今週、久々に自分の稽古を見てもらえる。そう思っていた。
・・・んだけど、到着するなり、シナリオの改訂。
そうだった。
先週、本読みをしたのだから、大幅に改定箇所があることはわかっていたことじゃないか。
たくさんのシーンに細かい修正が入り、あっという間に時間が無くなっていった。
ほんの少しだけのシーンはあったんだけれど・・・。
まぁ、そんなもんさ。いつだって。
登場人物プロフィールを回して書き足したり修正を全員に頼む。
叩き台はお願いして作ってもらって、少しだけおいらが修正を加えたものだ。
帰ってきた台紙にそれぞれ、書いている。
作品の中の立ち位置を書く人もいれば、こうやりたいという願望が混ざっている人もいる。
なるほど。
これを清書して、デビさんに転送して、完成を待てばいい。
稽古後。
来週からの稽古を話す。
ざっと、頭のシーンから終わりのシーンまでやってみるということを続けてきたけれど。
それはすでに本読みで役割を終えている。
そろそろステップ2に進む方向になる。
演出ではなく「芝居」の稽古だ。
芝居を創っていくという作業。
もちろん、ただ監督からの指示を待つようならやる意味がない。
自分でプランを立てて、何を見せるのか考えて、稽古場に持ってくる。
その作業に入ろうという話。
そこに一番時間をかけたという言葉も飛び出す。
時間はあるようでない。
撮影までの日数はまだまだあるけれど、稽古時間だけでみれば、少なくなっていく。
きちんと、スケジュールをコントロールして、漏れがないように稽古をしないとだ。
芝居の稽古はいついつまでと決めて、演出に入る日も決めてやらないといかん。
多分、まずは、映像の芝居を楽しいと思えるところまで芝居を創ることだ。
難しいというよりも、慣れだとかコツの問題でもあるとデビさんは言う。
そして、反射速度も向上したいなと思う。
3秒あれば、大体の事は表現できるけど、1秒でそれを出来ないとなって。
たっぷり間を使って芝居をするなら、誰だってある程度の表現は出来る。
至って普通の表現であれば。
でも、それを一瞬で表現できるなら、それは何倍もの力になる。
クリエイティブな時間にしていかなくちゃだ。
今は、色々と教わっているような時間になっている。
それは多分、役者が稽古場に持ち込んでいる芝居が足りていないからだ。
舞台で演じたから、そのままでいいだろうという思いもあるのかもしれない。
それも必要な稽古だし、知らなかったという事もたくさんある。
映像でどう変えるか、デビさんに聞こうというスタンスになりがちだ。
そこをさらに突っ込んで、芝居を持ち込んでいかないと、たぶん、本当の意味での監督の仕事にならない。
役者の芝居次第でカットが変わることだってあるし、内容が変わることだってあるんだから。
でも、今のままでは、それが起きることはないなと思う。
難しいし、学んでいきたいけれど、そろそろ、そこから抜け出していい時期が来ている。
撮影日から逆算すれば、遅いぐらいかもしれない。
デビさんが芝居を見て、よし!それならこうしよう!
・・・と、頭の中だけで創っていた芝居から、外からの刺激で組み立てる芝居になった時。
それは、クリエイティブな作業になってくる。
そこから先は、作品がどんどん良くなっていく道だ。
まず、裏を創ろう。
もっと深く。今までのままではダメだ。
そこまで作らないと、本当の表情が出てこない気がする。
テクニカルな部分ばかり考えすぎてしまう自分をまず脱却しよう。
おいらの頭の中でそんなことばかりがグルグルと回っている。