先日、美術スタッフの齋藤さんと話していて、あがったのだけれど。
登場人物のプロファイルの作成に入った。
一つ一つの役の設定や性格、エピソード、イメージなどを列記していってリスト化する作業だ。
本当はおいらが全部やっちゃおうとも思ったのだけれど、一部作成して、人に任せてみた。
もちろん、完全に任せるのではなくて、とりあえず出来る所まで追ってもらう感じだ。
出来上がったら、おいらもチェックするし、役者全員で確認してもらう。
それで、追記して加筆修正して、最後にデビッド・宮原監督に確認してもらって出来上がる。
なぜ、そんなものが必要なのかと言えば、映画の多くの仕事は分業制だからだ。
例えば、「あさひ」という役の外観を担当するスタッフさんは一人じゃないのだ。
髪形やメイクは、ヘアメイクさんになる。
衣装は、衣装さんになる。
靴やアクセサリー、鞄などは、小道具さんになる。
あさひの部屋が出てくるなら、その部屋の装飾は美術さんの担当になる。
そして、演出は監督で、演じるのが俳優。
一つの役にこれだけ多くの人が関わることになる。
イメージがそれぞれズレてしまうと、違和感のあるキャラクターになってしまう事もあるという事だ。
衣装は渋いのに、靴は派手、部屋はかわいくて、芝居が男勝りになっちゃったら、目も当てられない。
もちろん、今回の作品は舞台という原作があるからそこまで大きな齟齬が出ることはない。
でも、実はその方が少し危ない。
舞台や、舞台の映像を観て抱く個人個人のイメージは、実は少しずつ違ってくる。
同じ役でも、強い人間と思う人もいれば、弱い人間と思う人も実はいるのだ。
大きな齟齬がなくても、実はそういう小さなずれのほうが、出来上がったキャラクターに違和感を与えることがある。
大きな齟齬は、修正が出来るけれど、小さなずれは、何かがおかしいなぁ・・・となってしまう。
意外にスタッフさんたちは役のイメージが共有出来てるのに、俳優だけずれたりだってあるのだ。
齋藤さんは美術スタッフをやっていく中で、役のイメージを確認するために、お願いすることがあるらしい。
意外なことに、映画監督は殆ど、こういうものの作成はしてくれないらしい。
まぁ、文字で起こすような作業は、監督的にはちょっと嫌な作業なのだろうと思う。
だから、大抵助監督にお願いすると、助監督チームのスタッフが用意してくれるのだそうだ。
チーフが作成する場合もあるし、助手が作成する場合もあるらしいけれど。
出来上がったプロファイルをもとに、各スタッフさんがイメージを共有していくのだという。
実はおいらは、「SMOKE」という映画が好きなのだけれど。
この映画の脚本が文庫で出ていて、この巻末に「演出の為のノート」という項目がある。
各スタッフ、俳優に、登場人物の性格などを、作家のポール・オースターさんが書いたものだ。
それをハタチぐらいで初めて読んだ時に、目から鱗が落ちるような思いをしたのを覚えている。
それ以来、おいらが台本を書くときには、必ず同じものを付けるようにしていた。
今、思えば、あのノートは、いわゆる登場人物のプロフィールだったのだ。
今回の齋藤さんも、各パンパンたちの部屋が出てくるなら、どう違いを出すのか。
その参考になるから、あったら嬉しいですと、言っていた。
それなら、すぐにでも作成に入りますよ!伝えた。
美術のプランだって、情報があればあるほど、具体的に組みやすいのだと思う。
装飾品だって、時代性だけではなく、登場人物の性格があれば、変わってくるのだ。
ハリウッド映画なんかだと、登場人物一人に対して、何ページにもわたる設定資料がある場合も。
一番聞くのは、アニメーションやストーリー性のあるゲームなど。
世界観を統一していくために、「演技」の部分すら分業なのだから、絶対的なバイブルになる。
設定資料って、時々、映画のパンフレットに数ページ出てくるけれど、とても重要なのだ。
でもね。
おいらは、即決でそれを作成しよう!と思ったのだけれど。
その殆どを人に任せてみて。
今、全然、別の事を思っている。
それは、自分の演じる役の設定を人がどう書くのかがとても楽しみだって事だ。
今まで劇団の中では台本とデビさんの言葉を拾っての役作りだった。
設定資料が欲しければ自分で創るしかないし、自分で組み立てていた。
その自分の中のイメージと、外から見た役のイメージにどれぐらい違いがあるのか。
それを想像しただけでも、ちょっとワクワクする。
それは、役者同士でよく会話をするといつも思う事だ。
この人って、こういう人じゃん!なんて言われて、ああ、そうか。そう思うんだぁ・・・。
って、実は凄く良くあるのだ。
でも、その会話の場合、その場にいた数人しか共有できない。
それが、全員が更に読むことで共有できるんだから、ものすごく大きいと思う。
それだけで、自分の役作りに大いに役に立つだろうなぁというのは想像に難くない。
どの映画でも、どんな物語でも。
実は設定資料というのが用意されている。
でも、その殆どが非公開。
漫画やアニメで、ファンブックが発売されても、大抵は一部しか公開されない。
ワンピースの尾田栄一郎さんの作業机を見たら、島一つにノート一冊の設定資料を書いていたなぁ。
各登場人物、各海賊団、それぞれの設定資料を一冊ずつ手書きで書いてた。
ファン垂涎の設定資料だけど、あれは、非公開のままなんだろうなぁ。
今回のセブンガールズの設定資料も、もちろん、非公開だ。
俳優とスタッフさんたちだけが共有するものだ。
そして、公開されるのは、共有された結果としての、映像表現になるという事だ。
ハリウッドのような分量にはならないけどね。
おいらは、色々な方面で、大きなプラスになるだろうなぁと予感している。