2016年05月19日

読み合わせに向けて

今月末の稽古でシナリオの読み合わせが決まっている。
それまでに必要な準備をしなくてはいけない。
本読みに必要な事なんて、そんなになさそうだけれど、なさそうで、実はある。
自分のわかる範囲で、必要な人に連絡をしなくてはいけないし。
キャスティングが確定していないのだから、ある程度、決められるようにしなくてはいけない。
足りない俳優の部分の埋め方をどうするのか、段取っていかなくちゃいけない。
撮影時のスタッフさんの何人かも来る予定になっているから、すんなり進むように。
単純にト書きを読む人間も固めていかないといけない。
今週の稽古は、一応、キャスティングも含めて、その準備時間に当ててある。

舞台だと、台本が完成して、キャスティングをして、通し稽古をするまで、時間がわからない。
映像だと、その通し稽古が出来ないから、時間的な目測がなかなかつかない。
通常の映像のシナリオだと、大体○ページとかあるだろうけれど、劇団には速いテンポもある。
だから、余計に見えない部分も出てくる。
本読みで、時間も見えてくれば、その後、更にシナリオを差し替えてスマートに出来る。
或いは、もっと行けるな・・・・となれば、肉付けの作業が出来る。
恐らく色々なことが見えてくるだろうなぁと思う。
必ず通らなくてはいけない道だ。
全体感を全員で、音読して、把握する作業。そういうことだ。

最初に製作プロデューサーと話した時。
全体を把握している役者さんがいる映画って、良い現場になるんですよね・・・。
そんな話を聞いた。
もちろん、役者は主観的な生き物で、完全な客観を持つことはとても困難だ。
ましてや自分の役以外の作品の全体感までとなると、限られた役者しかなかなか感じることが出来ない。
でも、とても納得できることで、舞台だとそういう役者がいつも何人かいる。
楽屋にいてもモニタから聞こえてくる声や音で、なんとなく、作品のどこらへんで、調子がわかる。
今回は映像で、ましてや、順番に撮影できる見込みは殆どないのだから、より把握が難しい。
役者全員がずっと現場にいるわけでもないから、余計に把握しづらいと思う。
時系列がぐちゃぐちゃの中、それでも、把握できる俳優がいれば。
良い現場になる。
なるほど。
読み合わせはその第一歩になるはずだ。

タイム感も出来るなら把握できればいいなぁと思う。
前半のまだ起承転結の起の部分なのに、たっぷり間をつかってしまったりしないように。
ここまでが、このぐらいのテンポで進みたいんだな・・・というのがなんとなくわかればいいなぁって思う。
そういうところまで、全員が共有できると、作品の深度がどんどん上がっていく。

映画にはタイムキーパーと言う仕事がある。
劇団でショートフィルムの自主製作をした時に勉強して知ったことだ。
自分の作品とデビさんの作品で、おいらはタイムキーパーをした。
あ、ここ、長いなぁとか。あ、ここ重いなぁとか。
あの企画では10分と言う縛りがあったから、シナリオの時点でここまでで何分とか決めていたのだ。
だから、今回のシナリオでも、やっぱり、読み合わせを通してタイム感を決めていけるかもしれない。
この事件が起きる日までに何分、この話までに何分、クライマックスはこのぐらい。その直前のテンポは速く。
そういうことを見つけられれば、撮影日までの稽古をもっと別の意識で挑めると思う。
細かくシーンごとに、時間を出せれば一番いいのだと思う。
そうしないと、編集前の段階で6時間の物を2時間に編集とかになってしまう。
結果的に、たくさんのシーンでカットが入っていく。
事前に計算できる部分はしていかなくちゃいけない。
タイムキープの表を作って、メモって行ければ、色々と、後から融通が利くようになるという事だ。

色々と考えていると、やれることが山のように出てくる。
今は、自分からやれることを探している。
そこまでしなくていいよと思う自分を殺して、どこまでもやれ!と自分に言い聞かせている。
仕事はもらうものではなくて、自分で創るものだ。
おいらはおいらなりに、キャパシティをどんどん伸ばしてきたつもりだ。
だから、まだまだ出来ると思う。

先を見るんだ。
先を。
なんのための読み合わせなのか。
理解して、動けるだけ動くんだ。

その先に、間違いなくクリエイティブな世界が広がっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:11| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

どこまでも行こう

日本映画には黄金期がある。
年間に10本以上の映画主演なんてことが普通にあった時代だ。
とにかく、どんどん撮影して、どんどん公開した。
その理由は、今よりも何倍も映画館があって、映画が娯楽の中心だったからだ。

日本映画が規模を縮小していったのには様々な理由がある。
テレビの隆盛がもちろんあるし、ハリウッド映画黄金期もやってきたし。
ビデオの普及があって、DVDになって。
更に、家庭でも、大型のワイドテレビになって・・・。
映画館は、どんどん、遠い場所になっていったのだと思う。
今や、ネット配信まであって、スマホでも映像を楽しめる。

所が、逆転現象が起きている。
映画館は、気軽に行く場所じゃなくなった代わりに、特別な場所になった。
たまのデートや、シニアの楽しみの場に変化している。
そして、テレビにビデオにネット配信と、様々なメディアが増えたことで、映像制作の数が増えている。
映画館で映画を観るという文化が、確実に変化していったのにもかかわらず。
かつては、映画会社とテレビ局しか映像を製作しなかったのだけれど。
今は、ネット配信用であったり、レンタルDVD用であったり。
どちらとも関係なく、映像制作された作品も山のようにある。
フィルムの時代よりも低コストで製作できるインフラが揃ってきたこともある。

劇団と言う小さな単位で映画を創る。
それも、今なら不思議ではない絶好のタイミングだという事だ。
それも、クラウドファンディングと言う、新しい手法で企画が動き出している。
舞台をやってきた「劇団」ではなくても、小さな映像プロダクションと言うのはやまほどある。
下請けの下請けぐらいで映像作品を生み出しているプロダクションだ。
そういう場から生まれた作品が評価されたりもするようになっている。

18年間、舞台をやり続けてきて、今、こういうチャレンジをするのは、なんだか決まっていたみたいだと前に書いた。
でも、こういうことを考えても思う。
時代が、状況を整えてくれているんじゃないかって。

ユーチューバーなんかでもわかるように。
時代は映像制作のスターを今こそ求めているように感じる。
間違いなく、インディーズの自主制作集団で、スターが生まれるように思う。
今、ユーチューバーがやっている映像って、いわゆるバラエティだ。
情報番組であったり、お笑い映像であったり。
でも、いずれ、物語の製作も増えていくだろう。
そして、物語製作のスターが生まれると思う。

かつて、ウォークマンやCDやMD、VHSが急速に広まった頃に、深夜テレビやラジオと相まって、バンドブームが起きた。
ハイティーンだったおいらは、思い切りリアルタイムにそれを体感していたけれども。
時代が、どんどんスターを生んだ。
インディペンデントの最低単位と言っていい、バンド達が、ライブハウスから世にどんどん出ていった。
あっという間に、レコード会社は、話題のバンドに声をかけていった。
あれと同じことが必ず起きると思う。
面白い映像を創れる集団がいれば、映画会社やテレビ局が、それならもっとやらせてみよう!という流れを創る。
必ずそうなると思う。
サブカルチャーの領域で話題の映像作家たちは、今の時点でも目をつけられているはずだ。
少なくても、話題の劇団の作家たちは、ちょこちょこ映像の仕事をしている。

だから、この企画は、この企画としてすごく面白いのだけれど。
実は、この企画だけではなくて、未来も内包しているんだぜっておいらは思っている。
これ一発だけの、打ち上げ花火じゃないんだぜって。
絶対にそんなことにはしないんだって思っている。
この映画が実績となって、きっかけになって、更に広がっていく。
そう思っているのだ。

どこまでも行こう。
どこまでも。

今、やれることにベストを尽くせば。
それが、結果になるんじゃない。
それが、未来になるんだ。
間違いない。

映画化と言う夢が一つ現実になって。
今、現実と戦うけれど。
夢を忘れたわけではない。
この現実と戦いながら。
さらなる夢を描けるかどうか。
それこそ、エンジンをフル回転する最大のコツだと思うよ。

なぁ。
どこまでも行こう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:28| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月17日

役者は素材の一つでしかない

昨日もらったシーンの解析を続ける。
前のシーンで、部屋に小道具を置いた場合。
少し後でも、同じ日ならその小道具がないとどこに行ったんだ?という話になる。
今日はそういうのをいくつか見つけた。
時系列でまとめるだけで、必ず発見がある。
作成して、早速、劇団員全員に転送する。
これを更にみんなで見てくれたら、より見落としがなくなるはずだ。

