2016年06月04日

タイムスリップ

朝のうちに健康診断に行き、終わると同時に九段下に向かう。
先日書いた社会科見学をしようと思ったからだ。

3本も血を抜き、バリウムを体外排出するための下剤を飲んだ状態で。
なんか、少しふらつくから、予定していたランチもやめて、少し休憩してから、さきに「しょうけい館」に行く。
建物の向かいには、これぞ昭和という建物が建っていた。
思わず、ノックしそうになるのをぐっと我慢して中にはいる。

しょうけい館は、傷痍軍人の記録を残した博物館だ。
現在、実際に戦地から片腕を失って復員した水木しげるさんの特集をやっている。
最初に常設展示から見るのだけれど、最初から圧倒された。
銃創の残った軍帽や軍靴、手紙、千人針。飯盒。
ありとあらゆる、いわゆる実際に戦地にあったものや、傷痍軍人がその後つけた義肢が展示されている。

実際の野戦病院がどのような場所だったかも展示されていて。
全ての展示には、その持ち主たちの逸話が添付されている。
都心に無料で見学できるこんな博物館があることを知っている人なんかそれほどいないだろう。
戦後、恩給が途絶えてから、傷痍軍人がどうやって生きてきたのか。
一つ一つ書かれているものを目にする。
水木しげるさんの逸話も、やはり親身に迫るもので、戦慄を覚える。
これまでのおいらにとっての、新崎のセリフはある意味でファンタジーだった。
そういうことがあったと知っているというレベルだった。
でも、今後稽古場でこのシーンをやるときは、どうしたって、あの蝋人形を思い浮かべるだろう。
一つ、おいらのなかの理解が深くなった。

おいらは、わりとこういうことをする。
新選組を演じるとなれば、高幡不動に足を伸ばし。
二二六事件を演じるとなれば、麻布十番まで墓参に行き。
幕末を演じるとなれば、京都まで足を伸ばした。
正直、別にそんなことを役者がする必要はない。
そうじゃなければ、死者を演じる時に死ななくちゃいけなくなる。
病人を演じる時に、病気にならなくてはいけなくなる。
そこを想像で埋めることが出来るのが役者だというのはわかっている。
だからこれはある意味で自己満足だ。
単純に自分の身体感覚のようなものを、研ぐような作業でしかない。

下剤のせいなのか、まだ体調が万全ではないので小休止して、昭和館のパンフレットを読む。
しょうけい館とは違って、あちらはビルで、全体が博物館。
詳細に観るなら1日かかってもおかしくない分量の展示物がある。
覚悟をしなくちゃなと、思いつつ、6階と7階の常設展示を中心に行くことにする。

戦中、戦後に使用された、家具、衣服、建具。
ありとあらゆるものが展示されていた。
体験型の展示もあって、当時の道具を触ったり、衣服を着たり、防空壕内の仮体験も出来る。
金属を軍にとられて、紙で出来た洗面器や、紙でできたヘルメットまで展示されている。
これは、とんでもない所に来てしまったと、呆気にとられる。
終戦直後に防空壕で生活していた方の写真なども展示されていて、衝撃を受けた。

残飯シチューを知っているだろうか?
おいらはそれがどんなものかは知っていた。
GHQの食堂から出る残飯を浮浪児に取りに行かせる。
その残飯を煮込んでシチューを作り、闇市で売っていたのだという。
当然、残飯だからゴミ箱で、時々、その中にはごみも混在していたらしい。
それでも、味が良く、食べる物が少ない時代に大勢の人がわざわざ食べに来たのだそうだ。
その残飯シチューの模型が展示してあった。
あれは、妙に心に来るものがあったな・・・。
シチューに煙草のパッケージが浮いているんだもん・・・。

実際に使用していた家具・道具の説得力は凄かった。
家具というのは凄いね。
その向こうに生活がどんどん見えてくる。
展示されている服のデザインだけで社会が見えてくる。

ただね。
不思議なことに。
常設展示を回り終わって、下の映像や写真のアーカイブも見ていたのだけれど。
やっぱり、パンパンや浮浪児の資料が少なすぎる。
こんなにないんだ・・・。
7階建てのビル全てが戦中戦後の展示物なのに。
パンパンの資料なんて、数えるほどしかない。
この資料の少なさがかえって、おいらにはリアルでリアルで・・・。
終戦直後には終戦直後の社会があって、パンパンも浮浪児も愚連隊も当時の裏社会だったという証拠だ。
写真や映像がこんなに少ないわけがないはずなのだけれどね・・・。

当時の色々なバラックを見れたし。
当時の様々な家具を見れたし。
当時、どれだけモノがなかったのかも、肉体感覚でわかった。
米や砂糖や石鹸が、闇市でどれだけ高価だったのかもわかった。
人々の心もわかった。
ただ、パンパンの事だけは、余りわからなかった。

帰り道。
電車で熟睡してしまった。
今になって、血を抜かれた影響が出てきたのかな・・・。
起きたおいらの脳内で、様々な展示物が記憶整理されているだろう。

歴史認識とは、正確に歴史を把握することじゃない。
それは、政治の世界のやりとりで、何が正確かなんかいつでも変わるのだから。
本当の歴史認識というものがあるのだとすれば、それは、当時あったものに実際に触れて、実際に確かめることだ。
確かにこの茶碗で飯を食った人がいる。
それが、何よりも一番正しい歴史認識だ。

おいらたちの親の世代は団塊世代と呼ばれる。
この終戦の頃、生まれた子供たちだ。
彼らが成人したころ、終戦が終わったと言われた。
彼らは、安保闘争に汗を流す世代になった。
終戦直後という時期の記憶を持たない子供たちだ。
もちろん、親や、周囲の大人たちから、直接、様々な話は聞いただろうけれど。

そしておいらたちは、更にその子供なのだ。
どれだけ見聞きしても、結局、リアリティを感じるのは難しい事なんだと思う。
映画や演劇や小説の世界にしか残っていないのだから。
もちろん、それは仕方のないことだし、それでいいのだと思う。
ギリシャ悲劇も、トロイの木馬の物語のごとく、実は実際にあった戦争の物語だった。
中国の三国志や史記だって、今や、物語になっている。
それは、当然のことで、そこから真実を知る人がきっといるはずなのだ。

だからこそ、その物語に関わるものとして。
少しでも近づいておきたい。
そう思った。
セブンガールズは物語だし、映画というエンターテイメント。
社会性が強いのかどうかすら、見る人に委ねている作品だと思う。
純粋な面白さを目指しているはずだ。
その面白さの向こう側に、少しでもちゃんとした裏付けが欲しい。
おいらは、そんなことを思っていた。

今、ようやく頭がクリアになってきて。
まるで、タイムスリップから帰ってきたような気分になっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 18:54| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする