正直、自分ではどこか避けてきた人だ。
アングラ世代の人であり、日本人の演出家でこれほど世界で称賛された人もいない。
おいらは、アングラ世代の演出家を師匠としていたし、太田省吾さんに心酔していたこともある。
だから、蜷川さんの舞台も観に行こうと思って、劇場まで行ったこともある。
当日券があると聞いたから行ったのに、もう売り切れていて、それ以来行かなくなった。
だから、なんの関係もない方だ。
それなのに、え!と声が出た自分に驚いた。
舞台演出家と言えば?という質問があれば、つかこうへいさん亡き今、8割以上が蜷川さんの名前を出すのではないだろうか?
おいらは、そういうアングラ出身でありながら、どこかメジャー感がある所をなんとなく避けてしまっていたのだ。
アングラ世代で、舞台を続けている演出家の作品は殆ど足を運んだはずなのにだ。
おいらの中でアングラ世代が目指したものとは、こういうものだというハッキリしたものがある。
それは、俳優の肉体論に根差した演技論を突き詰めていったということだ。
演技とは何なのかという事をとことんまで突き詰めていった。
おいらは、その世代の人たちが大好きで、その世代の人の話を聞くことが大好きだった。
舞台だけではなくて、映画を観ても、ドラマを観ても、芝居の話しかしない。
その物語がどうだとか、照明の演出がどうだとか、大道具の演出がどうだとか。
あまり、あの人たちは関心がなくて、ただただ、その芝居の、演技の話しかしない感じだった。
そういう話が大好きだったおいらは、照明の演出や大道具の演出や、物語の展開をあざといと感じるようになった。
芝居だけで見せられないものは、全てダメだと思った。
それが、実は、何にも知らない青臭い20代前半の頃のおいらだった。
物語や照明や大道具、音楽の効果のすごさを思い知った今でも、どこか芯の部分は変わっていない。
それは、その世代の人たちを尊敬していた十代後半があったからだと思う。
その頃のおいらの目から、蜷川幸雄さんと言うのは、どうしても破廉恥な存在だった。
ヨーロッパで、大道具や照明の演出がとても称賛されたりしていて、そういうことなの?と疑問ばかり持ってた。
芸能人を多用するのも、商業演劇じゃねぇか!なんて、生意気に思っていた。
一方で、演技とは何かというのを馬鹿みたいにずっと考えている人たちと付き合っていたから。
避けてきたというよりも、なんというか、侮っていた。
それが、なんとなく、氷解していった。
今、活躍する俳優たちを、舞台と言うフィールドで育てたと知ってからだ。
藤原竜也さんはもちろんだけど、木村拓哉さんとか、小栗旬さんも実は、育てている。
今、俳優を育てることの出来る人って誰なの?と聞かれた時に。
もし、そこに蜷川幸雄さんがいたのだとすれば、それは舞台の誇りだ。
そして、同時に、やっぱりアングラ世代の人だったという証拠だ。
大転換のある大道具も、派手な照明効果も、全てあるとしても。
演技とは何かという事をつきつめるあの世代の一人だった証拠だよな・・・。
そんな風にいつの間にか思うようになっていた。
これは観ておかないと。
そう思うようになったのだけれど。
そうなったころには、必ず、聞こえる言葉があった。
舞台の制作発表で、蜷川幸雄さんの演出を一度受けたかったんですという芸能人のコメントだ。
そのコメントが出るたびに、こんなの見てたまるかと思ってた。
青臭くなくなっても、こんなことを思ってしまう。
なんのつもりだよ。とか、お前の勉強かよ。とか。このチケット代の何割がお前のギャラだよ!とか。
余計なことが頭をよぎって、ついに足を運ぶことはなかった。
すでに、名前が大きくなり過ぎていた。
10代の頃。
それこそ、フロイトがどうとか、ユングがどうとか。
心理学から、演技について考えたりして、ゴリゴリしてた。
吉本隆明なんか読んじゃってさ。
唐十郎、寺山修司、鈴木忠治に太田省吾。全ての演技論を読み漁ってさ。
ゴリゴリすぎた時期があるからこそ、今の自分があると思ってる。
思ってはいるけれど、その頃に、見逃しちゃったものがたくさんあったんだなぁ。きっと。
実際、その頃にやっていたテレビドラマだけ、おいらは、一つも知らない。
テレビなんか見る気がしなかったから。
でも、今ならわかる。
蜷川さんも当たり前に、フロイトを読み、ユングを読み、吉本さんを読み。
かつての同世代にやっかみを言われても、大きな舞台の演出を続けたんだろうなぁと。
そうだったんだなぁってわかる。
そうじゃなきゃおかしいことが、たくさんありすぎる。
あそこまでの、仕事が出来るわけないじゃないか。
業界のトップの訃報だ。
声が出てもおかしくないのかもしれない。
でも、それだけじゃない。
何かひどく大きなものを喪失してしまったような気がする。
商業の舞台と言う現場で、演技について頭が痛くなるほど考えるような演出家ってこれから出てくるだろうか。
そりゃあ才能ある演出家はきっとこれからもたくさん出てくると思う。
とんでもないストーリーテラーだって、最新の技術をミックスできるようなクリエイティブディレクターだとか。
いや、すでにそういう人はいるし、おいらは、ああ、この人凄いなぁと何度も思っている。
でも、演技ってなんだろう?芝居ってなんだろう?って、延々と考えてしまうような演出家は、中々出てこないんじゃないだろうか。
あの人に預ければ、若い役者が必ず育つ・・・そう言われる演出家なんか中々出てこないんじゃないだろうか。
間違いなく、舞台の世界の巨星だった。
明らかに、舞台表現にとって一つの、指針がなくなった。
誰かが継いでいるはずだ。
誰かが、蜷川さんの思いを。
そこに期待してしまう。