2016年06月21日

輝きに包まれた日

夏至だ。
満月だ。
一年で最も太陽が長く出ている日。
その日に満月になるのは、単純計算で30分の1という事だ。
夏至の満月は20年ぶりになるそうだ。
昼も夜も、太陽と月の光に包まれた日だという事だ。

夏至はいつも6月だから、梅雨時が多い。
どうしても、夏が来たなぁと思えるような日が少ない。
少ないけれど、明らかにここから夏が始まる。

今日まで、いくつの夏を越えてきたんだろう。
色々な夏があった。
今年の夏は、どんな夏になるか。
想像はするけれど、想像しか出来ない。
まったくどうなるかわからない。
そんな夏の始まりが。

夏至と満月が重なるなんて、なんて特別なんだろう。
光に包まれた日なんて、なんて美しい響きだろう。
こんな日で始まる夏が特別じゃないわけがないじゃないか。

星はね。
学問そのものだった。
季節も、時間も、方角も、全て、星から人類は学んだ。
星から、月から、時を読み、運命まで読んだ。
数学が生まれ、芸術も、文学も、たくさん、星から生まれた。
だから、一番星の出る夜が短い日にも意味がある。
占星術にとっては、特別な夜なんだろうなぁ。
今日から少しずつ、日の出ている時間が減っていく。
秋分の日に折り返して、冬至の日に、一年でもっとも夜の長い日がやってくる。
古来から、人間はそれを知っていたし、それを参考に種をまいたり、収穫をしたりした。

2月の満月の日に。
この映画化計画の実現が決定した。

あの夜の月は格別だった。

今年は月と歩いているのかもしれないな。
子供の頃に聞いたよ。
なんで、お月様はずっとついてくるの?って。
車から見ても、電車から見ても、他の風景と違ってお月様だけはずっと一緒だった。
あの時、お父さんはなんて教えてくれたんだっけ?
なんだか、よく覚えていないや。
ずっと、遠くにいるからだよって教わった気がするよ。

ずっと遠くにいるけれど。
いつも一緒にいてくれる。
お月様ってまるで。まるでじゃないか。

夏がやってきた。
暑い暑い夏だ。

輝きに包まれた日に。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:35| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

HUNGRY AND TAKE

さっき書いたばかりだけれど。
少し、体調を崩してズレた日程を戻したい。
無理のない程度に。

実は一つ危惧していることがある。
通常の映画撮影であれば、シナリオが配られ、本読みがある。
そこである程度の説明や、役に対するヒントなどが出る。
その後、稽古がある場合もない場合も、役者だけの時間がある。
役者はシナリオと孤独に格闘して自分なりの役作りをしてプランをくみ上げる。
そして、監督も共演者も、撮影日にどんな芝居を持ち込んでくるのか初めて知ることになる。
そこで初めてだから共演者からは新鮮なリアクションが生まれる。
監督も、どんな芝居を持ち込んでくるか楽しみにしているからそこで化学変化が生まれる。

もちろん、その場合、逆の目も起こる。
いや、実際には逆の目の方が多いのかもしれない。
そういう芝居ならこう出来ないか?
相手がこういう芝居できたから、ちょっと変えないといけないぞ。
ちょっと待て。それだと、全然違っちゃう。
そういう事が撮影現場で起きる。
結果的に1つのシーンに何時間も時間を重ねることになる。
場合によっては、日を跨ぐことだってある。

今回、撮影日数がそんなにない。
だから、事前に芝居を作っていく。
撮影現場でのやり取りを極力、事前に解消しておこうという事だ。
ただ、もちろん、芝居に関して言えばその弊害もあるわけだ。
相手役にとっては新鮮ではないのだから、生のリアクションは望めない。
だから、リアクションまで含めて仕上げておかなくてはいけない。
監督にとっても、勝手知ったる役者がそれも一緒に稽古をしてきているのだから、新鮮味がない。
どんな芝居を持ち込んでくるか?こう来るなら、こういうアングルにしよう。
そういうクリエイティビティーが喪われてしまう。

実は舞台の持つ、最大の弱点がここだ。
稽古を繰り返すうちに、無意識のレベルで飽きてきてしまう。
相手の芝居も同じものを何度も何度も観ているのだから、人間である以上仕方がない。
舞台稽古は、だから、飽きてからがスタートなんて言われる。
飽きてから更にその壁を越えないと、どこか予定調和な空気が流れる。
映像畑の人が、舞台に来た時に、この壁に苦労するのはとてもよくわかる。
毎回、新鮮にリセットして芝居が出来るようになるのは、体感でそのきっかけを芝居の中にみつけていくしかない。
嘘で驚いてもどうせばれる。
だから、毎ステージ、本当に驚かなくちゃいけない。
けれど、何が起きてなぜ驚くかまで、もう知っている。
その繰り返しの中で、自分が新鮮に驚く事が出来る精神状態の作り方を掴んでいくしかない。

今回の撮影前の稽古で一番やばいなぁと思うのは、1から100まで監督に教わろうという状態になった時だ。
もちろん、役者は、問題なく芝居が出来ると思う。
でも、監督にとってはどうだろう。
自分が教えた芝居を忠実にカメラの前で何人もが繰り返していったとして。
そこに、なんらかのクリエイティブがあるだろうか。
非常に、小さな世界の芝居になりかねない。
人間の脳味噌は、刺激がないと活性化しないのだ。
監督が驚くような演技を。
監督が感動してしまうような表情を。
どこかで、見せていかないと、予定通りの芝居をただただ見るだけになってしまう。

ちょっと隙を見せると、これまでの関係性もあるから、役者から生徒になってしまう。
でも、それは、もう絶対にダメだ。と心に決めている。
もちろん、教わるのだけれど、教わるだけじゃダメだ。
役者なんだから、もっと、こっちから芝居で提案をしていくぐらいじゃないと。
撮影日に、こんな芝居を持ち込んできたか!と思わせるのは中々難しいかもしれないけれど。
稽古場にそれを持ち込むことは、今までだってやってきたことだ。
そして、芝居を持ち込んで、もっと良くしようというクリエイトする時間を過ごして、芝居を固めたうえで。
再度、撮影現場で、驚かせたいなぁと思う。
撮影本番という緊張した空気の中で、稽古通りなのに、それ以上の何かが出ているような芝居を。
それは、もう、監督にしかわからないのでも構わない。
映画を観てくださる方々に伝わらないと意味がないと思いがちだけれど、そんなことは全くない。
現場の空気を変えるぐらいの芝居は、誰もが気付くようなものではなくて、作品の持つ空気になるだろうからだ。

泥臭いことを言えば、ハングリー精神みたいなものかもしれない。
実際に、この時代の全ての人は飢えていたのだから。
それが、社会的には有名とは言えない役者連中が必死になって映画を創ることと重なればいい。
そういう空気を、厭になるほど、にじり出す。
その為には、なんだか、足りない事ばかりだ。

飢えろ。
もっと、色々なことに飢えろ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:06| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

ミエルカ

危ない危ない。
毎日更新を決めていたのに。
もうこんな時間だ。

本日も改訂あり。

稽古をしていて思うのは、役が入っているのか、映像を見ればすぐにわかる。
個々が家で何を考えて来るのかが試されている。
いつものメンバーで笑いながらだけど。
いつだって、試されてもいる。

居酒屋にはいかず、数人で食事。
見える見えないの話をする。
例えば踊っているのが、あさひが踊っているように見えるのか、幸子が踊っているように見えるのか。
そこにいる人数だけでも、厳しい目で稽古を見ているのがわかる。

娼婦に見えるか。
その時代に見えるか。
その人物に見えるか。
飢えているように見えるのか。

その魂が見えるか。

舞台だって一緒だよと思う人もいるかもしれない。
でも、あの、お客様を目の前にした緊張感はない。
連続した、ドラマもない。
切り取った中で演じる。
だとすれば、今の時点で、舞台本番ぐらいまで、空気を纏わなくては、遅いと思う。

今、見えるか?
今、ちゃんと、見えているのか?

より厳しい目で。
いつものように笑っているように見えても。
稽古を見ている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 22:42| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする