2016年05月31日

役者の仕事

打ち合わせでも出た話だけど、今回の映画では劇団員も色々と準備をすることになる。
撮影に入れば役者に集中出来る状態にするつもりだけれど、それ以外の部分で。
それはもちろん低予算だからだし、低予算だけどセットを創るとかクオリティを高くする為だ。
低予算なら低予算のやり方があるんだけれど、いかにも低予算の映画にしたくない。
だとすれば、自分たちでやれることをやるのが一番だ。
本当にセットも何もない状態で、拘らないのであれば不可能じゃないけれど。
やっぱり、1mmでもいいから良い作品にしたいと思えばそういうことになる。

でも何度か書いたけれど、そのことに余り大きな違和感がない。
何故なら小劇場の世界で舞台をやるなら、当然の事だからだ。
小劇場は、大抵どこの劇団でも役者がたくさん働く。
それはもちろん、人件費の削減であったり、致し方なくそうなったのかもしれない。

でも、そういう現状を見て、
「本当は役者は芝居だけに集中した方が良いに決まってる」
的な意見は、おいらは、実はとてもとても違和感がある。
色々な仕事をいとわない人ほど、この言葉は言わない。
芝居に集中するのは当たり前だし、他の事をやるのもそんなに悪くない事だからだ。
なぜ、悪くないと言えるのかといえば、自分がこれまで経験してメリットしか感じていないからだ。

第一に、愛着が違う。
その作品を少しでも良くしようと、大道具を建て込んだり小道具を創る。
場合によっては衣装だって製作する。
それは、愛着を生む。
まぁ、道具に偏向した愛着だとあまり意味がないのだけれど。
それが、作品や自分の演じる役への愛着に直結する場合がとても多い。
自分も1から舞台を創っていくことに参加したという事だけで、作品への愛情が多層化する。

そして、次に大事なことは、スタッフさんとの関係性だ。
一緒に物を創る作業は、その劇場にいるスタッフさんとの距離感を変える。
自然とチームになっていく。
舞台に立つ俳優と、明かりや音や舞台監督などのスタッフさんの息が合うとそれだけで作品性が上がる。
同じ作品を創るという意味では、俳優もスタッフもない。全く同じ立場だ。
変に距離を縮める必要性はないけれど、一体感を感じるぐらいのチームになるのは大事な事だ。
往々にして小劇場の仕込みというのは、チームになっていく儀式でもある。
急速に作品に全員の意識が統一されていくのだ。
これは、恐らく、小劇場の世界にいる俳優の殆どが同意すると思う。

もちろん、技術的な知識を積み上げることも、意外に強力な演技の武器になる。
そこに当たっている照明が凸レンズか凹レンズか知っているだけで、動ける範囲が変わる。
セットの建込みの段階で、袖のパネルの角度の調整が出来る。
演技エリアをギリギリの範囲まで自分で広げることが出来る。
知っていれば知っているほど、それを生かすことが出来る。
本番中に、何か落としても、どこからなら拾えるとか、どこに蹴っ飛ばせば大丈夫とか。
そういうことまで、完全に把握できる状態で芝居が出来るのだ。
空間を完全に把握している俳優とそうじゃない俳優ではダイナミクスが違ってくる。

今、映画でもテレビでも小劇場出身俳優が引っ張りダコだけれど。
その理由の一つが、スタッフさん受けが良いからだという。
スタッフさんの作品に対する気持ちを、自分でも経験しているから理解しやすいのだ。
ベテランの俳優さんほど、スタッフさんとの関係性が深いというけれど。
それは、すごく当たり前で、一番大事な事だ。
どんなに良い演技をしたって、照明が当たらないと、カメラが撮影しないと、音が録音できないと。
結局、何もやっていないことと変わりはしない。
舞台を経験している人はスタッフさんの重要性を最初に理解する。
小劇場であれば、自分でも手伝うのだから、より深く理解しようとするのだ。
そういうことが、挨拶であったり、態度であったり、そういうところに滲み出る。

