上を向いて歩いても。
おいらなりに、涙をこらえても。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:45| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする