参院選の選挙の日だ。
今日まで、電車に乗れば、駅前で乗り換え通路で、人ごみの合間をすり抜けていた。
それも、明日をピークに終わる。
稽古はいつも日曜だから、何度も何度も、こういう日があった。
稽古をしている最中に、街宣車が、最後のお願いに上がりました!と聞こえてくる。
そんな日だ。
猪木が来てるらしいぞ!なんて日もあったな。
昔はね。
芸人さんとか、タレントとか、選挙行ったことないですー。なんて普通に言ってた。
今は、中々そんなことも言わなくなった。
言うと、途端にネットで叩かれるんだろう。
叩く人たちがどんな人たちかは想像がつくけれど、そうなれば、なんとなく言えなくなっていく。
結果的にその芸人さんやタレントさんが、今、選挙に行ってるのかはわからないけれど。
それはそれで、あんまりおいらなんかは、気持ちよくないなぁと思ってる。
今は、おバカタレント的な存在も、選挙行きます!なんて言うのが流行ってるなぁ。
おいらも、聞かれることがある。
選挙行くの?
誰に入れるの?
って。
逆に、誰に入れたらいいの?
って聞かれることもある。
そういう時、おいらは、必ず好きなのに入れたらいいじゃんって言う。
まず絶対に自分から誰かに入れてくれなんてお願いはしない。
もちろん、そいつが政治に詳しくなくて、なんとなく雰囲気で投票するとしてもだ。
それはそれで、全然問題ないし、そういうものだと思う。
良く言われるポピュリズムなんていうのは、どうこう言うものじゃなくて、それも含んで選挙だしって思ってる。
芸能人候補がいて、ノリでそこに投票するっていうのなら、それはそれで構わないでしょって。
それを否定し始めたら、地元の名士だってダメだし、もう、選挙なんてなんにも出来なくなっちゃう。
ただし、勧めない。
そいつが、どれだけ考えてるかとかじゃなくて。
誰かに勧められて投票するぐらいなら行くなよって実は思ってる。
それが例えどんなに軽薄な理由でも、考え込んだ理由でも、同じ一票なんだから。
自分で選びなよっておいらは思っている。
よくあるでしょ。
結婚相手と宗教が違ったとか。支持政党が違ったとか。
そういうの、全然、違っていていいと思う。
ただし、どちらかが、自分の方に相手を引っ張り込もうとするのはすごく嫌い。
なんか、不純だなぁって思うんだよ。
押し付けやがってってさ。
だから、誰に入れるの?も、選挙に行くの?も、言葉を濁す。
終わった後なら、まぁ、答えることもあるけれど、選挙前には余りちゃんと言わない。
そいつの権利なんだから、そいつが判断するべきだ。
まぁ、選挙活動がそういうものじゃないのは知ってるよ。
会社や組合からここに投票するように言われてる・・・なんていう人も実際にはたくさんいるしさ。
どこかで、誰かに政治的な勧誘を受けながら生きているんだから。
ただ、おいらが、勧誘したり影響する側に行きたくない。
何故なら。
おいらは、俳優だからだ。
物語には常にメッセージがあると思う。
それが反戦なのか、戦意高揚なのかは知らない。
俳優は、その時に与えられたテーマに真剣に取り組んで。
自分なりの表現をする。
与えられたテーマに対しての、自分の表現が、もう自分の全てなんだ。
戦意高揚な作品を観ても、よくよく見ると、俳優が戦争の酷さをこっそり演じていたりね。そういうこともあるよ。
反戦の映画を観ても、なんにも反戦なんて思わないまま出演している俳優もいるよ。
ただ、俳優に出来ることは、政治的指向に関わらずであるべきだと思う。
もちろん、作家やアーティストはそうではない。
作家はメッセージを送る人で、その立場を固めている人だって多い。
アーティストだって、歌詞でも作品でも生み出していくのだから。
ただ、俳優は、なるべく空白の方が良いというだけだ。
どんな政治的指向かも、普段の性格も、宗教も、見えなければ見えないほど、役に近づく。
革命家も、鬼軍曹も、演じられないとダメだ。
おいらに出来ることはたった一つ。
セブンガールズという作品と向き合う事だ。
当時の状況を知って、当時の世界情勢も知って、当時の人達を知って。
作品のメッセージをみつけて、そのメッセージの中のどんな役割か知る。
その上で自分の出来る表現の可能性を模索するだけだ。
だから。あえて。
皆様、選挙に行きましょう!とかは書かない。
それぞれが、それぞれの判断で。
自由に、思っているままの行動をすればいい。
何かの作品を観て、観た人本人が何かを感じての判断なら、一番良い。
どの作品でも、少なくてもおいらは答えを出さないで、観た人が判断するようにしているつもりだから。
おいらはそう思っている。