長年連れ添った夫婦は顔が似てくると言ったりする。
実際、なんだかよく似たおじいちゃん、おばあちゃんっているから、嘘じゃない。
・・・というか、実はすごく納得がいく。
人間の顔には30種類以上の筋肉がある。
そのうち数割が表情筋と呼ばれる筋肉だ。
筋肉だから、当然、鍛えれば強化されるし、エネルギーも使う。
全ての生物の中で、人間ほど表情が豊かな生物はいない。
表情筋はつまり、コミュニケーション能力そのもので、人間の何が進化したのかがすぐにわかる。
笑うのも泣くのも怒るのも、全てこの筋肉が動くことで、外部に表現される。
顔には目が付いているのだから、鏡がないと自分では把握できない。
つまり、表情筋は、自分以外の相手の為だけにある。
社会性を持つことが、人間の大きな進化の一つであることの証拠だ。
生まれてすぐに赤ちゃんの表情を見ていると、口周りがすごく動くなぁって思う。
それは当たり前で、お母さんのおっぱいを必死で飲んでいるからだ。
口の周りを使う事が生きることと同義なのだから。
当然、筋肉である以上、表情筋も鍛えられていく。
まぁ、ほっぺが、ぷくっとしてるから、余計に口周りが動くのが目立つのかもしれないけれど。
その後赤ちゃんは、目が見えてくる。
その頃から、母親と濃密な時間を過ごすことになる。
お腹がすいても、おしっこをしても、とにかく母親がいないと何もできない。
言葉もまだ持たないから、泣いたり、表情を動かして必死に母親に伝える。
この頃から、一気に、赤ちゃんの表情は豊かになっていく。
目を見開いたり、にっこり笑ったり、むくれたり。
そして、学習していく。
母親の笑顔を見て、母親の表情を見て、それを真似して伝えようとする。
表情筋の基礎の基礎がどんどん出来ていく。
だから、笑顔は、お母さんからもらったものだ。
やっと目が見えた頃、言葉の前に、最初のコミュニケーション手段として学んだものだ。
こればっかりは、父親は敵わない。
どんなに顔の作りが父親に似ていても、笑顔だけは母親に似てしまう。
お母さんの笑顔から、笑顔を学ぶんだから。
まだ未発達だった表情筋に学ばせたのだから、もう一生ものの笑顔だ。
笑顔だけは、えんえんと、大昔から母親を通じて伝わってきたんだ。
それから大人になるにつれて、複雑な表情をどんどんするようになる。
恋をしたり、失恋をしたり、大事な人を喪ったり、何かを成し遂げたり。
それまでにない経験を重ねて、人は自分の顔を創っていく。
その頃になると、表情は二面性を持つようになる。
本音のまま、表情が出ている場合と。
本音を覆い隠すための表情をしている場合と。
大人になれば、悲しくても悲しい顔を出来なくなる。
本気で笑えなくなる人だって、たくさんいる。
お母さんからもらった笑顔を閉じ込めてしまう人も。
やがて、老齢に向かう。
顔には皺が刻まれていく。
それまでの、自分の人生で創り上げた表情筋に沿ったシワだ。
その人の笑顔の時の表情筋に沿ったシワ。
その人の普段の顔の表情筋に沿ったシワ。
表情が固定している人ほど、シワになっていく。
多彩な表情を持っている人ほど、深いシワにはならない。
いずれにせよ、その頃には、その人の人生そのものが顔に現れる。
長年連れ添った夫婦は、同じ時間を過ごしていくうちに、同じような表情筋を鍛えているのだと思う。
一緒に笑ったり、喧嘩したり、一緒に泣いたり。
そうこうしているうちに、いつの間にか、同じ表情に近くなっていく。
だから、顔が似ていく。
同じ筋肉を鍛えているんだから。
逆を言えば、一卵性双生児でも、別々に暮らせば年を重ねるほど、顔が変わっていく。
元劇団員の女優たちがSNSで、子供たちの写真をよく載せているんだけどね。
顔は父親に似ているなぁとかたくさんあるんだけど。
本当、笑顔はその女優に似てるんだな。
ああ、こんな笑い方してたなぁって、しょっちゅう思う。
あの子たちは、子供たちに笑顔をあげているんだね。
表情とはなんなのか。
実在的な意味なら、今書いたことになる。
観念的な意味も、ここに書いたように内包している。
映像は舞台以上に表情が見える。
創った表情なんか、すぐにばれる。
表情はやっぱり心から自然に湧き上がってくるものじゃないとどこか不自然になる。
美味しいものを食べた時の顔を創ることはできない。
美味しいものを食べた時風の顔になっちゃう。
美味しいものを食べた時に、自然に生まれた表情以上の自然さは生まれない。
つまり、映像の世界で演じるという事は、心から演じないと、結局通用しないという事だ。
もちろん、そこは舞台だって同じだ。肉体表現なのだから。
ただ、普段から誰だって知っている人間の表情は、より嘘がばれやすくなるだろうと思う。
より、嘘にならないように注意していかないといけないということだ。
その瞬間に、自分の内側から出てくる表情じゃないといけない。
そして多分、内側から出てくるものは、想像しているよりも大きい。
まず怒って、それを隠す表情をそれから創る。
演じているとやりすぎなんじゃないか?と思うぐらいじゃないと、表情まで届いてこない。
まだ、おいらの顔は完成していない。
おいらの人生が顔に出ていない。
おいらが芝居を始めたばかりの頃に出会った大先輩たちは、もう顔が完成していた。
人生そのものが顔に出ていた。
おいらは、まだまだそこに至っていない。
目の表情。
顔の表情。
声の表情。
肉体の表情。
心からだったり、心を隠したり。
その役の人生が、その顔に浮かんでくるだろうか。
そこまで、追い込むつもりぐらいで、丁度いい。