映画とテレビの違いって難しいような気もする。
同じ映像だし、映画をテレビで放映することもあるし。
それに、最近はテレビもワイドになって大型化している。
でも、実際には全然違うものだ。
一番の違いは何だろう?と考えたんだけれど。
それは、空間の暗さじゃないだろうか。
長く舞台をやってきたから、暗転の効果というものを良く知っている。
映画は、真っ暗な映画館の中で観るものだ。
その理由は、スクリーンへの投影だからだ。
テレビは、液晶自身が光っている。様々な色を生んでいる。
だから、明るい中でも色の表示が綺麗に出る。
映画は真っ白いスクリーンに、光を当てている。
だから、観客は、その反射光を見ていることになる。
明るい中だと、スクリーンは他の光も反射してしまうから、色温度などが変わってしまう。
直接光源を見ているわけではないから、暗い中で見てもテレビほど目に悪くもない。
光を当てなければ黒。
光を出さなければ黒。
と、実は、光の部分では反転している。
スクリーンは基本が黒だから、黒の諧調が優れる。
液晶テレビにとって、黒の諧調は、中々難しいテーマだと聞く。
どこのメーカーのテレビも、いかに黒の諧調を出すかに四苦八苦して独自の技術を開発している。
映画館で観る白黒映画と、テレビで見る白黒映画は、もう全くの別物だって思う。
まったく影の効果や、深度が違うよなぁって。
昔、黒澤映画や、小津映画を、あえて名画座に観に行って、その諧調の深さに驚いた記憶がある。
だからテレビで映画を観るとやけに暗く感じることがある。
デジタルになったり、テレビの進化でだいぶ良くなったけど、今でもある。音もあるけれど。
今回のセブンガールズも、暗いシーンがある。
闇の諧調に優れた映画というメディアであれば、当然の事だ。
影は表情を豊かにして、薄闇という空間を生む。
今、明るい中で稽古をしているけれど、自分の中で、ここは暗いとイメージしている。
カメラで撮影して、それを観る時も、ビカビカに光った蛍光灯の下の映像だ。
これが、どれだけ暗くなるかなぁと、想像しながら観ている。
おいらみたいに、平面的な顔をしていると、陰影があるだけで、全然イメージも変わるからだ。
デビさんの影の使い方もとてもとても気になっている。
美術的にデビさんが、影を使うのが上手だろうなっていうのは、すぐ想像できる。
女性は、明るい方が綺麗に見えるなんていうけど、それも実は影の使い方一つだ。
明るくすれば、肌は綺麗になるけれど、影がない分、表情が死ぬ。
陰影は豊かな表情を生む。表情の変化も。
豊かな表情は、愛嬌が生まれるし、感情移入を呼び込む。
そして、スクリーンなら、その陰影の諧調が深い。
白黒映画時代に日本映画は世界中で称賛されていた。
それもとても良く分かる。
日本には、墨絵の文化があるから、絵における黒の使い方を肌で知っている所があると思う。
海外の絵本の挿絵とかを観ると、石を油で溶かしたインクでペンを使って細い線で書くような絵が多い。
日本や中国は、炭を溶かした水溶性の墨で筆を使って、絵を描いている。
黒の諧調に、昔から触れている。
黒の諧調で描いた芸術を子供の頃から目にしている。
それこそ、フスマや、お椀や、カレンダーまで、どこにでもある中で生活している。
だから、おいらのイメージは墨絵だ。
暗いシーンのイメージ。
そこまで計算して芝居できないものだろうか。