早めに最寄り駅に到着して、お茶を一杯飲む。
余り早く着きすぎるのもご迷惑になるかもしれないと思ったからだ。
ボチボチ時間が迫ったから、朝陽館まで歩く。
到着すると、そこにトラックと何人かの劇団員が待っていた。
中には安達花穂までいる。役に立つといいけれど。
2tロングのトラック。この半分ぐらいの荷を積むことになる。
ご挨拶をするなりこんな言葉を頂く。
「ブログ、読みましたよ」って・・・。
一瞬、声に詰まってしまった。
まさか、読んでいるなんて思っていなかったから。
あの日、東大の食堂に行ったことまで知っていらっしゃって、大いに照れる。
参ったなぁ。
だから、今日、これを書いていても、少しだけ緊張していたりする。
早速、荷を積もうと玄関に上がったのだけれど。
荷物を集めておいた部屋に辿り着かない。
何故なら、玄関口で次々に先日内見した時にはなかったものを持ってきてくださったからだ。
内見後に倉庫の奥から出てきたいくつかの道具を、わざわざ良いのではないかと取っておいてくださったのだ。
それは、見たこともないようなアイロンであったり、椅子であったり、傘であったり、スーツケースであったり、時代感の塊のような道具だった。
いや、道具だけではない。
内見の時、もう殆どの箪笥類などは、他の業者さんのシールが貼ってあったのだけれど。
奥から出てきたと茶箪笥まで、取っておいてくださった。
一番驚いたのは、おかみさんが一度も着なかったという白いコート。
あの形のコートなんか、今、中々手に入らないんじゃないだろうか・・・。
おいらたちのような、ただご協力をお願いして、ずうずうしく物をもらうだけの人間に。
わざわざ、気を回してくださったという事だ。
こんなに親切にしてくださることなんて・・・
手分けして運び始める。
サイズを測るもの。
壊れないように養生していくもの。
重い敷布団だけ運んで、目処が立ってから、声をかけておいらは襖などの建具を外していく。
それを運んでいる最中にも、これはどうですか?こんなのはいりますか?と次々に声をかけてくださる。
ジュラルミンの火鉢なんて、見たことがないような形をしていた。
近所の方が門の鉢植えを貰いにいらっしゃったりもして、その対応をされている。
今、花がきれいだけど、もう少ししたら種が付いて、種からまた咲きますよ・・・なんて答えていて。
なんというか、その言葉に、やけに真理を感じてしまう。
花は受け継がれるだけじゃなくて、種も残っていくんだ。
ここの時代を生きてきた道具たちも、きっとそうなってくれる。
どんどん片付いていって、寂しくなってしまいますね・・・と、ご主人に言うと。
寂しいけれど、片付けることで、隠れていた意匠だとかも見つかるんですよなんて話してくださる。
竹馬に乗ったたぬきの透かしの入った飾りガラスは、日本の職人の腕の確かさを物語っていた。
久しぶりだったり、今まで目に留めなかったような発見もあるのだと思う。
そして、もう一度、朝陽館への誇りを感じる機会になるんだろうなぁ・・・。
考えてみれば、あの旅館で働いてきただけではなくて、育ってきたんだから。
それはもう、全然レベルの違う話なのだ。きっと。
今日頂けるものを全て積んでから玄関に飾ってあった大きな熊手の話を伺う。
熊手は祭りに行って、車の上に積んでくるのだという。
たくさんの人に注目されるのだそうだ。
そういう毎年恒例の飾りも、途絶えていくと思うと、背筋に何かが触る。
辞する時もわざわざ門前まで出て来てくださる。
日本の旅館はおもてなしを追求してきたのだと、思い知る。
宿泊客でもないのに、そこまでしていただけるなんて恐縮の至りで、申し訳なくて申し訳なくて・・・。
これから段ボールアートの方が朝陽館に入るらしく。
それが終わるまで、出入り口などの襖や建具を頂くのは難しくなったそうだ。
だから、そのアートが終わったころ、再度お伺いする事になる。
頂いた襖は押入れの襖だから片面襖で、部屋の出入り口などには加工しないと使用できない襖だ。
両面の襖は、当然、出入り口などで使用している襖だから、その頃に約束をする。
可能だったら、引き戸や障子も頂けるかもしれない。
大きなものは今日トラックで頂いたから、次は大きな車も必要ないだろうし・・・。
再訪できる日はまだ決まっていないけれど、必ずお伺いする約束をする。
トラックを見ると、半分ぐらいの積載予定が、トラック一杯になっていた。
こんなにたくさんの物を貰えるなんて・・・
実際にトラックに掲載している量を見て、改めて思う。
そのまま、トラックに乗って、保存場所まで向かう。
途中、連絡が来て、別班でパネル廃材を受け取ったメンバーの状況を確認すると、既に終了していた。
コチラの方が早く終わるだろうと思っていたのに、それぐらい予定よりも多くの物を頂けたという事だ。
保存場所につくと、いつものメンバーが待っていた。
新地秀毅が、これ、昔、俺の家にあった・・・と呟いたり。
西本涼太郎が、すげぇな。こんなにかよ。と呟いたり。
中野圭が、このミシンの構造が良く分からないよと言ったり。
頂いた、映画の装飾になるであろう品々を見ては、なんらかの言葉を残していた。
モノを見ただけで、言葉が出てくる。
織田稚成も量に圧倒されている。
高橋2号だけは、昼飯に食べたらしい担々麺の思い出に浸っていたけれど。
帰りは、別班のトラックで移動する。
ロケ予定現場にトラックで立ち寄って、どのぐらいパネルが足りないか、想像を巡らした。
帰宅すると、急に眠気が襲ってきた。
一日中、トラックに揺られていれば、自然と体力を消耗する。
そのままうとうととしてしまった。
夢を見たんだ。
内見の時。茶びつを頂けるか確認したのだけど、もう骨董品やさんなどが全て抑えてしまっていた。
なければいいんです、すいません・・・と、確かにおいらは会話したのを覚えている。
そんなほんの小さな一言を覚えていてくださって、倉庫から出てきた茶びつを取っておいてくださった。
鎌倉彫の施された茶びつを開けてみると、急須と湯呑が入っていた。
あの時は、まだシナリオに出ていなかった急須が、必要になってから出てきた。
その茶びつが夢に出てきたんだよ。
少年のおいらは、家族と旅館の部屋に入るなり、茶びつを開くんだ。
茶菓子があることが楽しみで楽しみで、いの一番に開くんだ。
ハッピーターンや、栗饅頭が少しだけ入ってたりするんだ。
それで、喜ぶんだよ。弟より先に食べようとか考えるんだよ。
そんなどうでもいいような夢。
あの茶びつを見て、疲れた頭の中で、そんな夢が生まれたんだ。
たくさんのたくさんの支援してくださった皆様の思いを抱えてこの映画化に挑んでいます。
どうやったら、この予算で、たくさんの期待に応えられるだろう?そんなことばかり考えています。
たまたまよぎった、廃業した旅館にお願いをしてみるというアイデア。
それが、こんなにこんなに大きな大きなことに繋がるなんて。
何も思いつかなかったら。こんなに旅館の方々が優しい方ではなかったら。
トラック一杯にもなるこの道具が一つもなかったことになるのです。
色々な偶然が重なったのだけれど。
おいらは、やっぱり思うんだ。
思いの強さは、必ずどこかで形になるんだよって。
そして、その道具や、パネルや、様々なものが合流した時に。
ついに作品が生まれます。
その日。
スクリーンの端に、そっと火鉢が映っているかもしれない。
気付かない人の方が多いかもしれない。
でも、その無意識下の火鉢が、時代感を濃厚に生み出してくれるでしょう。
創ったものではない。本当に時代を越えてきた道具が生み出す説得力で。
そしていつか。
映画を観た誰かの夢にもう一度登場するかもしれない。
その人のわずかな記憶と混同した夢を見るかもしれない。
それはきっと、種になって、どこかで違う花を咲かせるんだと思うのです。
思いは、想いでしか運べないんだ。きっと。
きっと、役者が出来ることなんて、想いを運んでいくことぐらいしかないんだな・・・。
そんなことをおいらは思ったのです。