もし「役者は芝居だけやってればいい」と言える人がいるとしたら。
それは、それこそスタッフさんだけだ。
スタッフさんは、なるべく役者に手伝ってもらわないようにしないとと思ってくれるから。
それはとても正しいし、とても愛情のある言葉なのだ。
でも小劇場に出ている俳優が口にすると意味が変わってくる。
ああ、この人はわかってないなぁって思われるだけだ。
芝居だけやって、良い芝居になるならいいけれど。
良い芝居にするのなら、やっぱり、チームになっていくことも重要なのだ。
そこを理解できない役者が時々、口にしてしまうんだよ。

映像の現場で役者が役者以外の仕事をするなんてことはない。
それは、スタッフさんの仕事を奪ってしまう事になる。
だから、おいらは余計な手出しはしないようにする。
ちょっと、重そうだし持ってあげようかなと思っても、そこで一つブレーキを掛ける。
スタッフさんの持ってるプライドもあるから、下手に手を出さないのだ。
でも、今回は違う。
自分たちで企画を立ち上げて、任せっぱなしではなく、自分たちで創り上げていくんだから。
手法がそのままの劇団の手法なのだ。
今回、初めてのスタッフさんもいるけれど、絶対にチームになっていかなくちゃいけない。
別に仲良しになるという事ではない。
同じ作品に向かうチームになるって事だ。
それは決して、仲良しという事ではない。
チームだ。

最大のメリットは。
結果的に全体を見ることが出来るようになることだ。
自分の役だけではなく、自分の登場シーンだけではなく、箱や客席まで含めた芝居の全体像。
より大きな俯瞰を視点として持てることが、実は役者にとっては一番大事な事なのかもしれない。
役や物語だけを理解している人よりも、劇場の広さや、客先の温度まで理解している人の方が芝居が深くなる。
当たり前の事なんだけど、忘れがちな事だ。
劇団で演出助手を初めてやった役者は必ず口にする。
デビさんの横でダメ出しをメモっている仕事をしているだけで、以前よりも、深く作品を理解できるようになったと。
それは、俳優だけの視点に加えて、演出家の視点を知っていくからなのだ。

今晩や明日の晩。
夜空を見上げた時に。
いつもよりも輝く赤い星があれば、それは久々に近づいた火星だ。
地球も火星も同じ太陽系の中で太陽の周りをまわってる。

物事は常に多面性を持っている。
芝居という嘘の世界は、いつだって、多面性を失ってしまう落とし穴が待ってる。
一元的でも作品が成立してしまうから、簡単に落とし穴に落ちていく。
それはまるで地球上に生きていたら、地球が回っていることに気付かないことに似ている。

そんな時に、空を見るのだ。
太陽が、月が、火星が、星たちが、同じように回っている。
そこで、久々に気付くのだ。
そうか、地球は回っていたんだと。
星々から見た地球ってどんな風に見えるんだろう?
火星から見た地球は何色なんだろう?
少し思いを巡らせただけで、世界はどんどん多重化していく。

役者が作品に思いを馳せるように。
スタッフさんも作品を良くしようと考えてくれている。
そういう多面性を理解していく作業。

おいらは、そんなつもりで、むしろ自分から進んで作品に関わっているのだ。
作品を理解する作業は、役者の仕事だと思っているのだ。
続きを読む
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:19| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月30日

いつか話した夢物語

本読みであった。
全体の尺を確認する。
スタッフさんは、急遽、本読みには間に合わなくなったのでビデオを回す。
テンポ感などは伝えなくてはならないからだ。
本読みをしている最中に、各スタッフさんからメールが届く。
自分の出番のタイミングを読みながら返信を重ねる。
予定していた打ち合わせには間に合うという。

古賀P、製作の松川さん、美術助手になる齋藤さんが到着する。
簡単な自己紹介。
時間に余裕があればもっとちゃんとするべきかもしれないけれど。
時間と人数を考えれば、簡単にで良い。
キャストが決まったらキャスト表を渡して、俳優の写真も添付しなくちゃだ。
顔と名前と役が一致すれば、その後の打ち合わせも早くなる。
●●さんのあのシーンですけど・・・と、即座に出るようになった時。
打ち合わせは確実にスピードを増すはずだから。

