2016年04月14日

きみのため

「人はさ、自分のマフラーは中々編めないんだよ。
 誰かのためになら、マフラーを編めるんだよ」

そんな言葉を何度も思い出す。

もしこのプロジェクトが自分だけの為だったら、多分、ここまで頑張れないんだろうなぁって。
じゃあ、誰の為なんだよって聞かれたとしても、それも、ちょっと悩んでしまう。
もちろん、支援してくださった皆様の期待に応えるんだ!という強い思いはあるけれど。
元々、支援してくださった皆様も、おいらたちの映画化を応援してくれたのだから。
誰かのためにというなら、きっと、支援してくださった皆様こそ、おいらたちの為になんだ。
だからと言って支援してくださった皆様への期待に応えるという強い思いとは別に応援してもらったから、あとは思う存分、自分のやりたいように・・・!とは、ならない。
やはり、どこかで、誰かのために頑張っている自分がいる。

それは一体、誰の為なのだろう?
デビッド・宮原のため?
劇団の仲間たちのため?
今も頑張っているたくさんの小劇場の世界に生きる人のため?
亡くなった親友や師匠、父のため?
今まで応援してくれた全ての人たちのため?

自分のためではないなぁと思う自分がいる。
同時に、もちろん、仲間や全ての皆様のためという思いもある。
でも、それだけじゃないなぁって、思う。
自分の中で、お前のためだよ。
そんな風に思う何かがある。
そいつのために、自分を突き動かしている・・・と感じることがある。

でも不思議なんだな。
その「お前」が誰で、どこにいるのかがわからない。
この不思議な感覚。
どこか、分裂しているんじゃないかと不安になってしまう。
きっとおいらの中にいる「お前」は、時空を超越しているのだと思う。
未来に出会う誰かなのか。
過去にいた誰かなのか。

なんとなく思うんだ。
いつか、誰かと出会った時に。
ああ、おいらは、お前のために頑張ったんだなって感じるだろうって。
その誰かはもちろん、既に出会っていて、いつか気付くのかもしれないし。
今はまだ出会っていない、若い才能かもしれないし。
ひょっとしたら、年老いた自分自身なのかもしれないし。
結局、出会う事すらないのかもしれないけれど。

ちょっと強迫観念じみてるぜ。
いや、そんなのじゃないんだ、本当に。
単純に何かを信じているし。
本当にこの作品は世界に届くと思っているし。
それが、自分のためだけでは到底出来ないだろうなぁって思うような自分だってだけだ。

おいらは、自分の足でここまで歩いてきたって自負がある。
選択肢がそこにあった時は、可能な限り自分でチョイスしてきた。
もちろん、たくさんの人の助けがあったからこそだけれど。
肝心要の時は、絶対に自分で選んだ。
でも、歩いてきた道は、すでにある道だった。

小学校の担任の先生が、卒業の時に高村光太郎の「道程」という詩を送ってくれた。
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
小学生ながら、これから進む自分の道は、自分で切り拓くと思っていた。
でも、実際には、その道は既にあって、舗装さえされていたよ。
自分の足で歩いてきたけれど、新しい道を創れたのかって聞かれたら、答えられないよ。
新しいなんて言えない。
先人の勇気と、行動力が、この道を創ってくれていたからこそ。
おいらは、歩いてくることが出来たんだって思いの方が強いんだ。

今、これまでの舞台製作とは違う種類の製作をしていて。
もちろん、映画の世界にもすでにたくさんの道があるのだけれど。
慣れないことや、ストレスなことも触れている中で。
新しい道を創っているような、切り拓いているような。
錯覚かも知れないけれど、そんな感覚がある。

だから、「お前」という誰かというのは、これまで道を切り開いてきた先人たちと。
これから、新しい道を繋いでいく、未来の人たちなのかもしれない。

そうとでも考えなければ。
今の自分を説明できない。
昔からブルパワーとか、まぐろとか、好きなように言われたけれど。
それだけで、説明できない自分になりつつある。

マフラーを編むような地道な作業は。
プレゼントだからこそ出来るんだ。


完全に奇跡を起こそうとしている。おいらは。
とんでもないミラクルを起こすために歩いてる。

お前のために。


posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:56| Comment(0) | 映画製作への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする