母の日だ。
おいらがガキの頃は、母の日なんてこんなに大騒ぎしてなかった。
せいぜい、カーネーションを一輪持っていったり、手紙を書いたりだったと思う。
今は、コンビニでもなんでも、2週間前ぐらいから母の日、母の日、マザーズデーと大騒ぎだ。
何か贈らないと、人としてどうかしているぐらいの圧力を感じるぐらいだ。
いつの間に、そんな風になったんだろう。
おいらの子供の頃は、親を尊敬しているだとか、親が好きだとか、絶対に口に出来なかった。
そんなの、恥ずかしいやつが口にすることだっていう雰囲気があった。
親を友達みたいに名前で呼ぶなんてありえなかったし。
親と買い物に行くなんか、絶対に人に見られてはいけない儀式ですらあった。
なんというのか。
もっとずっと一方的なものだったよ。
親が子を好きでいてくれて。
子は、それが当たり前の事なんだって勝手に思い込んでる。
でも、自分は自分だから、同時にうっとうしい。
あんまり構うんじゃねぇよって。
そんな感じだった。
今、そんなことを言ったら、酷いやつって言われるんだろうなぁ。
それで、大人になるにつれて気付くんだよ。
一人暮らしを始めて、ああ、こんなに家事は面倒だったのかとか。
ああ、お金を稼ぐのって、こんなに我慢とか苦労とかあるんだなぁとか。
一人暮らしの自由をさんざん満喫しても、実家に帰った時にやけに安心する自分だとか。
なんだ、一方的なんかじゃないじゃないかって。
で、そこで、親孝行出来るのかな。おいらは。
そんな風に、思ったりする。
そんな感じだったよ。
芝居を始めた時だってね。
結局、ものすごい反対され続けたから。
今でも、いつまでやるんだぐらいのことは言われるしね。
最初から応援してくれるのなんか、あんまり良いと思わないな。
反対している親が、納得したり、仕方ないかと思わせるまでやらないようじゃ、結局、途中で諦めちゃうよ。
会えば、やめればで、口喧嘩だからさ。
そんなのを繰り返すうちに、今回の芝居はまぁ良かったよって言葉を引き出すんだよ。
なんちゅうか。
日本人の関係性っていうのはきっともっと奥ゆかしいんだ。
言葉でわざわざ伝えない。
お互いがお互いを思えば、それ以上はないっていうのが、一番でさ。
言葉で、好きだ、尊敬してる、愛してるって言ったところで、実際はどうなんだっていうさ。
そういうんじゃないだろうっていうのが、日本人なんじゃないかなぁ。
少なくても、日本映画で海外で評価されている作品は、ほとんど、そういう日本人の特性が出ているよ。
無口で無表情だけど、そこに心がある。そういう姿が絶対にある作品だよ。
今は、直接言わないとわからないよ!なんてね。恥ずかしげもなく言うけれど。
わからないってことが、ちょっと問題かもしれないぜって思うよ。
「察する」って言うんだ。
一番大事なことは伝えることじゃない。察することだ。
だから、押し売り的なね。
そういうのは、どうしても好きじゃない。今も。
母の日だから、母を思いなさいって?
うるせえや、ばかたれって思っちゃう。
なんで、そんなね。
プレゼントをしている自分に酔ってるんじゃないのって思っちゃうよ。
おいらは、おふくろが、元気でいてくれたら、それでいいよ。