そのまま打ち合わせる。
初稿が出来て初の打ち合わせ。
全体のスケジュールの確認と、今、必要なコト。
初稿から、変更が必要ないくつか。
用意した資料も渡す。
今後、継続的なミーティングも決める。
実際に会うか、もしくは、ネット会議を利用することになった。
定例会議の発足だ。
その後、メンバーが増えていくこともあると思う。

そのまま、既に飲んでいるメンバーと合流。
齋藤さんも一緒に。
齋藤さんに、稽古ではどんなイメージのセットで稽古をしているかなども伝える。
小道具の準備方法なども確認したり、かなり有意義な時間になる。
建具、家具、装飾品は、ある程度の数、揃っている。
ここからは、小道具の準備も考えなくちゃいけない。

齋藤さんは、劇団前方公演墳の美術を杉本さんがやってくれるようになった時。
最初の最初についてくれた方だ。
当初はそんなには劇場に来れない筈だったのに初日から毎日来ていた。
むしろ役者よりも早く来て、汚れた箇所をペンキで毎日修正していた。
持っていたスマホもペンキだらけ。
20代の女の子なのに、すごく一生懸命だった。
おいらたちは、毎日、飲みの席にお誘いして、色々な話を聞いた。

その会話の中で。
いつか映画の現場で、みんなで一緒に作品を創れたら面白い現場になるだろうなぁ。
そんなことも話したのを覚えている。
その時は夢物語だった。
舞台は初めての経験だったから、役者がセットの設営まで手伝う現場なんて初めてだったと思う。
映画の現場でもこんな感じで、一緒に作品を創れたら面白いんだけどな。
そんな風に思った。

今の齋藤さんは、一人で現場に行くぐらい経験を重ねている。
もう後輩もいるし、顔も広くなっている。
聞けば、様々なノウハウを持っている。
あの時の一生懸命のまま、今日まで仕事を経験してきた。
だから、今回の映画でご一緒できるかは難しいと思う。きっと。
他の現場との兼ね合いになるだろうし、同時進行の仕事もあるはずだから。
今回、ご一緒出来たらいいのになぁって、飲み屋で本当に思った。
ほっぺたにペンキをつけて、皆でセットを組めたら、楽しいだろうなぁ。

早い時間から飲んでいたメンバーと合流した後。
終電ギリギリの時間まで一緒に飲んだ。
映画とは関係ない話も笑ってした。
初めて付いてくれた日から、何も変わってない。
結局、齋藤さんもおいらたちも、良い作品に巡り合って、良い作品に少しでも近づけたい。
ただそれだけで、あんなに笑っているのだ。
関係ないような話も、結局、全てが繋がっている。
多分、初めて会った日は、頭のおかしいおっちゃんたちが集まってる異様な集団だっただろうになぁ。

現場に来れるかどうかとかじゃないな。
この作品に向かう気持ちは通じている。
終戦直後の写真集を資料として、自分で買ってるんだもん。
もう、参っちゃうよ。

創るぞ。
創るしかない。

よおし!!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:35| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

朝陽館を訪ねて 後編

中野圭と待ち合わせをして車で向かう。
中野圭はいつも30分前行動の人で、必要以上に集合時間が早い。
電車で向かう方がはるかに遅い時間に家を出ることが出来るのだけど・・・。
まぁ、それもいいかと、向かう。
アイスコーヒーをコンビニエンスで買う。
車の座席は日差しの厳しい季節は水分が不可欠だから。

途中、今日が最後になるかもしれないから、和菓子を買う。
何がいいかなぁと思っていたけれど、結局和菓子に落ち着いた。
つまらないものだけれど。
口に合うといいなぁ。

朝陽館に到着するのはやはり30分前。
時間まで、しばらく待機して、向かう。
玄関に入ると、それまでと景色が違っている。
色々なものが片付けられている。
たくさんのものがあった場所が何もなくなっている。
あの大きなのっぽの古時計もなくなっていた。
文字通り百年いつも動いてきたご自慢の時計さ。

今日はトラックではないから、そこまでの量は積めない。
そのことは伝えてあるけれど、それでもいくつか、いいんじゃないかって見つけ出してくれている。
今日は、初めて屋根裏部屋にまでは行った。
まさかこんな所にという場所に隠し階段のようなものがあって、屋根裏に上がる。
脂のついた特徴的な古いガラス戸がそこにある。
それは、もう本当に30年代の物ですよなんて聞く。
老舗の歴史的建造物の屋根裏部屋に入るなんて、一度も想像もしたことがなかった。

いただける襖や、引き戸を、外していく。
地袋襖や、ガラス戸も頂く。
小さな格子戸を頂く。
両面の襖を頂けたら嬉しい旨を伝えると、社長さんに確認をしてくれた。
社長がやってきて、そこに使っている材料の説明をしてくれる。

どうしてその木材の木目が細かいのか。
どうしてこんなに長い時間が経過してもしっかりしているのか。
この木材がヒノキで、こっちは赤樫とか固い木なんだよと細かく教えてくださる。
にこにこと笑う笑顔の奥に、この旅館を何十年も運営してきた時間の重みを感じる。
もうお客様が来ることもなく、引っ越しの準備もほぼ完了している今も。
夜になったら、旅館全体を見回りで回るのだという。
だから、出来れば出入り口の襖はまだそのままにしてほしいと聞く。
見回りの時、入口が閉まっているか必ず確認するという。
何十年も続いてきた日々の見回りは今も続いているのだ。
それを聞けば、いただくわけにはいかない。
すでに頂いている20枚近い襖は片面だけど、裏にも襖を張れば、両面になる。
今、無理にいただくわけにはいかないや。

ここまでの数の建具や装飾品をいただいただけでも、どれほどの力になるか。
和菓子ぐらいじゃ、本当は割に合わない。

着物も頂いた後。
ベニヤ板まで頂く。
ベニヤまでいけば、もう装飾品というよりは、材料だ。
たくさんあるから持っていってと言ってくださる。
もう車には乗らないから、車の天井に縛り付けることにする。
材料はいくらあっても足りなくなるのは目に見えているから。
少しでもいただけるなら、ありがたかった。

お礼を言って、再び保管場所まで。
保管場所で写真を撮影して、大きさも測る。
気付けば保管場所には大量の材料、家具、装飾品、建具が並ぶ。
そうぞうを超える量だ。
美術打ち合わせで必要なら6月末に再度お伺いする事になるかもしれない。
けれど、とりあえず、今はこれだけあれば十分に時代感の演出は出来ると思う。

帰り道。
中野圭の車を見ると。
着物や鞄などを積んだまま。
自分で欲しかったものを積んでいる。
あ、この鞄・・・。最後の京介に良いと思ってたのに。
個人的に欲しくなるような、貴重品があったという事だ。
撮影の時に、再度持ってくるよなんて言う。

帰宅してすぐにシャワーを浴びた。
屋根裏部屋や、倉庫にも入ったから、埃だらけだった。
少し寝ようかなと思ったら、メールが来た。

美術監督の杉本亮さんからだった。
そのメールには美術の様々なアイデアが詰まっていた。
低予算で、それでも美術が必要な時代作品。
アイデア勝負になるのはわかっていたけれど。
おいらが出来ることなんか、こうやって材料集めだったり、人海戦術だったりだ。
そこに映画の世界で、生きてきたノウハウが加わる。
小さな光が、大きな光になって、道を照らした。

すぐに返信した。
美術打ち合わせ、美術ロケハン、美術プラン。
いよいよ美術関連の具体化も近くなってきた。

ようやくゆっくり出来る時になって。
今日のあの今までよりもがらんとしたフロントを思い出す。
社長の笑顔が重なってくる。
あと数週間で社長もあの旅館から出ていく。
そして、その後、解体が待っている。
柱一本にも、理由がある建物が解体されていく。
そんな場所においらは、この「セブンガールズ」という作品は立ち会うことが出来た。
なんて幸せな出会いだろう。
あらゆるタイミングが合わなければ実現することすらなかった。

生かそう。
もう一度。
フィルムの中で生きてもらおう。

頂いた着物の間にショールがある。
毛糸で出来たショール。
あのショールを肩にかけて、今日頂いたハンドバックをぶら下げたパンパンを思う。

そこはもう、あの時代だとしか思えない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする