一気にシナリオが増えた。
もうクライマックス直前。
次かその次の稽古には初稿が上がりそうな雰囲気だ。
それにしても。
あのシーンがああなって。
なかったシーンが増えて。
あったシーンがなくなって。
色々と変わっている。
そして今までになかったエピソードも入ってる。
ああ、そういうことだったのか・・・そんなエピソードも。
ゴールデンウィークの最終日。
帰り道には人影がなくなっていた。
目が覚めれば、日常がもう一度始まる。
切り替えられるかな?
五月病にはご用心。
熊本や大分の震災。
時間がこれだけ経過したのに、まだまだ余震のテロップが流れる。
もう子供たちは笑っているのかな。
そろそろカウンセラーが用意されるはずだ。
復興と一口に言うけれど。
復興にはいくつかの角度があるのだと思う。
街をもう一度機能させること。インフラの整備。公的機関の復旧。
様々な角度があるけれど。
ああ、「心の復興」というものもあるんだなと気付く。
「心の復興」という意味では、まだまだ東日本の被災者も完全には癒えていない。
長く時間がかかる、大事な作業だ。
今日、新しいシナリオを手にして。
帰宅してからもう一度読み直す。
そこには、戦後復興の中の「心の復興」が書かれていた。
今日稽古したシーンすら「心の復興」を目指すシーンだった。
ゼネコンなら、建物を復興できる。街をもう一度作れる。
けれど、心の復興は、カウンセラーだけでは出来ない。
自分自身でしか出来ない心の復興というのが必ずあると思う。
そんな時、その自分に大きな力だとか、きっかけをそっとプレゼントできるのだとすれば、それが文化だ。
小説や演劇や音楽や映画やお笑いやスポーツだ。
おいらたちは、心の戦後復興を映画にしようとしているんだ、きっと。
今日の稽古も、新しいシナリオも、そうとしか思えない内容だった。
日本がいわゆる「戦後」を脱するのは、東京五輪を開催してからだ。
近代史では、この時点から、高度経済成長期と呼ぶことになる。
団塊世代が「戦争を知らない子供たち」を日比谷野外音楽堂で歌った頃だ。
「戦後」からの、本当の意味での心の復興は、20年近くかかったという事だ。
東日本や熊本の心の復興も同じようにたくさんの時間が必要だと思う。
けれど貧しかったあの頃の日本とは違う。
文化が出来ることは、たくさんの人たちへのプレゼントだ。
おいらたちはこのシナリオを読み。
深く深く理解して。
まず、敗戦のショック、敗戦のコンプレックス、みじめなみっともない自分を役作りしなくてはいけない。
そこから、もう一度、その上に、この役ならではの、戦いを重ねていく。心の復興を重ねていく。
そうして、初めてきっと、この映画の中で生きることが出来るのだと再確認する。
おいらの中の役者モードにもカチリとスイッチが入った。