2016年07月25日

永遠の隙間に

織田氏と出かける。
暑い中、何とも言えない味の煙草を吸う。
さて、台本のコピーがあるからと、稽古場に急ぐ。

到着すると、バックが稽古の休憩中だった。
すぐに、織田氏と二人でプリントアウトした第2項を分けて、2つのコンビニのコピー機でコピーする。
膨大な量だし、何もコンビニコピーで・・・とも思うのだけれど、やはり、少しでも早い方が良い。
役者にとってのシナリオは、旅人にとっての地図だ。
セリフの変更点を、書き込んだ初稿のシナリオは、もう真っ黒だ。
かなりのページ数の初稿から、ほとんどすべてのページに改訂が入った。
簡単な語尾の変更から、シーンのカットや、別の意味付けまで。
シナリオの余白へのメモも、もう限界に近かった。

コピーしたシナリオをページごとに揃えて、稽古場に並べる。
それぞれが、自分で持ち帰って、製本していた。
自分のシーンをいち早く確認する役者もいれば、斜め読みして、どんどん頭からよむ役者もいる。
監督が、2度書いたに等しい第2稿。
初稿からどう変わったのか、どれだけわかるかなぁ。
ソリッドになった部分もあれば、詩的になった部分もあるし、わかりやすくなった部分もある。
それまでの初稿から、格段に読みやすくなったシナリオを手にして。
皆、意外にも嬉しそうだった。

そして、稽古に入る。
今日、監督の口から出た一番印象的な言葉は。
「それは、役者のスタンスじゃない?」
「そこから先が、役者の仕事だよ。」
の2つ。
役者の質問に、周りの役者も一緒になって、色々と発言をして。
その中で、監督が口にした言葉だ。

おいらが、この時に思ったのは、この空気をどこまで進められるかなぁという事だった。
誰かの芝居を観たり、誰かが芝居の疑問点を口にした時に。
そこにいる俳優たちが、積極的にそこに参加していくこと。
もちろん、演出家や監督の意見が一番だけど、今回は、それぞれのディスカッションが大事だと思う。
いつもは発言しないような俳優が、自分の印象を口にした時。
少し、稽古場が動いたような。そんな気がした。
結果的に言い合いになってもいいとさえ思っている。
良いものを目指そうとすれば、それは当然の事なのだから。
相手役に自分の印象を聞くとか、自分から言うとか。
いつもの舞台よりもずっと活発になりつつある。
そこに監督がいれば、そういうディスカッションも、最終的に収まる。
舞台よりもモニタで、一歩だけ自分の演技に客観的になれる今の稽古でこそ、これが必要なのだと思う。
そして、それが20年近く一緒に稽古してきた最大の強みになるだろうなと直感している。

今日も、そんなディスカッションの後。
監督が収めた。

その意見は正しい。
でも、これも正しい。
それは、役者のスタンスじゃない?
どちらをどう選んでいくのか。
そこから先が、役者の仕事だよ。

役者の仕事。
仕事ってなんだって聞かれれば、そこに責任を持てるかどうかだと思っている。
責任を持たないのであれば、そんなのは、仕事のうちにはまだまだ入ってないんだよ。
演出家や監督の仕事は、つまり、こうしなさいと言って、そこに責任を持つことだ。
OKを出して、そこに責任を持つことだ。
だとすれば、役者は、自分で自分の演じる方向性や、自分の作品とのスタンスを確定させて。
その表現に責任を持つのが仕事だという事だ。
演出の及ばない、細かい部分の役の機微。行間。表情。
その全てに責任を持ちなさい。
そういう意味においらは理解した。

レイとイチの間には、永遠と思えるような隙間がある。
イチとニの間とは大きく違う。
何もないか、何かがあるか。
何かの量とは違う、絶対的な差だ。
誰かの小さな意見も、あるとないとでは違うのだと思う。
誰かの小さな疑問も、あるとないとでは違うのだと思う。

帰り道。
織田氏と吸った煙草の味を思い出す。
あの時間は、有るでもなく。無くでもない。
何とも言えぬまどろみの中だった。
このまどろみを、抱えて進むのだ。
このまどろみこそ、起源なのだ。
そこから、生まれるんだ。
まるで、それは、音楽のようじゃないか。

進むのだ。
そして、美酒を手に出来れば、それが一番だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:58| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

美しい一行

第二稿をプリントアウトして、一応添付する情報もプリントアウトする。
明日は、少し早めに稽古場に行って、ダンスの時間ぐらいにコピーする予定。
ページ数、部数を考えれば、中々の値段だけれど、稽古優先だ。
もちろん、まだまだシナリオの改稿がある可能性はある。充分にある。
だから、無駄になっちゃうという意見もあるかもしれないけれど、それも関係がない。
少なくても、シナリオを手にすること、それを読むこと、稽古することは、無駄ではないからだ。
完成稿を手にするその日まで、初稿のままよりも、断然いい。

口頭で聞いていた改訂だけではわからなかった部分がたくさんあった。
単純に、そのシーンの場所が変わっている場合すらあった。
ト書きなどは、まだ口頭で聞いていない部分もあって、これは!と思う部分も多かった。
何か所か誤字的なミスもみつけたから、監督に報告。
改訂した結果生まれた矛盾点みたいなのまで見つけられたらなぁと思ったんだけれど、そこまでは、行かなかった。
それでも、初稿からの変更点を一つずつ潰していけば、やっぱり、違う世界が見える。
何を軸にしているのか、どう見せたいのか。

実は第二稿の、最後の一行で、泣きそうになった。
初稿にはなかった一行。
1ページ目から順番に読んでからだったから、余計にぷるぷるした。
美しい美しいシーンだ。
映像と言うビジュアルのはずなのに、詩のようだ。
明日、稽古で受け取っても、皆はその日のうちに中々全部を読めないと思うけれど。
出来れば1ページ目から読んで欲しいな。そこに辿り着くまで。

明日、稽古前に織田氏と少し行くところがある。
まぁ、少しだけだけど。
それが終わったら、コピーだ。

なんと言えばいいのか。
色々な事があるけれど。
この美しい一行が、おいらの大きな力になった。
もちろん、今後の改訂でなくなってしまうかもしれないけれどさ。
それでも、なんというか、こんなこと考えてたんだなぁ・・・デビさん。って思ったら。
それが、全ての力になった。

これから、まだまだ続く。
打ち合わせもあるし、ロケハンもある。
稽古だって、より具体的な演出に入っていかなくちゃいけない。
実際の撮影直前になれば、撮影順だったり、カット割りであったり、様々に煮詰まっていく。
限られた時間なのだから、出来ること出来ない事が生まれて、選択を迫られたりもするだろう。
それは、まるで、生きていくことと同じだ。
これから、まだまだ続くし、色々な事があるという意味では。
そんな時に、力を貰えるのは、きっと、美しい何かだ。

舞台台本から、シナリオが生まれた。
初稿から、第二稿が生まれた。
更に、まだ、色々と生まれる。
最終稿が生まれて、映像が生まれる。
その工程をクリアした後に、編集して作品が生まれる。

明日、織田氏と出かけるけれど。
美しい何かを持っていかなくちゃなぁって思っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:23| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

世界が広がった。

ポケモンGOが配信された。
様々な社会現象を世界で起こしていて、Yahoo!ニュースでも配信開始と共にトップニュースに。
公開されるや否や、ダウンロードの記録を次々と塗り替えた。

たかが一つのゲームの公開だけど、実はたかがと言い切れない所がある。
別に株価がどうのこうのではない。
株価の事ばかり考えている人もいるかもしれないけれど。
おいらは、ポケモン世代ではないので、実はそれほど興味がない。
スマホでコレクションしていくという面白さは理解できるけれど、今のところダウンロードもしていない。
面白いんだろうなぁというのがなんとなくわかるぐらいだ。

ポケモン世代にとっては、ものすごいことなんだろうなぁと思う。
おいらが前の仕事をしていた時に、知り合ったおじさんが、ポケモンにはまっていた。
確かその時は、ポケモンの金だとか、白だとか、なんかが発売されたばかりだったけれど。
コレクションの為に、いくつものソフトを買っていて、よく若いのに、これを捕獲したいとか相談していた。
世代じゃないから、その熱さがわからないけれど・・・。
ポケモンの映画を観に行くと、レアモンスターがもらえるとかで、動員が異常に伸びたこともあった。
特に世代ではなかったおいらはすごいなぁと思うだけだったけれど。

まぁ、そこまでであれば、ドラクエなり、ファイナルファンタジーなり。たまごっちでも。
今まで、流行ったゲームと言うのはあるし、社会現象になったゲームだって山ほどある。
今でもはまっている人がいるゲームなんて言うのはこれまでいくつかあるはずだ。
ただ、今回のブームの一番の違いは、システムにヴァーチャルリアリティが含まれているという事だ。
仮想現実。
それは、おいらたちが、演劇の世界で目指していたものにも似ているし、同時に全然違うものでもある。

仮想現実のシステムと言うのは今までもあった。
単純なものであれば、情報の追加だ。
おいらたちは、基本的に4次元で生きている。
高さと幅と奥行きがあって、それを時間経過していく。
ヴァーチャルリアリティは、そこにデータと言う要素を加えるものだ。
カメラで世界を写せば、そこは過去に事故が何件あったとか、この店はこんな評価が集まっているとか。
今までは調べなくちゃわからなかったことが、データとして表示されている。
そういう情報追加から始まったよなぁと記憶している。

そこから更にヴァーチャルの世界での陣地取りなんかのゲームもいくつか出た。
やっている人たちはあっという間にはまっていった。
自分の住んでいる世界が、ゲームの世界では誰それの陣地で、常に奪い奪われているということが起きていた。
普通に生きていれば、別になんてことはないし、気にもしないんだけれど。
ヴァーチャルの世界を知っている人には、その土地土地に色が付いていった。

それでも、ヴァーチャルは、限られた人たちが遊んでいたとおいらは思っている。
そこにポケモンと言うキラーコンテンツが加わったわけで、これは大変な事だ。
つまり、一気にヴァーチャルリアリティーが身近になるっていう事なんだから。
1次元多く世界を観る人が、今までの数百倍になるのだから。
株価どうこうではなく、恐らく、急速に企業体も注目せざるを得なくなるのではないだろうか?
データを入れ替えれば、次元はいくらでも増やせる。
確実に広告の形態も変わっていくだろうし、例えば、会社までの道路案内などは、企業ごとにデータを配信するかもしれない。

これが、演劇や小説、映画に大きな影響を与え始めることは想像に難くない。
現実が広がるのだから、これが影響しないわけがないのだ。
あくまでもここに現実があって、その現実に対しての、日常と非日常を扱っているのが物語だ。
仮想現実は、一つ間違えれば、その非日常だったものを軽く日常に変えかねない。
もしくは、例えば演劇をカメラで写せば、データが出るようになるかもしれない。
映画を観れば、なんらかのデータがスクリーンに表示されるようになるかもしれない。
それが普通になれば、当然、そちらに合っていくことになるのは当たり前の事だからだ。
劇場を表示すれば、今、何が上演、公演されていると表示されるようになるだろう。
動く看板を越えるような宣伝もあるかもしれない。
バックドラフトのような火事の映画であれば、モニタ上では映画館を燃やすかもしれない。
ゴジラのような怪獣ものであれば、モニタ上で映画館までの道程を怪獣が案内してくれるかもしれない。
いずれにせよ、エンターテイメントが日常にはみだしてくる技術なのは間違いない。

そして。
より、じゃぁ、現実ってなんなんだよ。
そういうことが様々な作品のテーマになっていくだろうと思う。
仮想現実と、幻想と、妄想と、現実。
そういうものが絡まっていく中での、現実とは何か。
ヴァーチャルリアリティが最終進化をした時に、現実は意味がなくなるという人もいる。
ここから、現実について、より深く考えないといけないって事だ。
既に、妄想の中で生きる人もいる。
既に、幻想の中で生きる人もいる。
それが遠因で起きた事件のニュースもいくつも目にしてきた。
いよいよ、世界が広がってしまった。

おいらは、その入り口になるニュースなんだなぁって、漠然と思った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 16:47| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする