2016年06月27日

準備体操

稽古をしてきた。
強く芝居を見せるには・・・というテーマがそこにあったように思う。
表情に始まって、或いはそぎ落としてソリッドにしていくこと、そういう事などなどだ。
舞台では見えない細かい表情について、繰り返し、身に着ける作業になっている。

つまり、今までやってきた芝居に、更に新しい引き出しを作っている最中だ。

そこを理解して自分の引き出しをどれだけ増やせるかだ。
もちろん、結果的にその引き出しを使わない可能性はある。
或いは、使用しない方が評価されることだってある。
引き出しはあくまでも、技術の一つでしかない。
本質的に言えば、役になって、感情を理解して演じることとは余り関係がないことだ。
ただ関係ないとしても、実際に作品になった時に、そのテクニックの方が立ってしまう場合がある。
そこまで理解して、自分の引き出しを増やしなさいという事だろう。

その後は、今度は自分のセンスになってくる。
この場面では、この引き出し一つだけで勝負する。
この場面では、あえて何もやらない。
この場面では、感情だけで押し切る。
そのチョイスは、結局、役者本人にしか出来ない部分でもある。
明確にチョイスが違えば、監督から声も上がるだろうけれど。
そもそもそこまで違うチョイスをしてしまうようでは、感覚にズレがあることになる。
ただ、そこで、監督の想定しているチョイスを越えていくのが役者の仕事でもある。
そここそ、個だ。
個性ではなく。個。
個性が、体格であったり、顔であったり、性別であったり、元々生まれ持っているものだとすれば。
個とは、そいつが体得してきた意思そのものだ。英語ならエゴと言ってもいい。
作品を成立させながら、個も出てくる。そうなるのが理想だ。

今日、稽古をしていて、ふと薪能を思い浮かべた。
能は、面をかぶる。
薪能の照明は、そこに焚かれた炎だけである。
お面には、人間の顔とは違って、表情筋がない。固定された顔のはずだ。
それなのに、能を観ると、まるで嘘のように表情が浮かんでくる。
ゆらぐ炎の灯りを浴びて、その角度で首をかしげ、どんな体勢になるか。
たったそれだけのことで、豊かな表情を生み出す。
伝統芸として型を持っている。
でも、型だけではない。
面の下で、彼らはストレートの俳優からすれば異常なほどの感情表現をしている。
以前、NHKで能役者の脳波を調べた時、脳波が異常に揺れているのを見たことがある。
動きは型で、表情さえ面をかぶるから、おいらたちからすれば何も武器を持っていない能役者。
そこが辿り着くのは、異常なまでの感情表現だったのだ。
能面という言葉は、無表情を指す。
けれど、そうじゃない。全然間違っている。
無表情でも豊かな感情表現が出来る。
照明を計算して、アングルを計算して、かつ、自分の中に異常な何かを持った時。
それは豊かな表現になるという事だ。
同じ能役者でも、華のあるなしがあるのは、そういう違いがあるのだ。
面が泣き、面が怒り、面が笑う。

芝居はシンプルにするほど強くなるという事だ。
そして、複雑にするほど、細かい表現が可能になる。
それを体感で、そして人の芝居を観て、或いはモニター越しに経験した。実際に。

今の稽古で何を掴めるのか。
それは、もう、たぶん、個々の自由だ。
それぞれが勝手に解釈して、それぞれの中で変化だってするかもしれない。
それがどんな風に実際の撮影に影響していくのかも想定できない。
実は何も身についていない人がいてもおかしくないと思う。
どう咀嚼して、自分のものにしていくのか。
それは、ある意味楽しみでもある。

地道な作業だ。
でも、それは、自分の表現が豊かになるためのものだ。
そして同時に。
監督との共通認識を深めていく作業にもなっている。

けれどこれも、おいらだけの今日の稽古の認識でしかない。

これはまだ、スポーツで言えば準備体操に過ぎない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:02| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月26日

演じ切る為に。

謙虚であることは素晴らしい。
慎ましいことは素晴らしい。
真摯であることは素晴らしい。

どれもこれも、全て正しい。
当たり前の事だ。

謙虚で、慎ましく、真摯な姿勢。
これから撮影に向かって。
今、学べることを全て学ぼうという態度。
全てが良い方向なのかもしれない。
何よりもまず、自分がしっかりすることが一番の近道だ。

ただ一つ。

自信はあるべきだ。
無論、練習を重ねることで自然と身に付く自信でもある。
繰り返し同じシーンを演じることで出来る自信でもある。
根拠ある自信だ。
ただそれだけではない。
今日まで続けてきた自信。
多くの人が映画化を応援してくれた自信。
楽しみに待ってくれている人がいる自信。
それを忘れちゃいかん。
自分を信じることは、大事だ。

おいらは、自信がある。
自分に対してだけじゃない。
ここの連中に対してだ。
こいつらは、凄い。
こいつらの持っている能力がきちんと出れば、充分に戦える。
それだけの事を、今まで積み重ねてきた。
充分な貯金がある。

その貯金を持って。
その自信を持って。
その上で、学べるといいなと思う。
学んで身に付く自信も、そこに加わればいいと思う。

そうやって、自信のある状態で作品に挑んで。
最後の最後に効いてくるのは、意外と、根拠のない自信だ。
俺に出来ないわけがない。
たったそれだけ。
演じ切ることが出来るのは、もう根拠も外れちゃった時だけだ。
そこに辿り着けば、そこから先は、楽しい時間だ。
むしろ、撮影を楽しむことだって出来るようになるはずだ。

笑いながら撮影に挑む。
自分の歴史で得た自信と、練習で得た自信を越える。
やれるかな?とかじゃなくて。やったるわい。
もう、根本的な。

おいらは自信がある。
この作品が良くなるという自信だ。
この監督を熟知している。
この俳優たちを熟知している。
こいつらが、やりきったら、とんでもないことになるという自信だ。

バンド活動をしていて。
ライブハウスの楽屋からステージに向かう時。
散々練習してきたこととかが、全て吹き飛ぶ。
アドレナリンが充実していく。
さあ、やるぞ!というモードになっていく。そういう経験を重ねた。
リハがなければ、もちろん持てないんだけど。
リハで得た自信とは完全に違う、もう存在そのものへの自信だった。
そこに自分が立っていい。そこに自分が存在してもいい。
全てが、何かに収束していくような感覚だった。

あの感覚で挑みたい。
その為の稽古でありたい。

稽古でしくじったぐらいで、自信を失う事がないように。
練習は練習なのだ。
謙虚であり、慎ましやかであり、真摯でありながら。
なお、自信は失わない。
そうありたい。

そうでなければ、稽古から自分で取捨選択することは出来ないだろう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:27| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

世界と個人と

昨日は歴史的な一日になった。
間違いなく歴史の年表に記されるような日だ。
イギリスがEUの脱退をしたのだから。

出先にいたのだけれど、円相場と株価の乱高下にこんなの見たことがないと言っている人がいた。
帰りの電車は誰かの人身事故で止まるかもしれないよまで言っていた。
実際、昨日一日でとんでもない金額の損失をした人もいるのだろう。
国際的な出来事だけど、個人的資産の事が声に出てしまう。
ここがやっぱり、今回の問題の本質だと思う。

結局、EUは、ヨーロッパを一つにしているようでいて、民衆一人一人の思いにまで至ってなかったのだと思う。
少なくても、イギリス国民の意見は尊重するべきで、脱退しないようにこれから動いても意味がない。
50%を少し超えたぐらいの数字だからと言って、多数決は多数決だから。
実際に社会制度が成り立たなくなりつつあったのだから、そこが見えていなかったのはおかしいと思う。

日本も実は過去に同じ幻想を持った。
大東亜共和圏という構想だ。
近代史を余りちゃんと教育しないから、人に話すと、大抵なんじゃそら?な顔をされる。
人によっては、日本のアジア侵略の為のお題目に過ぎないという人もいる。
おいらの中では、当時の日本の国際活動の中で、かなり本気で考えていたと思う。
蒸気機関を得て大航海時代を迎えて西洋各国は世界中の植民地化政策を進めていた。
なんと、アジア・アフリカ・・・つまり世界中で、日本は唯一植民地化されなかった国だったんだ。
このままでは西欧諸国に世界を侵略されてしまうという危惧を日本人は持っていた。
別に大東亜戦争を肯定するわけじゃないけど。
だから、実は今でも、もしアメリカとの同盟を離れるなら、今こそ大東亜経済圏を持つべきだという意見も残ってる。
世界の中で日本がどんな立ち位置にいるべきなのかという論議だ。

でも、もし、そうなって、ビザもいらないよってなった時に。
東アジアの人々が移民だと言って、毎月何十万人も来たらどう思うだろうか。
犯罪率が上がったり、社会保障制度が崩れていったら。
日本国内だけでも、東京にどんどん人が集まるんだから。
当然、そうなれば、景気の良い場所に人が集まるのは道理だ。
だから、よっぽど、共和権でも経済圏でも共栄圏でも、組むのであれば、国民一人一人の視点を見据えて考えるべきだと思うよ。
ロンドンはイギリスの首都だったのに、イギリスそのものが、EU圏内の主国になったわけで。
その変化に国民がどう対応していくか、ちゃんと見据えていなかったんだろうなぁ。

アメリカのトランプさんの人気の話とかを出して、すぐに「自分の国が一番」の時代になったなんて言う人がいる。
それは、なんか、全然違うんじゃないかなぁって思う。
アメリカもイギリスも、これでもかってほど、国際協力をしてきた国だしね。
むしろ、世界戦争がなくなり、冷戦が終結し、インターネットが世界中に広がった今、国境は薄くなってる。
もっと、国という単位よりも個人という単位だと思う。
個々人の生活。
政治や世界は、大きな動きになって、個人に中々注目してこなかった。
そのツケなんじゃないかなぁ。
一個人に出来ることなんてないと思っている時代がすでに終わっていて。
一個人でもネットで発言したり、SNSで、同志を見つけたりすることが出来るようになっているのを見過ごしている。
それは、もう、国という単位では抑えられないほどの勢力なんじゃないだろうか。
イギリスの事も、トランプさんの事も、少なくてもそういう勢力が影響しているなぁって思う。

思うに、演劇でも映画でも、或いは文学でもなんでも。
文化というのは、常に、戦ってきた。
何と戦ってきたのかと言えば、「戦争」と戦ってきたのだと思う。
文化を豊かにしていくことが簡単に世界中の壁をなくしていく。
音楽は簡単にベルリンの壁を越えた。
マクドナルドが中国に初めて出来た時から、中国の自由経済が始まった。
こんなに豊かな文化があるのに「戦争」なんて誰がしたがる?
そういう風に、無意識的でも地道に全体で戦ってきたのだと思う。
でも、冷戦構造が終わってから、文化は少しだけ形を変えたようにも思う。
戦う相手が、「孤立」になっているように思う。
ハリウッドのテーマは「家族」が増えていったし、様々な文化が融合していったし。
「人と人との繋がり」とは一体なんなのだろうか?ということに、文化は全体で踏み込んでいる。
戦争を駆逐して、これからの社会の中で、コミュニケーションの本質を探し始めているように漠然と感じている。
意識的に狙っているわけではないだろうけれど、芸術は常に社会の影響を受けているから。
そして、大きな何かと戦い続けているから。
実は、作品の殆どは、社会の鏡だ。

日本人は生活を切り詰めて、アメリカに戦争を挑んだ。
結果的にさんざんにボロボロに叩き壊された。武力によって。
完全なる敗北を喫した。
・・・ように見える。
でも、本当の敗北は、その後だったと思うよ。
アメリカから様々な文化が津波のように押し寄せた。
コカ・コーラが持ち込まれて、ビートルズが、マクドナルドが、ハリウッドが。
そこで、初めて日本は負けたんだと思う。
こりゃ、勝てるわけねえやって、心から理解するとしたら、そこじゃないかなぁ。

セブンガールズはその戦争での敗北と、文化での敗北の、間の物語だ。
そして、一個人が大した力を持てなかった時代の物語だ。
「自分が一番」でないと生き抜けなかった時代の物語だ。

社会が国や国際情勢を観ている間に。
その社会に住む個人を見続けたのが文化だ。
世界に持っていくと宣言しているのだから、世界の情勢も関わってくると思ってる。
今、歴史が動いた。
これを皮切りに、まだまだ再編が進んでいくはずだ。
そういう情勢の中で、セブンガールズという作品はどのように見られるのだろう?
個人にどんな思いを訴えるだろう?

イギリスが脱退したから。
個人資産が減る。
そういう時代だ。
先にその言葉が出る時代だ。
そこで、何かを生み続けることもまた、戦いなのだと、覚悟が必要だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 14:17| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする