明日は朝陽館に再訪する。
いよいよあの歴史的旅館もカウントダウンに入っている。
なんとなく足を踏み入れるのが悪い気がしてしまう。
そのまま廃棄されるぐらいなら。
もう一花。映画で活躍してくれたらと願いながら。
時間とはなんなのだろう?
バンドを組んでいたジョンは、古いギターほど良い音がすると断言していた。
新しい木材が出て、新しいピックアップが作られて、新しい塗装剤が生まれても。
到底、昔のギターには及ばないのだと。
今や、ギターを弾いた音を加工できる時代なのに。
それは、間違いないんだとはっきりと言っていた。
聞く人の耳で、音が変わる場合もあるだろうけれど。
そこに、不思議な何かを感じてしまう。
ヴァイオリンだってそうだ。
億と言う単位の楽器が普通にある。
そして、その方が音が良いという。
時間が、音をふくよかにしていくのだという。
音と言うのは振動だから。
音が鳴れば、そこにあるモノは、全て、その振動を受けることになる。
その振動を繰り返し受けているうちに、当然、その振動に適した木目の詰まり方をしていく。
そういうことなんじゃないかなぁって聞いたことがある。
楽器は、時間が経てば、倍音が増えていくというのは、そう言われれば納得がいく。
きっとそれは、楽器だけにあるものではない。
時間が経過したものには、その時間を生きてきた爪痕が少しずつ残っている。
木材なら、乾燥と湿気を繰り返すうちに木目が詰まってくる。
小さな傷は、いつかどこかで、誰かが付けたもの。
大事に使われてきたものは、やはりどこか、大事に使われてきた痕跡が残ってる。
日本では長く使われた道具には魂が宿るとされている。
大工道具や、武士の刀、漁師の船や釣り道具。
中には、神社に奉納されるものまである。
その感覚は、現代を生きるおいらにも、すとんと理解が出来る。
野球選手のバットやグラブも、神のように崇めてしまう土壌があるんだ。おいらたちには。
精霊が宿るんだよ。
だから、おいらたちは、その精霊に愛されるように使わせてもらわなくてはいけない。
確か7月の解体と聞いている。
先日、内見に行った時から、また随分と片付いていることだろう。
どこか気おくれもするし。
それと同時に、そこに生きてきた道具たちに、もう一度出会えることが楽しみでもある。
精霊たちに愛されますように。
そう願ってやまない。