2016年05月27日

西から雨雲がやってくる

今日は風の強い日だった。
風が通るたびに、心地よい涼しさを感じるのだけど。
同時に西からやってくる湿気を感じた。
風が強くて湿気を孕んでいるなら、もう梅雨も近い。
まだ汗だくになるような季節ではないけれど、梅雨は夏の匂いを一気に運んでくるだろうなぁ。

中学の頃を思い出す。
2年生の夏休み。
おじいちゃんちに行って、しばらくおじいちゃんと二人で過ごした。
ホームヘルパーさんも夏休みに入るから誰かがいかなくちゃいけなかった。
・・・いや、しっかりしたおじいちゃんだったから実際は平気だったのかもしれない。
とにかく、一人になっちゃうという事で、仕事のある大人の盆休みまで。
おいらは、おじいちゃんと二人で過ごすことになった。

おじいちゃんは、大正生まれだ。
典型的な元軍人だったし、厳格なところもあった。
もちろん、やさしいおじいちゃんだった一面もあったけれど。
怒るときは怒るし、気難しい所もたくさんあった。
床の間には日本刀が置かれて、明治から続く歴代天皇陛下の写真が飾ってあった。
おじいちゃんのご飯を作って、一緒にご飯を食べて、洗い物をする。
そんな毎日だった。

セブンガールズという芝居を演じる時。
いつも、そのおじいちゃんのことを思い出す。
今のおいらの感覚よりも、ずっとおじいちゃんの感覚の方が正しいはずだからだ。
登場人物のほとんどは、大正末期から昭和初期の生まれのはずだから。
その時代を生きてきた人たちだったからだ。
死生観、人生観、恋愛観、道徳、志向。
その全てが、基本的なところで少しずつずれているはずだ。
少なくても、今のおいらが、今の20代の会話を聞いてカルチャーショックを受けるのだから。
同じ日本人でも、やっぱり、同じではないはずだから。

もちろん、シナリオを書いたデビッドさんは、大正の生まれでも何でもないけれど。
それでも、おいらよりもずっと、その世代の人と接してきたはずだし、より具体的だと思う。
おいらの記憶の中に生きている大正、昭和初期生まれの人は、祖父母ぐらいのものだ。
触れたぐらいの人はいても。
記憶の中で生きていると言い切れるのは、あと1人ぐらいしかいない。
終戦直後を知っている人はもちろんいる。
その頃子供だった人だったら。
でも、大人で、その日を迎えた知り合いは想像以上に少ない。
だから、小説や映画、記録を見て、ある程度は想像するしかないのだけれど。
その全ての情報を合わせたって、記憶の中に生きている実際の人には敵わない。

悲しいことに、とてもじゃないけれど、全てを理解することなんかもちろん出来ない。
思い出すのはその背中や、雰囲気、佇まい。時々見せるやけに悲しそうな目。
おじいちゃんだって、孫の考え方は、宇宙人みたいなものだったんじゃないかなぁ。
ただでさえ人は人を完全に理解することなんか不可能だ。
自分の事すら理解できないのだから、まして、世代の違う人同士理解なんて出来るはずがない。
出来るはずがないけれど、このシナリオの登場人物が若き日のおじいちゃんだったら・・・と想像すると。
それまでの想像よりも明らかに生き生きとした人物像になっていたりする。
それまで、苦労していた役作りがバカみたいに、一瞬で裏が作れるようになる。
そうか、じゃぁ、それで演じてみようと試してみれば、とてもしっくりきたりする。

明日は雨かな?
西から雨雲がやってくる。
雨はやがてやんで。
また暑い夏を運んでくるよ。
あの夏を思い出す。
あれから何度目の夏だろう?

おじいちゃんのご飯を買いに、ケッタに乗って、スーパーまでぶっとばす。
親から預かったお金で買い物をして、ついでにアイスかなんかを買う。
真っすぐに帰らずに海辺に出る。
堤防の上でアイスをかじりながら、あっちぃなぁ、もぉ・・・なんてナマイキを呟く。
海がキラキラと光っている。
風がまとわりつくたびに、体がべたべたする。
ビーサンはペッタンコさ。

もう30年近く前の話さ。
たった数週間のあの時間が。
セブンガールズの役作りに大きく役立っているなんてね。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:50| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする