2016年05月25日

一生忘れない

ふと見ると、警官がいる。
街角で、駅のホームで。
伊勢志摩サミットが近い。今週末だ。
主要国首脳会議。
世界でたった7か国の先進主要国の中に日本がいる。

たくさんの幸せや夢が現在の日本にはある。
自分の将来を自由に語ることが出来る。
有名スポーツ選手は世界で活躍して、子供たちに夢を持てと口にする。
格差社会なんて言われても、世界から見れば、殆どが富裕層。
そういう国だ。

当たり前のように数十キロを電車で移動する。
都心ではなくても、駅前にはビルが立ち並ぶ。
深夜でもコンビニエンスストアが明るい光を灯している。
舗装されていない道路なんて見かけない。
数年後にはオリンピックを控えている。

ただ一方的に、この繁栄を享受してももちろん良いと思う。
芸術、文化に生きることがどれだけ幸せな事なのか。
知らなくてもいい。
自分の悩むべきことを悩み、苦しむべきことを苦しみ、進めばいい。
そして、また新しい何かを見つけていけば良い。

だけど。
美しいこの街は、誰かが血を流した、涙を流した、そんな街だ。
いつか、どこかで、気付く。
知る。
芸術も文化も花開くには、繁栄が必要なことをどこかで知る。

オバマ大統領の広島訪問が決定した。
沖縄の問題も注目されている。
アメリカの次期大統領選では、過激な発言のトランプ氏が、日本撤退をぶちあげた。
関係ないよ、そんなことはと、自分のやるべきことにだけ集中してもいいけれど。
状況は変化するし、社会情勢も変わっていく。否応なく。
芸術、文化は常に時代性を孕んでいる。

普遍的な何かを創ろうと目指す。
それでも、残念ながら、どんな作品にも普遍性なんて目指すことはできない。
結果的に普遍性を身に着ける音楽や絵画、彫刻は確かにある。
でも、それが本当に100年後も200年後も評価されているかどうかなんて誰もわからない。
目指してできるものではないのだ。
作品は常に現代の写し鏡になる。

「セブンガールズ」は現代の物語だとおいらは考えている。
舞台設定はもちろん、終戦直後だ。
もう70年近く前の話。
その頃の記憶がある人もどんどん少なくなっている。
子供の頃に聞いた話をしてくれる親戚も、どんどんいなくなってる。
終戦直後という時代も、いずれ、神話の時代になってしまう。
そうなったときに、終戦直後を語るとすれば、現代と照らし合わせてしか表現できない。
当時の真実を知る人がいない以上、証言や記録から、現代人が表現するしかないからだ。
エンターテイメント作品であってもそれは変わらない。

伊勢志摩。
神話の舞台だ。
俳優の神様も伊勢神宮にはいる。
そこでサミットが行われる。
夏季オリンピックも、今年はリオで開催される。
たくさんの人たちにとって、忘れられない一年になる。
節目の年になるのかもしれない。

そんな現代が、「セブンガールズ」にはきっと反映される。
それはもう無意識のレベルで。
或いは俳優の肉体感覚が現代なのだから、目に見えるものそのものが現代とも言える。
そして、そんな現代から。
繁栄した現代から、何もなくなった終戦直後を照らし出す。

今年撮影することになったのは意味がある。
きっと、公開するタイミングにも意味が出来る。
そう思っている。

忘れられない年になる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:22| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

ベン・ハーを越えた日

昨日のうちに脱稿したばかりのシナリオ初稿を各スタッフさんに送信しておいた。
本読み稽古を一部スタッフさんの前でやる前に当然、送信しなくてはいけない。
先に目を通しておいた上で、本読みの見学に来たいと聞いていたからだ。

ただ送信する前に、実は、デビッドさんも、おいらも心配していた。

それは、シナリオの分量だ。
劇団前方公演墳の台本は、実は分厚い。
通常の舞台の上演台本に比べると、1.5倍~2倍ぐらいある。
それは、短いセリフや合いの手があるから行数が増えるし、テンポの速いシーンもあるからだ。
デビッドさんの台本を普通の演出家が演出したら、3時間ぐらいの公演になっちゃうんじゃないだろうか。
元々、そういう早いテンポが持ち味だし、当然そうなる。
おいらは、わりに人の劇団の台本も読んできたけど、他に見ないほどのページ数だ。

当然、その劇団前方公演墳の舞台の映画化なのだから、通常の映画のシナリオの分量とは全然違う。
例えば、映画のシナリオのト書きに、「空、鳥が飛んでいる・・・風船がどこからか飛んでくる」と書かれている。
それだけで、映画は30秒~1分の映像をそこにあてこむことになる訳だ。
たったの1行が、分という単位になる可能性があるのが映画のシナリオなのだ。
そのことは、デビッドさんもおいらも十分にわかっていて、それを送れば、驚くだろうなとわかっていた。

準備の稽古とは、実はその驚くであろう反応にある程度の答えを用意しておきたいという意味でもあった。
止めながらのこうやって本読みをしていこうという稽古をしながら、実は事前に時間を計っていた。
その為の、時間を記録しておく通常タイムキーパーやスクリプターがやるような作業を出来るようにしておいた。
なぜ、稽古から時間を計るのかなぁ?と思っていたメンバーもいたかもしれない。
実は、あれも準備だった。

それがわかっていたのは、もう一つ理由がある。
デビッドさんが監督をした連続ドラマ「泣きめし今日子」の時も同じことが起きたからだ。
4分のドラマなのに、シナリオをスタッフさんに渡した時に、これは15分ですよ!と言われたらしい。
4分ドラマの通常のシナリオの4倍近い分量のシナリオを書いていたのだ。
もちろん、それも改訂はすれど大きな変更なくその分量のまま4分のドラマになっている。
今回もデビッドさんは、ちゃんと2時間以内の映画になると計算してある。
ただ単純なシナリオのページ数、シーン数の多さに、驚くだろうと思っていたのだ。

メールの返信が来た。
シナリオ初稿、拝受しました!という報告のメール。
その後、10分後、すぐにまたメール。
このシナリオ、ざっくり計算すると280分です・・・!!
というビックリマークが2つも入るメール。
最初のメールに返信できていなかったタイミングですぐに届いて。
ああ、やっぱり、そうなったか・・・と。

しかし・・・。
280分って・・・。
4時間40分。
ベン・ハー越えてます。
超大作です・・・。

もちろん、ちゃんと、説明しました。
すでに、ざっくりではあるけれども、尺は出してあって、2時間以内で計算していること。
計った尺をすぐに送付できること。
念の為にト書きなどが細かく記載されていること。
来週の本読みでは、恐らく、編集後の尺が見えるぐらいの本読みになること。
そういうことなら、本読みを楽しみにしてますとの返事・・・。
とりあえず、今週の本読みにちゃんとしたものを見せることが出来れば・・・。

想定していたことではあるのですけれど。
なんというか、少しだけ、実は、それを見てテンションが上がったのです。
だってさ。
もう数十本という映画に関わってきた人が驚くようなシナリオだったってこと。
つまり、こんな分量のシナリオは見たことがないっていうことなのだから。
それは、逆に言えば今までないってことだし、もうその時点でスタイルだよって思ったんだな。
通常の映画の倍以上の情報量が詰め込まれた映画になるって事だから。

すぐにデビッドさんにもやっぱり驚いていた旨を連絡して、そのまま何度かやり取り。

今。実は日本の文化は全てテンポアップしている。
それは、テレビ文化の進歩であったり、或いはネット文化の進歩があるからなんだけれど。
ご存知のように9秒の映像をTwitterでアップするなんて言うのが流行したりしている。
Youtubeも、気楽にスマホで見られる映像は3分が一番アクセスが増えると言われていたりする。
例えばお笑いだと、バラエティでもネタ番組はネタの持ち時間を2~5分までになってる。
ネタ番組じゃなくても、どんどん文字のテロップを出して、映像のテンポを上げることで、情報量を増やしている。
たけしさんは、ツービートでそれまでの漫才の4倍ぐらいの分量の漫才をハイテンポでやってブレイクしたんだけれど。
そのたけしさんが、今の漫才はどんどん早くなっていて、ちょっと信じられないスピードになってるって言ってるぐらいだ。
そして、それをちゃんと進化と捉えていて、絶賛している。
小劇場でも、10年以上前から2時間を超える舞台はどんどん減っている。
お客様が2時間も耐えられなくなってきているから、90分ぐらいの上演時間の作品が主流になりつつある。
時間の観念は、実はどんどん変わってきているのだ。
音楽のPVを撮影しているクリエイターが時々映像の世界で、注目されるのはその時間感覚にあると思う。
4分の楽曲のPVを数十カットで構成していくのだから、ものすごいテンポの中で生きていることになる。

つまり、現代日本人の時間感覚は既に、過去の時間感覚から大きく変容しているという事だ。
実際、今のおいらが映画館で1分間、風景や空を見せられたら、少しかったるく感じてしまうかもしれない。
大人計画の松尾スズキさんが、現代は1分に1回は笑いがないと台本にならないと弟子の宮藤官九郎さんに伝えたのは有名だけど。
それは、嘘でも何でもなくて、それだけ進化していることなんだって、おいらは捉えている。
テンポが速くて次々に新しいことが起きるのは、行間や余韻がないなんて言う人もいる。
けれど、それはちょっと違くて、早いテンポであれば、1秒でも2拍でも、それまで使えなかった間の効果を使えることになる。
長い間ももちろん使えるから、むしろ、行間や余韻をより多彩に演出することが出来るのがテンポアップなのだと思う。
それは、現代のテレビ番組でもなんでも見ていればわかる。
飽きない、笑える、泣ける、様々な番組があるけれど、確実に20年前よりも心が動くようにできている。

おいらは、それは日本人のみの時間感覚なのかなぁと思っていたのだけれど。
デビッドさんが、ハリウッド映画のタイトルを出して。
ああ、そうじゃないか。ハリウッド映画のテンポも、すごい上がっているなぁと気付いた。
確かに昔の映画を観ると、少しかったるく感じてしまう自分がいるのは。
作品が変わったのじゃなくて、おいらの時間感覚が変わっているからなんだと。
過去に見た時はそんなことは感じなかったのだから、当時の自分の時間感覚ではベストだったはずだ。
考えてみれば9秒のネット動画もアメリカ発信である。
テンポが上がっているのは、恐らく世界共通の事なのだ。
「セブンガールズの映画を観たら、他の映画をかったるく感じてしまうかもですよ」とデビさんに送ったら。
ハリウッドのあの映画なら、それはないっていう返信が来て。
ああ、そうかそうかと、納得した。
そして、恐らく、デビッドさんの体感として、現代の時間感覚が、あるということだ。これは。

もちろん、まだまだシナリオは改訂もしていくことと思う。
とは言え、大きく分量が変わるとは思えない。
そして、この分量の映像を2時間に凝縮する。
それは、今までの映画でも珍しいスタイルになる。
・・・いやそうじゃないか。

劇団前方公演墳のスタイルをそのまま映画に持っていくことになるだけか。

そうなんだ。
そうなんだ。
それがやりたかったんだ、おいらは。
それが実現できると信じていたんだ!!

2時間を超える舞台をいつもやっていて。
こんな長い時間に感じませんでした!という感想を何度も耳にする。
それを、もし映画でもやれたら。
2時間近い映画を観て、あっという間だったと、もし耳にすることが出来たら。
それは、一つの到達点なのではないだろうか。

そういう作品を目指せばいい。
それが答えだ。
そして、それが支援してくださった皆様の思いにも繋がっていると、おいらは信じているのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:50| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

勇者と賢者

作家の真似ごとをしたことがある。
いわゆる作家とは文章を書く人の事だとするのか。
文章を書いて、対価を貰っている人の事を言うのか。
よくわからないけれど、一応、対価を貰ったこともある。
とは言え、真似ごとレベル。
独自の文章でもなく、いわゆるクライアントに頼まれたライター的なこと。

だから、むしろ、対価など貰っていないけれど。
若き日に自分で舞台をやろうと、台本を書いた日の方がよほど作家だなぁと思う。
舞台の台本で4本、ショートフィルムやオムニバスで数本。
自分の書きたいように書いた・・・わけでもない。
やっぱり、お客様がいるから、そこを意識して、俳優も意識して、段取りも意識して書いた。
それは、孤独な作業で、一人での格闘だった。
何よりも、大きなプレッシャーとストレスとどう付き合っていくかという作業だった。

おいらなりにだけど。
作家の過酷さは知っているつもりでいる。


デビッド・宮原が「セブンガールズ」の映画シナリオの初稿を脱稿した。


初稿とは言うけれど、初演の14年前から15稿でやっと完成だよ!
なんて冗談とも本気ともつかない言い方をしていた。
繰り返し書き直されてきた上演台本を、シナリオにコンバートしただけかもしれない。
それでも、孤独な作業であったことは疑いようがない。
どこをどうするか。シーンの並びはこれでいいのか。映像なら必要になるのはどんなことか。
考えなくちゃいけないことはやまほどある。
上演台本をただカット割りしていくだけの作業ならどれほど楽だっただろう。
舞台が映画になるという事は、視点が変わるという事だ。
デビさんの頭の中で、様々な視点が生まれて、様々な視点で書いている。
楽しかった部分もあると思うけれど、その殆どは、大変な作業だったはずだ。

はじめは、頭の中の妄想でしかない物語が文字になる。
その文字を手に入れた俳優たちが、妄想であった物語を立体化していく。
そこから先は孤独な戦いではない。
むしろ、他者との共同作業に移行していく。
でも、その前に必ずあるんだ、孤独な作業が。

舞台の台本は何度も書いてきたけれど。
2時間の長編映画のシナリオはさすがに初めてのはずだ。
泣きめし今日子はシナリオで分量は変わらないと思うけれど、連続ドラマだった。
恐らく、実感が全然違うはずだ。

脱稿した今、どんな気分だろう。
確実に一つのヤマは乗り越えたのだから。
到達感はあると思う。
その先にまだ道は続くのだとしても。

稽古後、デビさんとのやり取りの中で。
改訂頑張るよ!と、メールが入る。
今日の稽古で、どこを直そう、どこをいじろうという部分もあったと思う。
書かれた文字が、役者の肉体を通した言葉になった時。
頭の中に思い描いていた映像は、更に進化したのだと思う。

そう。
初稿。
これはスタートラインだ。
改訂が入るかもしれない。
稽古中に変わるかもしれない。
撮影中に変わるかもしれない。
編集段階で変わることだってある。
創作物をここから、クリエイトする作業がスタートするんだ。

今は、ただただデビさん、お疲れさまでした!だ。
誰も手伝うことが出来ない作業。
外から、応援しているしか出来なかった。
頭の中に映像が流れているかもしれないけれど、少しだけでも休んで欲しい。

休んだら。
クリエイティブな作業が始まる。
どんどん良いものにしていく作業をしていかなくちゃだ。
ここから先は、おいらたちも芝居を通じてたくさんの提案をしていかなくちゃ。



テケテテッテテー

賢者の地図を手に入れた。
勇者よ!さあ冒険のスタートだ。

進め!進め!立ち向かえ!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:17| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする