2016年07月09日

フリースタイルダンジョン

アドリブのことを書いたばかりなので書いておけば。
深夜番組のフリースタイルダンジョンという番組をご存じだろうか。
いわゆるフリースタイルのラップで、2人のラッパーが戦うという番組だ。

実はあまり周りに言えないのだけれど、おいらはこの番組をわりと欠かさずに観ている。
モンスターと呼ばれる数人の達人にチャレンジャーが挑むという形式でこの番組は進む。
モンスターたちは達人というか、自分のスタイルを既に確立している人たちだ。
音楽が流れると、その場で思いついたラップで相手を攻撃していく。
その場で思いついているのにものすごい早いテンポだったり、ちゃんと韻を踏んだりする。
予め決まっていたとは思えない展開をするし、完全にガチだ。

残念なことがあるとすれば、会場で観ないと絶対にわからない勝負があることだ。
ああ、これは会場にいればすぐにわかるような勝利なんだろうなぁっていうのがある。
モニタ越しだと、同点ぐらいなのに、たぶん、その場の盛り上がりや勢いなどの空気感なのだと思う。

なんでこの番組が好きなのかと言われるととても説明するのが難しい。
ただ演者たちのやっていることは、常にチャレンジだとは言える。
音楽的な要素と、ワードの力強さ、そして、演者の持つパワーが揃わないと勝てないのも良い。
なんというか、ステージで演じてきた役者にとっては、その原点のようなものがぶつかりあってるような番組だからだ。
時には相手の勢いに、自分のキャラクターが維持できない場合もある。
勢いだけで乗り切っちゃう場合もあれば、すかすようなテクニックを持ってる者もいる。
リズムで言えば、表のリズムから、裏に入って、倍テンポになって、三連を叩きこむみたいなこともする。
ラップって平板だと思っていたのだけど、リズムの変化は普通の音楽より激しくて、メロディもある。
メロディに関して言えば、高音と低音の出入りとかは、わりに苦手なんだなぁって思うけれど。

演劇でもダンスでも音楽でも。
創り込んだものと、その場で生まれてくるパッションと、2つの魅力が混在している。
多分、スポーツもそうで、鍛錬されてきた技術と、その場のファンタスティックなひらめきが、常に同居している。
フリースタイルダンジョンに出ているラッパーたちはもちろん鍛錬しているのだろうけれど。
この番組では往々にして、その場のひらめきで勝利を掴むことが多い。
つまり、ひらめきの方が「面白い」ということだ。

これは全てのジャンルに言えることだ。
おいらは、三沢光晴というプロレスラーが好きだったんだけれど。
三沢選手は、とてつもなく鍛錬を積み重ねながら、ここぞという場面でとんでもないひらめきを見せた。
もう、そのひらめきが出てくるのを待っているみたいな見方をしていたのかもしれない。
鍛錬されたものがつまらないのか?と聞かれれば、それはもう全く違う。
基本的には鍛錬されたものが面白いからこそ、プロというジャンルがあるのだから。
ただその鍛錬されたもので形成された緊張感を打ち破るのがひらめきということで。
それが出た瞬間に、鍛錬されたものよりも、それが面白いと感じてしまうようになるのだ。

鍛錬というのは固めていくことだ。
軸を固めて、何度やっても同じことが出来るようにする。
それが、鍛錬だ。
固まれば精神的にも強さを生み、絶対的な時間感覚も手に出来る。
究極まで固まって、全員が同じ動きを繰り返せるようになれば、それはもう芸術に等しい。
ひらめきというのは、その固めたものを打ち壊してしまうものだ。
いわば、ルール違反に近い。
ところが、それのほうが、面白くなってしまう。
この矛盾点で、今まで、たくさんのアーティストはスポーツマンは頭を悩ませてきた。

映画や、或いはレコーディングは、記録だ。
失敗してもやり直しがきくし、収録したものを編集加工できる。
しかも演者ではない、監督などが編集することになる。
つまり、ステージに比べれば、ひらめきが非常に入りにくい。
仮に演じられても、採用されるかどうかという壁がもう1枚入る。
ただ、逆の事もある。
編集素材は多い方が当然良い。
その場で生まれたものを生かしたくて、他のシーンで調整する場合だってあるってことだ。
それどころか、あえて生のリアクションを撮影したくて、演者に仕掛けを内緒にする場合すらある。
もちろん、演者だけじゃなくて、監督や撮影や音楽や、他のひらめきが入る場合もある。

考えてみれば、日常会話は全てアドリブなのだから。
セリフなんか決まっていないのが会話で、もっとも自然なのはアドリブなのだ。
だから、その役になりきっていれば、アドリブの方が素材として両行になる逆転現象が起きる。
日常会話で笑っている表情を撮影して、芝居で笑っている表情と比べればすぐにわかると思う。

今、鍛錬を続けている中で。
おいらはこのパッションというか。
ひらめきが生まれるような。
そんなクリエイティビティーの高い状態に自分を持っていきたいと思っている。
固めていくけれど、同時にとても柔らかい自分だ。
現場で、急な変更があっても対応が出来るし、その場で生まれる。

フリースタイルダンジョンは、なんというか、そんな自分の栄養になる。
パッションやひらめきの持つ力を、思い出させてくれるからだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 19:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする