2016年06月18日

病んで思う

体調もだいぶ回復した。
今日は、ちょっと出かけてみようかと思っていたのだけれども。
やっぱり、無理は出来ないと思って、やめておく。
明日は稽古だしね。

ヨーグルトやお粥や消化のいいものばかり食べていたら、体が浄化された気分だ。
今までスパイスのきいた物や揚げ物も口にしてきたからなおさらだ。
明日は飲みにも行かないだろうし。
体の内組織が少しずつ変わっちゃうんじゃないだろうか。
食はそのまま体の要素になるんだから、当然、変わるのだろうと思う。
精進料理を食べると、闘争本能が薄らぐと聞いたことがある。
動物性たんぱく質は、そのまま闘争本能に直結する栄養分が多いのだそうだ。
0.001mgなんていう量のアミノ酸が脳内では十分に影響するのだから、あり得る話だと思う。
肉食動物は闘争本能がなければ飢え死にしてしまうのだから、必須のはずだ。
日本人の食生活も、魚中心の菜食だったわけで、思考の変容はあるだろうと思う。
そういえば幕末作品で坂本龍馬を演じていた時に、商家に生まれた龍馬は、動物性たんぱく質を豊富に摂取していた説を見た。
鰹で有名な土佐では、富裕層は、多くの動物性たんぱく質を摂取できる。
当時としては、大柄だった体格も、頑丈な肉体もこれで説明がつくんじゃないかと書かれていた。

そうなると、まだ数日なので大して変わりようがないとはいえ。
今のおいらは、禅でも組むような精神性なのかもしれない。
攻撃性が弱まっているかもしれない。
自分の演じる役を思えば、これではいかんと思う。
当時を思えば、とにかく、食べる物なんかなかったし、腹いっぱいに中々なれなかった。
常に飢えていて、たまに食べる物もロクなものじゃなかった。
その状況での精神状態をイメージしなくてはいけないと思う。
これは、もう基本中の基本だ。

実際、数日食べる物が変わっただけで、自分の内部での変化を感じるんだから。
それが数か月以上続いた当時だったらどういう状態なのか考えただけですぐにわかる。
戦後の小説をよく書いた色川先生の小説でも何度も書かれている。
皆、頬が落ちくぼみ、目をぎょろりとさせて、当てもなくただ歩いていた・・・なんて一節だ。
東京の中心部の焼野原でも、畑を耕している人がいる。
とにかく、食べる物を少しでも作るためだったのだろう。
肉野菜はそれでも、魚や缶詰や、地方から運んで来たりしていたようだけれど。
決定的に、小麦粉やコメなどの炭水化物は足りていなかった。
それは、当時の物価票をみてもすぐにわかる。
小麦粉と米だけは、異常に物価が高くなってた。
それじゃあ、日本人は腹も膨れないよ。

うちは真言密教で、檀家になっているお寺は親戚だから話を聞いたけれども。
修行中は、やはり食事制限が入るらしい。
殆ど、味のしない薄い粥や、汁、香物だけで何日も修行する。
睡眠時間もロクにとれない修行中は、普通に幻覚や幻聴まであるという。
何メートルも離れている場所の食べ物の匂いでそれが何かわかるようになるらしい。
それだけ、精神がとぎすまされるのは納得が出来る。
何故なら、飢えているときは、動物は狩猟採食をしなくてはいけないからだ。
飢えれば飢えるほど、人の精神は研ぎ澄まされていって、森の中の果物を見つけたり、動物の糞を見つけることが出来る。
センサーがより鋭敏になっていくのは、当然の事なのだ。

全国民がそういう状態だったのだから、すごい時代だと思う。

たまたまだけれど。
少し体を壊して。
自分は、本当に飢えている状態での芝居を出来ているだろうか?と不安になった。
頭ではわかっているけれど、肉体で理解できているだろうか?
目がぎょろぎょろしているだろうか。

基本だぜ。
この映画にとって。
飢えは。

飽食の時代に生まれ育ったおいらたちが、それを演じなくてはならない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 21:55| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月17日

盗人野郎

熱は下がったものの、腹痛と頭痛が続く。
注意深く、食べる物を選びながら過ごす。
ここは、無理はしない。
まぁ、CTまで撮影しての診断なのだからこれ以上悪くなることもない。
安静にすればそれでいい。
逆に無理しなくてはいけない場面が必ず出てくるのもわかっているのだから。

こないだの稽古で少し重大な発表があったと思う。
これからの稽古について。
そのことについて、それぞれ、今、どう思っているかなぁと、ぼぉっとした頭で考えていた。

芸というのは、結局、人に教わったり、教えたりできるものではない。
精々、アドバイス程度しか出来ないものだ。
自分で理屈から理解しないと、中々、物に出来ない。
例えば、落語なんか、教えたりするわけじゃないらしい。
もう、端から高座を見てなさいってのが教えだ。

デビッド・宮原が、最初に芸の世界に入ったのはダンスだ。
それも、当時、日本人で踊っている人なんかいなかったダンスを身につけた。
海外の数少ない映像や、様々なものを観て、自分のダンスにしていったのだろう。
基本的に、仲間はいても、教わった先生なんかいなかったはずだ。

ダンスや、殺陣なんかの肉体表現は、特にわかりやすい。
ここで、右手を挙げて、ここで右足が前!なんてのでは、結局、なんにも覚えられない。
そこには身体的な理屈があって、その理屈を頭ではなくて、体が覚えないと絶対に入らない。
おいらは、舞台でダンスを踊らなくちゃいけない時は、基本的に見るようにしている。
リズムを見て、足の運びを見て、って見る場所を毎回決めて、見る方に集中する。
見て理解できた部分だけ、実践して、体で理解するようにしている。
中々、うまくいかないけど、実際に、そうやらないと、振り付けなんか全く覚えられない。
殺陣もそうで、体重移動から覚えないと、おいらは全く体が動かない。
コトワリがあると、荻ちゃんやおやっさんに教わって、初めて手が入るようになった。

芸ってのは、教わってできるものじゃない。
自分で発見して、自分で体感して、自分で理解しないと、それは芸にならないからだ。
教わっても、結局は頭で理解しただけで、理屈も感覚もなんにもないから、上っ面になる。
だから、人に、お芝居の相談をされるとおいらは、わりに曖昧な事を言う。
思いっきり声を出してみれば?とか、ちょっとそこで立ち止まって我慢してやってみれば?とか。
その結果、何かを自分でみつけてくれたら、それが自分で発見した答えだから。

そもそもが、言葉で芸は説明できないからしょうがない。
体重がずーっと下の方に落ちていくイメージで!と言われても肉体的理解があるかないかで理解度が変わる。
おいらの師匠は、演出家の言葉なんか30%も俳優に伝わっていたら、凄いと言っていたけれど。
本当にそう思う。
肉体感覚を言葉に変換して他者に伝えても、他者が再度その言葉を自分の肉体感覚に戻せるかは別なのだ。

芸は盗むものなのだよ。
ぬすっとなのです。
盗人結構。
人の芝居を見て、人の動きを見て、人の表情を見て。
自分に置き換えて、試して、発見して、肉体感覚に落として、自分のものにする。
その繰り返ししかない。
もちろん、表面を盗むようじゃダメ。
ネタをパクる的なね。
あそこで、あの俳優がにやりと笑ったから、俺も笑おうなんてのは、結局表面的なんだ。
あそこで、あの俳優がにやりと笑ったのは、どういう流れでどういう狙いだったんだろう?やってみよう。しかない。
やってみたら、やってみたで、それなら、こっちの方が自分に合ってるかもというのが出てくるぐらいじゃないとダメだ。
そこまで行けば、ぬすっとのようで、ぬすっとじゃなくなる。
少なからず、芸の伝承は、延々とそれが連なってきたからこそなのだ。

23年前の今日。
おいらの親友が亡くなった。
今日は命日だ。

あいつが高校時代、教室で毎日ギターを弾いていたのを思い出す。
色々なギターリストの曲を耳でコピーしていた。
延々と、あいつは、真似をしていたよ。
卒業の頃になったら自分の曲も作っていたけれど。
譜面を見るんじゃなくて、大抵がウォークマンを聞きながらだった。
何度も壊れるウォークマンを自分で直すものだから、途中から学校中のウォークマンの修理工場みたいになってた。

多分、教わるという感覚が、もう違う。
自分のものにする。
それしか、結局は身につかない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 21:39| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

オーバーホール

昨晩発熱。
共に腹痛。

んー。
大事を取って、早めに布団にもぐる。

そして病院に。
普通に終わるかと思いきや、血液検査から、点滴、CTまで。
色々疑いが出てきちゃったようで、病院で長期化。

なんか、腸炎だったようでございますよ。
胃腸炎ではなくて、腸炎。
CT画像では、おいらのコプチャンがふっくらと腫れてました。

これからは、落ちているモンは、食べないようにしようと思います。

そんなわけで、オーバーホール。
とりあえず、体を休めます。

また、すぐに走り出すために。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:20| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする