現職のアメリカ大統領が初めて広島を訪問した。
70年。
なんというか、感動した。
感動するのもおかしいのかもしれない。
追悼してくれたという感覚も少し違うような気がする。
いや、たぶん、やっと普通の事が行われただけなんだと思う。
今も活動されている被爆された方々の殆どが謝罪を求めなかった。
これを世界がどう見るのかはわからない。
アメリカのような裁判社会だと、謝ったら負けが確定するらしい。
極東アジアでは今も、日本に謝罪を繰り返し求めている。
一般市民が多数亡くなった、無差別大量破壊兵器の使用。
それも、戦略的な側面だけじゃなくて、実験的な側面があったという事実。
他の国が同じことをすれば、間違いなく非難されたであろう行為。
実際、今日まで誰も謝罪なんかしていない。
それでも、謝罪は求めない。
ただ、来てほしい。追悼して欲しい。
それだけだったという。
それでも、70年間もの間、訪問が叶わなかったのは、様々な弊害があったのと思う。
その弊害をなぜ今超えることが出来たのか。
もちろん、政治的にも経済的にも、弊害がなくなったとか。単に時間の問題とか。
理由はたくさんあるのだろうけれど。
そこにどんな意図があれど、関係ないなぁと思う。
うん、もう、そんなことはどうでもいい。
とにかく、今だって多少なりとも弊害はあるわけで、なぜとかじゃなくて、それでも来たことに意味がある。
いや、もう、意味すらないのかもしれない。
ただ訪問して、追討をした。そして、長く培ってきた友情という言葉を使った。
もう、それ以上でもそれ以下でもないなって思った。
それが、なんというか、感動だった。
あれだけコテンパンに国をぶち壊されたのに。
日本は、わりに堂々とアメリカに憧れた。
次々に興業レベルだけじゃなくて、文化まで輸入した。
ブロードウェイに憧れ、ハリウッドに憧れ、マクドナルドに憧れた。
節操がないだろうか?
おいらはそうは思わない。
複雑な感情を抱えた人だってたくさんいたはずだけれど。
そんなことよりも、未来を見ていたからだと思う。
敗戦直後の日本人の目に、自由の国アメリカがどう写ったのか。
それは、やっぱり、夢であり、未来だったのだと思う。
その国のトップが友情という言葉を使って。
花を手向けた。
やっぱり、なんか、感動しちゃったんだよなぁ。
もう、感動しかないんだよなぁ。
どこかの国が余計な事を言っただとか、世界情勢だとか。
もう、そういうのも、感動は全部関係なくしてくれる。
したたかに生きてきたんだよ。うん。
なぁ、ガールズ。
やっぱり今年、映画化することになったのには意味があったと思うよ。
だってさ。
敗戦国日本で、誰よりも早く、アメリカを受け入れたのは、パンパンだったんだよ。
石を投げたって、なんにもなりゃしない。
頭を下げさせたって、飯の種にもなりゃしない。
パンパンの次に受け入れたのが浮浪児で、その次が闇のブローカーさ。
当時はアメリカにおもねっただけで随分蔑んだ人たちがいたっていうけどさ。
ごらんよ。
こんな日も来るんだ。
アメリカからせっせと外貨を体一つで稼いだだけなのにね。
きっと、パンパンだった女性は今もどこかに生きている。
90代だろうからかなりの高齢になるけれど。
この報道を見て、どう思うかなぁ。
想像しただけで、ちょっと震えるよ。
おいらは感動したよ。
あの時代に生きていたわけじゃないけれど。
この時代に生きていて良かったなぁって思ったよ。