2016年04月25日

朝陽館を訪ねて 前編

朝陽館.jpg

朝陽館 玄関前 
幾つかの都内近郊の廃業した旅館を調べて、連絡を重ねた。
唯一ここ、本郷三丁目の老舗旅館、朝陽館様が、いくつかの装飾品の引き渡しを許してくださった。

建物は戦後に建てられたという。
歴史は明治から112年前に創業された、老舗中の老舗だ。
職人さんの世代交代もあり、今後の維持が厳しくなって、今年の3月に残念ながら廃業した。
この旅館は知る人ぞ知る名旅館で、全ての部屋の意匠が違う、特別な旅館だった。

約束した朝十時に集合して、声をかける。
すぐに電話で連絡をしてくださった種田さんが現れて、応対してくださった。
廃業した旅館の廃棄物の中からいくつか頂けると思って伺ったのだけれど。
それは、おいらたちだけではなくて、他にも何組か来ていた。
ああ、そういうものなんだなぁと、驚く。
玄関脇に集められたいくつかの道具には、既に養生テープで、他の業者の名前が入っている。
ふと目を落とすと、火鉢があった。
・・・この火鉢、すごいですね。
思わず口をついた。
いいですよ。持っていってください。
驚くメンバー全員。
ああ、こんな火鉢がどこで今、手に入るだろう。

順に部屋に案内される。
部屋中に十数の鏡台と、部屋数だけの液晶テレビが並ぶ部屋に案内していただく。
鎌倉彫を施した綺麗な鏡台には、どれも業者のテープが張ってある。
おいらは、そんな高価そうな鏡台には見向きもせず、少し塗装にひびの入ったような鏡台を指さす。
これがいいです。この時代感のあるやつが良いです。
終戦直後の物のない時代。
最低限必要なものを男や、縄張りのヤクザが用意しただけであろう室内の装飾。
高価な彫り物のある鏡台では、やはりそぐわない。
ようやく見つけてきたような、すこしくたびれた鏡台・・・(もうお客様に出していなかった倉庫に眠っていた鏡台らしい)を指さした。

その先・・・おいらたちが選ぶものは、そういうものばかりだった。
業者が欲しがるものとは少し毛色が違う。
欠けた茶碗や丼、灰皿。黄ばんでしみのついたシーツ。
既に泊り客には出せないで保管していたようなものばかり、おいらたちは選んでいった。
今日、たまたま出てきたんですよ・・・と時代物のミシンが出てきた。
タイミングで、ぜひくださいとお願いをする。
その他、建具など、誰も手を付けてないモノばかり、これはどうですか?とお伺いした。
建具は、まだ先じゃないとわからなかったけれど。
気付けば、一部屋の一角を埋めるほど、おいらたちは、装飾品を頂けた。
こんなにありがたいことはない。
処分する前に、使ってくださる人にもらってほしいなんて言ってくれる。
おいらは、色々な道具に夢中になったり、部屋の意匠に夢中になったり、小さな彫刻を見つけて感動したり。
忙しく、笑いながら、案内をしていただいていた。

種田さんは、あの引き出しがいいんじゃないかとか。
この部屋の額縁はどうですか?とか。
余り誰にも公開していない部屋までカギを開けて見せてくださった。
旦那さんも笑顔で、これなんかどうだい?と物を持ってきてくださる。
感謝し切りで、同時に、頂ける品々を見ては、感動をしていた。

一通り、頂ける装飾品が決まった後に。
まとまりましたと、ご報告に行くと。
それじゃ、いくつかお部屋を案内しますね。きっと喜んでくれるから。
・・・なんて言って、一つ一つ、まだ片付けていない部屋を紹介してくださった。
天井が番傘のようになっている凝った意匠の部屋は、かつて富士が見えたという。
ああ、こんなところに一生に一度泊まってみたい。
声が出て、ため息が漏れる。
案内してくださった部屋の全ては、ただもう感動するばかりだった。
つい先月まで営業していた旅館。最高に清潔なのに、素晴らしい静寂を持っていた。
そして・・・
まさかの、あの部屋に通してくださった。

本郷三丁目は、水道橋、御茶ノ水から歩いていけるような街だ。
つまり、出版社が数多くある街に隣接している。
この歴史ある旅館で、数多くの作家たちが、いわゆる”カンヅメ”にされて。
原稿が上がるまで、夜を明かした。
その中でも、多くの人から「神様」と呼ばれる人がいる。
その人は、自身の作品に、この朝陽館を登場させ、神様のファンにとって朝陽館は聖地となった。
閉館間際には何人ものファンが宿泊に来て、その部屋で記念写真を撮影していったそうだ。
そう。手塚治虫先生と同じようにベレー帽をかぶって。

ああ、まずいなぁ。
案内されながらもうわかってた。
もちろん手塚治虫先生は小さな頃から知っていたけれど。
中学に入って、すぐの頃に一気においらにとっても神様になった。
同じ団地に住んでいた同級生の青井君のお父さんが手塚治虫先生の大ファンで。
火の鳥を始めとしたたくさんの作品をおいらに貸してくれた。
おいらは、毎日毎日毎日、徹夜して、夢中になって読み続けた。
青井君のお父さんが持っていない本は買いそろえた。
火の鳥、ブッダ、アドルフに告ぐ、三つ目が通る、ブラックジャック、数え上げたらキリがない。
それまで少年だったおいらは、手塚治虫先生に、世界の全てを教わった。
だから、やばいなぁってわかってた。

部屋に入った。
畳敷きの上に、机がある。
全身が痺れた。
ここで先生が、ペンをふるっていた姿が一瞬で瞼の裏に浮かんだ。
途端に涙が出てきた。
この部屋に今自分がいることに、感動して身動きできなかった。

この部屋はまるごと保存される予定だという。
それほどの聖地なのだ。歴史的記念の部屋なのだ。
そこに、おいらはいた。
確実においらは、立ってた。
今、思い出しても、危ない。
泣きそうになる。

次に取りに行くまで、選んだ装飾品を保管してくださる。
その日に、残っている建具もいただけるかもしれない。
辞する時、素晴らしい彫刻の入った鏡台を積んでいる人がいた。
どんな風に使うのだろう?なんて思う事もなかった。
おいらは、この旅館が取り壊しになる前に来れたことに、ただただ感動していた。
たくさんの物を頂けたこともとても嬉しかったし感謝していたけれど。
それを超えるぐらい、感動をしていた。

一緒に行ったメンバーで熱を冷ますように、東大の食堂に行く。
安田講堂の地下で、どんなセットが出来るかとか。
今回、こんなに頂けたことがどれだけ奇跡的で、どれだけすごいことか、話した。

稽古場に向かった。
いつものメンバーが稽古をしている。
うふふ。
知らないだろう?
今、おいらは、手塚治虫先生の部屋にいたんだぜ。
一緒に行った上田奈々が、何故か、おいらに缶コーヒーを持ってきた。
お疲れさま。と言う。
奈々さんにとっても、素晴らしい体験で、素晴らしい収穫だったんだって伝わった。
ありがたくコーヒーを頂く。
やがて、女優が揃って、トオルさんの新しいあの曲が流れる。
女優は踊りだした。

ニヤニヤニヤニヤしていた。

おいらは、手塚治虫先生のお部屋に案内してもらったんだ!
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:20| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする