ロボットは嘘を付けない。
それは、長く定説だった。
近年、人工知能の開発に大手企業が乗り出している。
人工知能の持つ可能性と、ハードウェアが、知能に追いついてきたこと。
そして、他社が人工知能を完成した時に、技術的に大幅に遅れてしまうこと。
そういう全てが、具体化してきて、ここ数年で一気に進み始めた。
人工知能は、嘘をつけるのだろうか?
2045年に人工知能は人間の知能を越えるという予測もあるという。
簡単なウソならすでにつけるとする説すらある。
それはとても大変な事だ。
人工知能がまだ嘘を獲得していないのだとすれば、地球上で嘘をつけるのは人間だけになる。
もちろん、動物にも擬態や本能に根差した天敵への騙す方法は持っている。
飼い犬や飼い猫を見ていると、怒られるとわかった途端、素知らぬふりをする。
そういう意味では、嘘をつくのは人間だけではない。
ただ、言語を獲得していて、かつ、見分けのつかないような複雑な嘘と限定すれば人間だけになる。
「嘘」とは、それだけ脳活動においては、高等な機能だ。
日本人には儒教の教えが根付いていて、子供の頃から、「嘘だけはつくな」と教えられる。
子供の頃、親に言われた覚えがある人も多いんじゃないだろうか。
親も子供に嘘をつかれると傷つくし、嘘をつかれてしまうと育てるのが難しくもなる。
そして儒教的発想で言えば、嘘は罪という事になる。
子供の頃から、嘘はいけないと叩き込まれている。
だから、どこかの政治家や都知事の会見で嘘を感じると、必要以上に怒る。
これは、嘘じゃないか!とすぐに気付く。
でも、本能的に知っているはずだ。
嘘をつかない人間なんていない。
どこにもいない。
おかげさまで、いけない嘘を自分の中に抱え込んで、精神的に重圧を感じる。
例えば、今の生き方が本当は好きじゃない。俺は自分に嘘をつき続けて生きている・・・。なんて思う。
嘘を重ねてまで、なんで、こんなことを続けていかなくちゃいけないんだろう・・・。なんて悩む。
人の前でついつい良い顔をしてしまって、汚い人間だなぁ・・・なんて自己嫌悪する。
簡単な、家族や仲間の前でかっこつけちゃう嘘もあれば、自分に対する嘘もある。
世の中には嘘が溢れかえっているじゃないかと、どこにぶつけていいかわからない怒りを抱える。
嘘をつかないで生きていくという事が、とてもとても難しいことなのに。
なるべくそれに近づきたいと願う。
結局のところ、自分を騙しながら。
おいらは、真実ってなんだろう?
なんて、青臭いことを思っていた時期もあった。
じゃあ、思ってないの?と聞かれると、思ってないとも少しだけ違う。
思ってはいるんだけど、それは、ちょっとつまらない考え方だなぁってなってしまった。
真実なんて、一つではないし、多層的だし、とても物質的だから。
そんなことよりも。
そこにある嘘について考える方が物事の本質をつかめるなぁと思うようになった。
それも、鏡合わせな真実への近づき方だと知った。
役者をやるというスタート段階では確かに違ったはずなのだけれど。
どこかで、ギアが入れ替わっていた。
嘘というものを完全に自分の中で受け入れることが出来るようになった。
それは立っていられないほど悲しかったり、何も口に出来ないほど落ち込んだり。
そういう日を過ぎて、ようやくそこに辿り着いたのだと思う。
演技とはそもそもが嘘なのだ。
断言するけれど、人工知能が嘘をつけるようになっても、アンドロイドが演技をすることは不可能だ。
父親の演技も、母親の演技も、殺人鬼の演技も、子供の演技も、絶対に出来ない。
アンドロイドに、人を殺すシーンを演じさせたら、本当に刺してしまうかもしれないよ。
刺す演技をするということを理解する・・・なんてことは、嘘を三重奏にしているようなものだからだ。
プログラムしてそういう動きをさせることは出来ても、自主的な演技は出来ない。
人は刺さないけど、刺す気持ちで!なんていう矛盾を常に抱えているのが演技だ。
刺さないように、けれど、本当に刺すように。こんなことを人工知能がどう理解するのか。
エラーを出すのが目に見えている。
でも、それは、人工知能だけじゃないよ。
大抵の人間が初めて演技をする時に、小さなエラーを乱発している。
人間はエラーを出しても、なかなかフリーズしたりしないだけだ。
している人を見たこともあるけれど。
海外ではカウンセリングで、患者に演技をさせることがある。
それは、とても良く分かる。
別に上手に演じる必要なんかない。
演じることで、嘘と自分との折り合いがつくんだ。
主観と客観の整理がつくんだ。
「嘘はいけない」と思い込んでいるとすれば、それは一度、ポイしちゃった方が良い気がする。
どれだけ誠実な嘘をつけているかな?自分は・・・。
ぐらいに、一度、思ってしまえばいいよ。
それだけで、世界観が変わると思うから。
子供の頃。まだ嘘はいけないと教わる前を思えば。
おいらは、しょっちゅう、お母さんの前で、狸寝入りしていた。
寝ているふりをして、気付かれないと嬉しかった。
不思議とそういう記憶がある。
あれは、自分の最初の演技体験だよなぁってよく思う。
人はね。
自分さえ騙すんだってさ。
自分に嘘をついているって感じているなら、それは騙し切れていないだけだ。
おいらなんか、ウソツキさ。
どんどん自分を騙すんだ。
お前なら、もっと出来るだろ?って。
騙し切ってやる。
不思議とその先にあるのが真実なんだから。