2016年06月10日

ふいに訪れた闇

今日、自分の住む区画で停電が起きた。
パチンという音もせずに、一発で、全ての電気がなくなり、闇がやってきた。
ブレーカーが落ちたわけでもヒューズが飛んだわけでもないことは感覚で分かった。
すぐに、外に出ると、隣の区画のコンビニエンスストアの看板はついていた。
でも、うちの建物の周りだけは、完全な闇。
そちらこちらから玄関や窓の開く音が聞こえて、懐中電灯の光が現れた。
次の瞬間、街の灯りが復旧して、次々に明るくなった。
時間は5分もなかった。

恐らく、自動復旧だろう。
今、東京電力の高圧電線には全て切替機が付いていて、どこかで停電があっても目標7分以内で復旧できるようになっている。
全自動で切り替わる地区もあるし、中央で電力切り替え管理できる地区もある。
どこかで、電線が切れても、トランスにトラブルがあっても、他の支線から電力を持ってこれるようになっている。
電気工事をして、元に戻るまで闇の中だったのは、もう遠い過去だ。
子供の頃の停電と言えば、冷凍庫の中の物が全て溶けちゃったり、ラジオをつけたり、ろうそくを付けた記憶がある。
もちろん、切替機では間に合わないぐらいの広い地区の停電もあるから、今もそういう地区はあると思う。
或いは、街の端で、分岐がない系統だと、時間がかかるかもしれない。

東日本大震災の後、福島の事故で計画停電があった。
実はおいらの地区は下水処理場や総合病院があるので免れていた。
それにあの時は、昼間だったもんね。
夜に急に停電になるのは、なんというか、とてもとても懐かしかった。
計画停電は、実は戦中戦後には何度もあったらしい。
供給する電力が足りなくなる計算だと、計画的に停電をする。

所で、この話を耳にして、少し不思議に感じた人もいるんじゃないだろうか?
あんな焼野原なのに、停電?
なんとなく合点がいかない人もいるのではないだろうか?

戦争に最高の結末があるとすれば、それは、対戦国のギブアップである。
それならば、被害を最小限に抑えることが出来る。
次点の最高の結末は、敵の、基地のみの破壊だ。
戦争とは、ただの破壊行為ではない。
勝利をした後、その街を占領して、人心を掌握していかなくてはいけない。
軍部や、弾薬庫、基地などが、最高レベルの破壊対象だ。
勝利してもそこが焼野原では、復旧にどれだけの予算が必要か。
それを考えれば、なるべく、インフラに関しては攻撃しないことがベターだ。
発電所や、浄水所などを破壊すれば、占領後に電気も水もない所を占領しなくてはいけなくなる。
全破壊というのは、なかなか、踏み切れるものではない。
今でも、戦争になって原子力発電所を攻撃されたらどうするんだ?という人がいるけれど。
戦争であればあるほど、その可能性は低くなる。
そんなことをすれば、戦争に勝っても、大きなダメージを抱えることになるからだ。
もちろん、今の時代は、対テロの時代だから、それも変わってきているのだけれど。

太平洋戦争時代の日本は、その儒教的というか武士的な発想を持った軍部がギブアップをしなかった。
完全に戦局が見えた段階になっても、一億本土決戦なんて、夢のようなことを平気で口にした。
もちろん、ベトナムのように上陸されても全国民が必死で抵抗すれば、占領なんて簡単に出来るものではないけれど。
そんなことをすれば、悲劇は限りなく広がって、破壊は限りなく広がったはずだ。
復旧なんて、何十年という単位で遅れていたことは明白だ。
明晰な人は、ギブアップしなくては、この国が危ういと早い段階で気づいていたのだけれど、中々届かなかった。
明らかに振り上げた拳をおろせなくなっていただけだ。
そして、戦争ではその最悪と言える、東京大空襲、2つの原爆投下が起きた。
ギブアップしなかった軍部が悪いのかもしれないけれど、かと言って、こんなことよくも選択しやがった。
確かにポツダム宣言受諾は直後だけれど。
その時点で原爆がなくても、大空襲がなくても、戦局が見えていた日本人もいたというのに。

80を超えたかつて電気工事士だったおじいちゃんから二人きりで話を聞いたことがある。
終戦直後、電気工事士は、とても金回りが良かったのだそうだ。
戦争が終わると同時に、GHQに呼び出されて、基地までの電線を引く工事を依頼されたのだそうだ。
当時はまだ、完全防護服なんてなかったから、感電死する電気工事士が何人もいた。
危険作業だから、電気工事士は給料がそもそも良かった。
その上、GHQからの直の仕事となれば、給料も良かったし、チップまでもらえたのだという。
つまり、発電所は完全に破壊されていなかったという事だ。
焼野原で、電柱も残っていない写真をよく見かけるけれど、送電線がなくなっていただけ。
インフラのいくつかは、爆撃されないままだったという事だ。
電線さえ引けば、電気があったのだ。
占領後の事を考えて、民家に焼夷弾を落としていたという事だ。

終戦直後のことを調べていると、あれ?と何度も思った。
裸電球がぶら下がっている写真などが時々出てくるからだ。
何年も経たないで、占領軍向けの電飾看板が出てくるからだ。

なんのことはない。
電気はあったのだ。
発電所も上下水道も、整備さえすればすむように破壊していたのだ。
「戦意」をそぐためだけの、住民区への爆撃だったのだ。

パンパン小屋に電気はあるのだろうか?
夜は真っ暗なんだろうか?
蝋燭やカンテラは必要なのだろうか?
そんなことを色々思いながらシナリオを読んでいたら。
実は、そうだったのだとわかった。
もちろん、民家に送電されたり、パンパン小屋に送電されたのは後回しだろうけれど。
終戦後、半年後には、電気が使える場所は少なくなかったのだ。
考えてみれば、終戦時の昭和天皇によるラジオ放送は、ラジオ局に電気がないと出来るわけがないのだ。
今よりもずっとずっと貴重だっただろうけれど、確かに電気はあった。

今日、電気のない、闇の中。
勘だけで外に出た。
意外に、闇の中でもおいらは動ける人だった。
懐中電灯も、スマホも持たずに、いつもの空間だから、進めた。
電気が復旧するまでのほんの数分。
確かに、そこは、闇の中だった。

あの子たちの夜はどうだっただろう。
電気ぐらいは引いていたかもしれない。
夜のお仕事だもんね。
カンテラや蝋燭もあっただろうけれど。
蝋燭なんか、貴重品も貴重品だったはずだ。
電気だって、使い放題じゃない。高級品の電球だって消耗品だ。
客が引いた深夜は電気だって消すはずだ。
真っ暗な夜だったのかな。
月明かりや、星明りの夜もあったのかな。

昭和館に、コンセントじゃなくて、裸電球のソケットにねじ込むタイプの電化製品が置いてあったよ。
昼間、電気を使わない時間帯に、天井からぶらさがるソケットにねじ込んで電気を使ってたんだなぁ。

今は5分で、昼間のようさ。
これじゃ、あの子たちの、気持ちを本当に理解できないんじゃないかなぁなんて思っちゃうよ。
こんな便利になったのは、全て、その時代があったからだっていうのに。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:24| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする