どうしてもシナリオを読み続けていると、どんどんその世界観に入っていく。
どんどん小さく小さくなりがちだ。
でも、忘れてはいけないのは、この作品を世界に持っていきます!と約束したことだ。
持っていって、どうなるかどうかなんて、わからないさ。
そう言っちゃうのが一番簡単だけれど、やっぱり、世界というフィールドで何かの動きが起きる。
そういうことを本気でイメージしていかなくちゃいけないと思う。
別にやることが変わるわけではないけれど。
とは言え、小さい範囲内で自分の芝居を考えていそうで、身を引き締める。
この作品を成立させよう。
この役を演じ切ろう。
この作品を映画化しよう。
そこに一歩間違えれば行ってしまう。
でもそれじゃダメなんだ。
おいらたちのことを知っている人も。
おいらたちのことなんか興味のない人も。
日本語のわからない地球の反対側にいる人も。
心が動くような芝居。
それをやらなくちゃ意味がないんだ。
ちゃんとやろう。では、ダメだ。
やりきる!以外には有り得ない。
まず、思い知ることかもしれない。
自分なんて、誰も知りはしないことを。
そして、自分なんか誰も気にしてもいないことを。
そんな役者だということを思い知ればいい。
稽古期間がある。
監督も共演者も勝手知ったる仲間たちだ。
いつもと違うのは、そこが劇場ではなくて、お客様がいない事だ。
でも、それじゃあ、やっぱつまらない。
慣れた仲間だから、慣れた空気が流れてしまうかもしれない。
そしたら、その空気まで、確実に映ってしまう。
稽古期間があるのはとても珍しいことだし幸せな事だけど。
だからと言って、その中だけでやってはだめだ。
その向こうに、映画館を。その向こうに見知らぬ誰かを。その向こうに行ったことのない国を。
どれだけ、イメージして稽古しているかどうかだ。
かっこいい俳優なんか腐るほどいる。
なんだったら、モデル出身だぜ。
巧い俳優も、山ほどいる。
知名度があるタレントだっているし、一定の評価を受けている俳優だっている。
おいらは、かっこよくもなければ、巧いわけでもない。
知名度もないし、ろくな評価なんか受けたことがない。
ないないづくしの、なんにもないただの男だ。
だから、そのどこでも、勝負なんかできない。
時代感を纏うために体は削るけれど、別にかっこよくなんかならない。
どこでも、勝負出来ないのに、よりマーケットの広い世界に向かってる。
でも、絶対に負けないものがあると思っている。
おいらにしかないものがあると思っている。
それを、この映画に叩き込むしかない。
この役は、小野寺しか出来ない。
そう言わせたい。
そこまではやりたい。
今は、風車に挑む、ドン・キホーテでも構わない。
馬鹿だなぁと笑われてもいい。
芥子粒ほども、恥ずかしくない。
恥なんか、もうこれ以上どうやってかくんだよ?ってほど、かいてきたから。
誇大妄想なんだよ。これは。
でも、誇大妄想でもいいじゃないか。
ただ映画化したい!だけではきっとクラウドファンディングの達成もなかったとおいらは思っている。
この作品を世界に持っていく。
自分たちで出来ることを全部やって、それで、世界に挑む。
遥か長い道を、そこに宣言したからこそ、今がある。
空を飛びたいと言っているようなものかもしれないけれど。
恥も外聞もプライドも全部捨てて、基礎の部分から徹底的に考え直すんだ。
応援してくれる人もどこかで、呆れちゃうかもしれない。
それでも、着実に。
出来ることだけじゃなくて、出来なかったことまで。
忘れないんだ。
おいらは、世界に挑んでいるんだという事を。
そもそも、既に、ミラクルの中にいることを。