昨日、部屋の中から廊下に繋がるシーンを稽古していた。
稽古を見ていたら、廊下に出ていく女優を目で追っている女優がいた。
あれ?おかしいぞ。と思った。
稽古場では、廊下と部屋を仕切る壁がない。
いや、撮影現場でもカメラの取り回し上、壁が開いている可能性がある。
でも、本来はそこに壁があるわけで、目で追う事なんて本来は出来ない。
目で追うのであれば、立ち上がって、部屋の出入り口まで進まないといけない。
なんとなく、当たり前に稽古をしていると、そんなことが起きる。
すぐに、そこ、壁があるんじゃない?って言った。

そしたら、そうだな・・・と、デビッドさんが、どんどんこうした方が良いって芝居を説明しだした。
廊下の音が聞こえたら、音の方を向くのではなくて、顔を見合したほうが良いとか。
そこは、ちゃんと止めに行った方が良いとか。
ここは、リアクションが3つないとおかしいよとか。
どんどん、要求が増えていった。

その稽古がね。
とてもとても、良かった。
ためになった。
ああ、ここがディティールだよな。
そう思えることが、いくつもあった。
あ、これ、映画になっていってるなという実感があった。
多分、逆もあって、そこで細かすぎる芝居をしているメンバーもいて。
大勢のシーンだったから、細かすぎて、何も伝わってない芝居もあったと思う。
その辺は、とても面白いことで、なんというか覚えておかないとと、思ったのです。

映像の芝居って、ひょっとしたら、全てが正解なのかもしれないなって思いましたよ。
何故なら、シナリオを読んで、役を自分に入れて、芝居をする。
それを、どう撮影しようが、どう編集しようが、なんならカットだって出来るのだから。
いわゆる芝居は素材でしかなくて、正解も不正解もないものなのかもしれないなと。
ただ、「当たり」が時々あるのだと思うのです。
この芝居は当たりだ!他をカットしてでも、この芝居は見せたい!そういうコト。
それは、たぶん、すごい大事なコトな気がします。

先日書いた、たけしさんの本にね。
「役者の芝居合戦はいらない」って書いてあったの。
んー、おいらの解釈で簡単に書いてしまうと。
良い役者っていうのは、たっぷりの間で、印象的な芝居をしちゃうらしい。
で、それは、確実にお客様や映画評論家に評価される素晴らしい芝居なんだってこと。
でもね、それをやられちゃうと、困ると。
そんな印象的にしたいシーンじゃないのに、その役がやけに立っちゃうわけだから。
監督の頭の中にある作品的には、不要な良さなわけです。
良い役者が何人も揃うと、その芝居合戦をし始めちゃって、そうなるともう自分の映画にならないようです。
だから、そういう役者はいらないってなっちゃうって。
だから、製作サイド、監督サイドからすれば、お客様や評論家に評判が良くても、使いにくい役者だってことになるみたいで。

この辺、非常に難しいなぁと思ったのだけれども。
多分、一つの作品の中で、自分勝手に勝負出来るカットなんか、1つか2つなんじゃないかなぁって思った。
ゼロである必要はないのかなって思うけれども。
やっぱり、監督の頭の中にあるテンポ感や、シーンをまず再現するべきだなって。
その上で、ここだけはって場所で、当たりを出せる。
そういう役者が、きっと、現場でもお客様にも、評価されてきているんじゃないかなって。

自分が映像素材になれるかどうか。
そこから、始めて。
その上で、当たりも出していく。
すごい面白い作業だと思うの。
あえなくカットされちゃう場合もあるけれどさ。
そういう部分をクリアしないと、本当は、感情表現まで進めないんじゃないかなって。

デビッドさんが、どんどん何かをいう時に。
あ、監督は今、こういう素材を求めているぜ。
と気付いて、すぐにその場でやれる、反射神経が必要だな。たぶん。
気付く修行と、その場でやれる修行。
二つ訓練しないと出来ない奴さ。
自分のプランがあっても、その場で切り替えられるタフさも必要になる。
やりがいがあるじゃないか。

自分だったら、あの時、どうやったかな?
どんどん要求が増えていった時。
どう対応できたかな?
想定しながら、想像しながら。
自分でもやってみたりするのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:54| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする